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モルモット  作者: 冷や奴
5/18

05

 みちり、みちりと内側から食い破られた肉体と、現れ出た、腐臭を漂わせた黒いヘドロのようなものが、イコの周りを蠢いている。

 ヘドロはいくつもの塊に分裂し、四方八方からイコを取り囲むように緩慢に動き――途中、引っ掛かった死体を取り込んで体積を増やし、さらに分裂して、どんどん近寄って来る。



 あれは、怪物化に失敗した、実験体の成れの果てだ。

 とはいえ、いつぞやの大柄な少年のように、変化しなかった者ではない。悪い方向に変質してしまった者達だ。あれは細切れにしても意味がないし、燃やせない、凍らせても自力で溶かす、喰えば内側から喰い尽されると、非常に危険な塊である。


「ほーら『死にぞこないども』、『腐って』『溶けて』『僕の養分になぁれ』……」


 だが、条件次第では、イコの能力の一つである植物化は有効だった。

 黒い塊はただの腐植へと変貌し、早回しされた映像のように、あちこちで白百合が咲き誇る。暇なので、食用薔薇も近くで咲かせて、花弁を千切って口に含んだ。少し苦みが強いが、甘みのある味がした。

 ふと、近くで呆然としている少女に声を掛ける。


「食べる? お腹空いたでしょ」


 ふらふらと薔薇を揺らして、少女に渡した。ぎょろりと歪に大きくなった目を充血させ、鋭い牙と米神付近に二本の角を生やしている。


「少し食べて、元気になったら、もうちょいましな姿にもなると思うよ」


「が、ぁぁあ、ああ……ああ、あぁぁ……」


 大きく口を開け、少女はイコの手ごと薔薇を食べる。少し落ち着きを見せた少女を確認し、イコもまた、何事もなかったかのように黒いヘドロが残っていないか確認していた。その間に、手もまた湿る肉の音を響かせて再生されている。


「おい、終わったのかぁ?」


 少し遠い場所から聞こえる男の声は、いつもの草臥れた様子だった。三日前の激昂など忘れたかのように平然と振る舞っている。

 いや、忘れたわけではないのだろう。ただ、関心を失っているだけで。


「もう少しで、終わりますよ」


 小さく答え、もう一度白百合が咲き誇る実験場内を見渡す。



 ハロエスと会い、男に暴行を受けたあの日から、夢を見るようになった。

 薄野原、枯れた草原、小さなおんぼろの家と、脇で咲いた鬼灯。

 ただ、それだけだ。どこかの風景だということは、分かる。



 ――そして恐らく、自分が何らかの理由によって記憶を失っていることも、何となくは気付いた。



「だから何だって、話でもあるんだけど……」


 唸り声を上げながら不思議そうに首を傾げる少女の頭を撫でながら、何でもないよ、と淡々と薔薇を食べさせる。すっかり腹が満たされたらしい、うつらうつらと目を半開きにして、眠たそうに頭を揺らす。


「もう眠りなよ。疲れたでしょ」


「あ、ぃ……」


 少女の頭が、徐々に落ちていく。




 ハロエスにとって、男にとって、イコとは一体何なのだろうか。

 ここ二日は、専らそれらの回答に重く思考を割いていた。

 ハロエスもまた、表層的な態度だけが理由ではないのではないか、と勘繰り始めている。あんなに露骨な態度を出してまで、実は演技だった、なんて、あの狸にもなりきれない青年が出来るはずがない。



 ――では、男は?



 白百合も薔薇も全て枯らし、ゴミとなった蔓や茎をひたすら掻き集め、外に放り出す。後で燃やして処分してしまおうか。少し悩みつつ、細かい葉や花弁を箒で集める。

 やたらと大きな足音が聞こえてきた。どうやら先程のどうでもよさげな態度とは一変して、随分と不機嫌そうである。


「よぉう、まだ終わんねぇのかよ」


「もう少しで、終わりますよ」


 もう一度そう答える。はん、と男は眉を吊り上げた。


「とっととしろよ、愚図め」


「何かあったのですか?」


L-0895アリE-0018ウツロが脱走しようとしてたっつぅ話だ。詳細はC-0071シフに訊けよ」


「今はどこに?」


「牢屋にぶち込んでやったぁな」


「そうですか」


 それにしても、脱走とは。アリが何か、余計な行動を取ったのだろう。

 そして彼らに全て吐かせるために、この話が回ってきたのだ。つまりは拷問官役である。


「掃除よりも、面倒な……」


 疲労の色濃く出た溜め息を一つ、少々手早く掃除を終わらせた。




 検問を出ると、シフが軽く手を上げて歩み寄る。


「待っていたの?」


「少し前からな」


 それまでは、彼らを見張っていたのだろう。あまり公にも出来ないし、自分達以外に、信用出来る古参の怪物がいるわけでもない。もう一人いれば、とも思わないでもなかったが、そもそもシフにしても、表立って戦闘することに向いている能力ではなかったがゆえにここに残ったのだ。贅沢も言ってはいられまい。


「シフ」


「どうした?」


 いつものような無表情でありながら、少し躊躇うような声色に、シフもまた違和を覚える。続きを促すが、イコ自身も中々言葉が纏まらないようで、多少口をまごつかせ、少しずつ言葉を選ぶように問い掛けた。


「僕は、父様にとって、何なんだろうね?」


 シフも、恐らくイコと男の不自然さは気付いていたのだろう。すぐに答えることはなかった。

 彼もまた少し悩み、訥々と応える。


「俺や、アリだとかとは、間違いなく違うだろう。きっと、ウツロとも違う。俺らは一緒くたの『商品』だろうが、お前はお前で認識されたもの、なんだとは思う」


「もっと分かり易く言ってよ」


「お前は先生から、十二分に特別扱いを受けている。だから、嫉妬する奴や面白くない奴がいるんだろう」


「……そう。特別、ね」


 確かに、ある一点において、イコは特殊とも言える特性を有している。



 ――だが、本当にそれだけなのだろうか。



「思い出せないのか、思い出すことはないのか、ねぇ」


 シフの動きが止まる。


「……何か知ってるの?」


 視線だけで見遣れば、戸惑うような視線と目が合った。


「さあ? 俺が知るわけないだろ」


「その態度で嘘を吐くのは、さすがに無理があると思うけれど」


 シフも諦めたように、ほうと大きく息を吐く。


「お前は、特別だ」


「それ、さっきも……」


「替えの利かない、唯一なんだ。……ごめん、これ以上は言えない。それに、俺が言ってどうにかなることじゃない」


「そう。じゃあ、一つだけ教えてほしい。僕は、失った過去を思い出さなければ、気付けないことなの?」


 自身の頭をコツコツと叩き示す。

 シフは何も答えなかった。




 牢屋は、食堂側に面した通路、実験場へと続く検問から見てやや左寄りの正面から入る通路の先にある。突き当りに鉄製の扉があり、取っ手付近に大きな南京錠が取り付けられている。怪物なんぞどれも万力のような力を持つため、ほとんど見せかけでしかないのだが。

 シフは南京錠の鍵を開け、引っ掛けたまま扉を開けた。

 室内は思いの外広いが、左右に設置されている檻が圧迫感を与えている。それぞれ三つに区分けされており、全部で六つの空間と、通路となっているようだ。

 ちょうど真ん中の区域に、左右それぞれ掌程度の小さな嵌め殺しの硝子窓があり、薄ぼんやりとした光がある。とはいえ、到底見通すことなど出来ないため、明かりとしては不十分だったのだろう、通路にぽつんと燭台が置かれてあり、小さな蝋の明かりで照らされている。

 件の二人は、それぞれ一番奥の部屋に向かい合うように牢の中に入れられていた。

 扉の開閉音に気付き面を上げたアリと目が合った。ちら、とこちらを見、後に続いたシフに目をやり、不快そうに顔を顰めている。素直なものだ、と内心で呆れた。


「よくまあ、脱走なんてしようとしたもんだね。そんなに行動力があるとは、さすがに予測していなかったよ」


「よく言う……」


 アリが、はん、と鼻で笑って、卑屈そうに呟く。一度禁を犯したからだろうか、どこか吹っ切れたかのような、投げやりとも見える態度に内心驚く。


「何の用?」


「今は僕が拷問官だよ。問い掛けに答えればいい」


 男のにやりと笑う顔が浮かんだ。まるで同じだと、漠然と考え、振り払う。

 黒い髪が数本、静かに伸びていく。髪と同化した強靭な蔓は、鞭代わりに。

 ぴしゃんと床を叩くと、向かいの牢から、引き攣るような悲鳴が聞こえた。


「どうやって外に出た? いや、そもそも出たの?」


「いんや、出てない。出ようとしていたのを見付けて捕まえたから」


 シフが補足するように答えた。


「そう。じゃあ、なぜ出ようとしたの? 今なら父様に全ては言わないでいてあげるから、言ってごらんよ」


 イコの言葉に微かに頭が動いたのは、ウツロの方だった。とはいえ、イコはアリの方を見ていて気付かない。シフがおや、と不思議そうに見ている。


「別に」


「それがまかり通ると、本気で思っているの?」


 表情を変えず首を傾げ、イコの鞭はぴしゃりと、鉄格子に引っ掛けていたアリの掌を打った。アリの体が跳ねる。


「答えて。なぜ、出ようとした?」


「答えたって身の安全が保障されるわけないのに、何で言う必要があるわけ?」


 一理ある。実際のところああは言ったが、男に全て報告するつもりだったくらいだし、むしろその選択は賢い方だった。ひっそりと臍を噛み、思考が鈍っていくことに焦った。意識して深く呼気を吐き、思考をリセットする。


「……分かった。じゃあ、本当に父様には言わない。僕自身の興味で、聞きたいと、思ったから」


 胡乱気な視線が向けられた。



 ――アリが妙に、冷静だった。

 初日であれだけ怯え、つい先日にはあれだけ激昂し、殴りつけてきたとは同一人物だと思えないほどに。

 いや、むしろ、どこか諦念を孕んだような……


「何でウツロはE番なのか教えてくれるなら、いいよ」


「……ウツロ?」


 忘れたのか、と呆れたような視線を貰うが、そうじゃない。なぜその疑問が出てくるのかが分からなくて、戸惑っただけだ。

 だから、素直に答えていた。


「E番は特別になったから、特別な怪物にだけ付けるの。今までのE番をE2にしてね」


「だから、何でウツロがその『特別』な番号にいるの? って訊いてるんだけど」


「特別だからだよ」


 それ以外に答えようがなかった。アリの「外れか」と呟く声が微かに聞こえる。それから意識を切り替えるように緩く頭を振って、意外と素直にアリは答えてくれた。


「ちょっとね、散歩してたらうっかりあいつの部屋に入っちゃったんだよ。そしたら、怪物化の段階ごとの計画書があるじゃないか」


「はあ」


 この時点で既に問題点が幾つか散見されたが、まずは置いておくことにした。


「第五段階、蟲毒実験って。つまり、僕はウツロや他の奴らと、殺し合わなきゃいけなくなるん……だよね?」


「そうなるね」


「何で仲良くなった友人を殺さなきゃいけないんだって、逃げようとした。……これだけだよ」


「……そう」


 確かにそれも理由の一つだったのかもしれないが、本心ではないだろう。

 嘘だと一蹴するのは簡単だ。だが、そういうわけにもいかない。



 アリは、ウツロに関して、その背景を知りたがっている、と思われる。男の「特別」の番号を与えられた、失敗作の背景を。その理由を。



 ――つまるところ、入ってはいけない場所に赴き、知ってはいけないことを知ったわけだ。



 それに気付いた時、思考するより先に、蔓で強く薄い脇腹を叩いていた。

 衝撃でアリの細い体が横倒しになる。ちらりと髪の隙間から見えた瞳が、全ての感情の色を失っていた。


「よくまあここまで生意気になったもんだ。わざとやっているの? 死にたがり。でも、簡単には死なせない。ああ、商品としては優秀なんだから、首輪でも付けて脳味噌少し壊して心も壊しちゃえば問題ないね」


「…………く、ふふ……」


 きゅい、と口の端を吊り上げる彼の目は、やはりどこか諦念と狂気が見え隠れしている。露骨に投げやりな態度で分かり辛いが、何かによって、ふとした拍子に、自分を支えていた柱が折れてしまったのだろうか。ぼきんといきなり崩れたのか、擦り減るように削れて折れたのかは分からないが、そのせいで人らしさを失ってきているのかもしれない。

 それゆえか、冷静にこちらを見ることが出来ていたのだろう。



「今のあんた、あの男にそっくりだよ」



 その言葉が、イコの心を鋭く穿っていた。

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