04
黙々と、新たにやって来た実験体達に番号を割り振って収容していく作業は、数時間にも及ぶ。
実験体として送られてくる人間は、おおよそが敗戦国の難民や、戦争孤児だとどこかで聞いた気がする。男から聞いたのか、はたまた物好きな輩が一緒に来た時だったか。
「ようやく終わったか」
隣でシフが背伸びをしていた。五十人は、やはり多い。イコも真似して背伸びをすると、骨の擦れ合うような音がした。
「お前は止めとけ」
「なんでまた」
「一緒に花生える」
「けち」
背伸びは駄目らしいので、仕方なく用紙を一纏めにして整える。
それから、先程からちらちら顔を覗かせていた、見覚えのある男性に声を掛けるべく口を開いた。
「ハロエス様、何か御用ですか?」
イコの声に、ハロエスが嬉々として跳ねるように近付いてきた。今日も今日とて、顔には胡散臭そうな笑顔を張り付け、パリッとした、とても高そうな服を着ている。私服らしく、過度な装飾もないためか、やや落ち着いた雰囲気に見えた。
「や、や。元気そうじゃないか、イコ君」
「お久しぶり……でもないですね。随分と暇を持て余していらっしゃるようで」
「そんなこともないんだよ。何せこれでも色々頑張って来たんだからね」
相変わらず、面倒臭い青年である。だが、これでも、男の所属する部署の上司だという話だ。恐らく、金で権力を買ったのではなかろうかと、イコとしては思うわけだが。
「ねぇねぇ、まだ昔のこととか、思い出せない? それに、まだ解剖しちゃ駄目なのかい? もういっそのこと、殺しちゃいたいくらいだよ」
「昔、ですか。残念ながら、ご期待には応えられません。解剖に関しては、父様が許可しない限りは駄目でしょう」
「ちぇえ、けち、けち。あいつのこと、父様だなんて高尚な呼び方しなくたっていいんだよ? 大体何だい。あいつは偶然手に入った結果を掻っ攫った、鳶野郎じゃないか」
「相変わらず父様のこと、嫌っているんですね」
「当たり前だよ。あいつがいたせいで……」
ハロエスの機嫌がどんどん悪くなっていることは気付いていたが、あえてそのまま訊ねて遊ぼうか、と口を開く直前に、シフに軽く肩を叩かれた。呆れたものを見るような顔をされた。
「あまりおちょくるのも止めとけよ。俺は先に先生に報告に行くぞ」
「あ、うん。もう少ししたら行くから。片付けはしとく」
「もう終わった」
「……後で何か奢るよ」
「よろしく」
ハロエスと話している間に、シフは一人で全てこなしていたようだ。さすがに申し訳なさを覚える。
とはいえ、彼はイコと違い、権力者と話すことは苦手だという。適材適所、と考えればいいだろう、と気を持ち直し、ハロエスに向き直った。
青年は、笑みを張り付けて待っていた。
「待たせてしまい、申し訳ありません」
「いいんだよ。あいつに待たされたんなら金毟り取っても足りないくらいだけどね、基本的に、私はとても寛大なんだ」
「そうですか」
本当に寛大なら、男をこれほど毛嫌いすることもないと思うわけだが、面倒なので黙っておいた。
「でもね、本当に君、覚えてないの? これっぽっちも? 父親のことも、母親のことも?」
「今日は妙に念を押して訊きますね。何かあるのですか?」
「別に何もないけどさ。君はいるだけでも興味が尽きないからね。……ね、そもそもあいつの実験、一体何年経ってると思ってるの? この私なら、もっとさっさとこなしてしまえたろうに」
「父様の実験が気に掛かるのですね」
少し深入りしただけでさっさと話題を変えるのなら、最初から訊かなければいいのに。
ちらと頭から足先まで流し見る。何だか違和感がある、と思えば、値のほどは分からないものの、以前よりもずっと質素な――悪く言えば、適当に引っ掛けただけの、随分とだらしない格好をしているように見受けられた。
おまけに、以前と違って会話を楽しむような気配すら感じられない。基本的に、煙に巻いたような言葉遊びで、本質に入らず会話することが多いのだが、今日は随分と直球に話を進めているような気がする。
浮かぶものは、微かな焦燥だろうか。それも、上手く隠しているせいで、いまいち自信を持てない。
男が言うに、イコは元々試験管生まれ研究所育ちの、生まれた時から実験体として生きてきた人間だったと聞く。ならば父母というものは、遺伝子上の父と母にあたる人物のことなのだろうか。
しかしそれだと、ここまで食い下がる理由にはならないと思うわけだが。
意趣返しも兼ねて、少し鎌をかけてみた。
「ハロエス様は、僕の親というものを知っていらっしゃるようですが、どんな方でしょうか。そこまで訊くということは、僕もお会いしたことがあるのかもしれませんし」
イコの言に、初めてハロエスの顔が崩れた。彼はしばらく口を開閉させて言葉を紡ぎあぐねていたが、
「……いや、何でもない。何でもないんだよ。すまないねぇ、もうそのことは忘れておくれ。くれぐれも、君の『父様』にだけは訊いちゃ駄目だよ」
「過去のことを、ですか? どうして?」
あるのはきっと、実験体として生きた過去だけだというのに。
ハロエスが知っているであろうイコの過去に、ほんの少し興味が沸いた。
もう少し食い下がれば、詳しく聞かせてもらえるかもしれない。そう考えて口を開いた時、遠くから、大きな怒鳴り声が聞こえ、そのまま反響する。
ハロエスを見つけるなり、顔を赤く染めて怒り叫ぶ、男の姿だった。
「てめぇおい! 俺の物に何を吹き込んでいる! とっとと帰りやがれ、このペテン師が!」
「はは、言うことに欠いて、私をペテン師だと? こりゃあ傑作だ!」
「いいから帰りやがれ! 国の犬め!」
腕を振り上げてハロエスに殴り掛かろうとする男を、さすがに不味いとイコが必死に止めた。小さな体躯に雁字搦めにされ、唾を飛ばして怒り狂う男に、わざわざ癇に障るような笑みで気安げに手を振り帰っていく青年は、きっと心臓に毛が生えているに違いない。
「またね、イコ君。今度会う時は、もっと楽しい話をしようじゃないか」
「二度と来んな、ペテン師め!」
腕が千切れそうになる程に男を留めている間に、彼は帰っていったらしい。最後の方は、とにかく男を止めることしか考えていなかった。男の体の力が抜けていくと、ようやく辺りを見回し、腕を離す。
振り返った男が腕を振りぬき、イコの細い体を殴り飛ばした。壁に頭がぶち当たり、眩暈と吐き気でくらくらする。
ざわざわと背筋が凍るような、得も言われぬ恐怖が思考を満たした。
男の目は鋭く、殺気帯びている。
こんな時ばかり察したかのようにやって来る彼に、内心で溜め息を吐いた。
「てめぇ、おい。なんで止めやがった? あ?」
「国から訴えられて、ここを取り押さえられることは、貴方にとっても不本意なのでは?」
「はん。あいつにそこまでの権力なんてあるわけねぇだろ。何話した」
「別に、実のない雑談でした。最近の流行りの衣装や、観劇のことを捲し立てられたくらいで……」
腹に爪先が刺さった。壁との間で圧迫される内臓の感覚が気持ち悪くて、吐き気が強くなる。ちら、と男を見遣れば、ぎらぎらとした瞳で睨んでいた。
「嘘吐いていいって、誰ぁ言ったんだよ。ええ? てめぇの頭は空っぽか? てめぇ自身の記憶を訊かれてたんだろうがよ」
「……ぐ、はい、訊かれ、ました」
腹に刺さった足が、捻じるように蠢いている。胃に穴が開きそうで、もんどり打ちそうな痛みに呻いた。
「いいかぁ。あいつはペテンだ。嘘吐き野郎だよ。てめぇはここで生まれた瞬間から、ずっと実験体だ。だから特別目を掛けてやってるっつうのに、なぁ? 何が親を知ってるか、だ。てめぇの親なんぞ、いるわけねぇだろぉ」
「そ、う、ですね。……あん、し、ん、しまし、た」
「あいつの言うことを信じるな。絶対だ」
「……はい、父様」
ようやく気が収まった男は、イコの額を割るように勢いを付けて蹴り飛ばし、そのまま機嫌悪そうに自室へと戻っていく。
脳を揺さぶられたような衝撃に動けず、イコはしばらく倒れ伏したまま、思考を飛ばした。
僕の、父は、母は。
ふと。
ふと、脳裏に過ぎるのは、枯れた草原を走り回る幼子と、色素の薄い髪色をした、穏やかな笑みを浮かべる誰かの姿。
どこかで見たことのある顔をした娘が、一時浮かんで、消えた。




