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モルモット  作者: 冷や奴
3/18

03

 ハロエスを案内した食堂は、以前も言ったように、専ら実験体達が使用している。

 外観通りのおんぼろな部屋ばかりのこの施設の中で唯一人を通せる場所でもあるし、便利ではあるのだが、何とも形容しがたい感情が出てきそうになることもある。寝床はすし詰めになりながらの雑魚寝だというのに、と。


「まともなご飯が食べられることはいいことなんだけど、このアンバランスさはどうしてだか分かる?」


「国の偉い人も使ってるからじゃないの」


 イコの突拍子もない質問に、天麩羅の衣が剥がれるまでタレに浸し続けていた、棒っ切れのような少年――C-0071(本名シフ)が、あっけらかんと答えた。

 天麩羅がただの海老のボイルになったところで、ようやく満足したらしく、シフが海老の尾を掴んで丸呑みする。相変わらず謎のこだわりを持つ彼にげんなりしながら、イコもまた、白湯にうどんが入っただけの丼を指で突いた。例の白湯うどんである。

 現在、昼を少し過ぎた頃。数日のうちに、あの二人の他にも五人ばかりが第二段階まで無事に終了し、実験体ばかりとはいえ、人の数が増えてきた。

 増えるよりも先に減っていくばかりの研究所内では、珍しいものだ。食堂内で、十数人はいるだろうか、と目視でざっと確認し、うどんを摘まんで食べる。麺が伸びていた。


「まあ、偉い人が来ること自体少ないけど」


「こんなところに来るような酔狂なんて、大体がはぐれ者ばっかでしょ。……シフ、やっぱりそっちの塩くれる?」


「白湯なんかで食うからだ」


 呆れたように調味料入れから塩を手渡すシフに、イコも自分の非を認めていた。ただ、それを表に出すことは、愉快ではないので止めた。


「もう少しで次の第二の奴らが第三入るんだっけ? 最近途切れてたから、初期が後に続いているのも変な感じがするな」


「すぐに消えるでしょ。第五まで行ったら、強制的に一人だし」


「まあそうだけど……ああ、でも一応、今日補充あるけど?」


「聞いてない……」


 シフの言う「補充する物」は、国から送られてくる実験体だ。ある程度の数が揃った時に纏まって、列を成してやって来る。

 イコやシフは、それらの番号の割り振りを、あの男の横暴な命令により、しょっちゅう手伝わされていた。

 多い時は一度に百は超える。全ての個体に一つ一つ番号を割り振り、管理するという作業は、地味な上に面倒臭い。だが、必要なことだ。

 たかが実験体に名を訊ねる時間など勿体ないし、無駄なことだから。

 そも、番号すら必要ないと思われそうだが、そういうわけにはいかないらしい。言わば兵器としての商品番号にもなるし、番号によってある程度の指針の変化も分かる。

 この企画が始まった当初から一貫して「怪物」を作ることに変わりはないのだが、最初の頃は大型の怪物を求められていたり、逆に小型のものを求められていたりと色々あった。それも男だけの研究になった時に、放任気味になってしまったが。


「どれだけいるの?」


 塩湯を啜り、思わず顔を顰めた。溶け出た小麦と混ざり合って、絶妙な具合で食欲を減退させる。

 シフが米にタレを全て流していた。こちらはこちらで、ひどく塩辛そうな色合いをしている。けれども彼は特に気にせず、スプーンで米を掬いながら数えた。


「五十くらい」


「多いよ」


 塩湯では悪化するだけだと悟り、シフに頼んで入れ物ごと貰い、他の調味料を漁ってみた。

 醤油を垂らす。出汁もへったくれもないため、味の微妙さが増しただけだった。


「何入れればマシになると思う?」


「むしろ諦めることをお勧めしたいくらいなんだけど」


「めんつゆってなかったっけ」


「さすがに厨房の方じゃないとないと思うが」


 厨房にいるのは、情緒も感情もない改造機械兵達だ。自分が頼んだ物なら、そのまま食せ、が彼らの言である。正直なところ、調味料を置くことすら最近まではなかった。

 そうなるとようやく諦めも付くもので、イコは温くなって苦みも混じり始めた湯を飲み干した。


「……で、団体さんが、もう少しで来るのかな」


「んで、今のうちに、あいつらは暢気に第三をやってるわけだ」


「じゃあ、父様は向こうにいるんだね」


「先生しか手綱握れないだろうしな」


 彼以外の実験体は、男のことを「先生」と呼んでいた。本当の名を知る人もほとんどいないし、呼ばせる人もいないから、そんなものなのだろう。だが、本人ですらよく分かっていないことだが、イコだけは彼を「父」と呼んでいる。

 恐らくは、過去の記憶がないために、親というものが分からないからこそ出て来た記号なのだろう、と予測はしていた。

 胸焼けがしそうな程度には腹も膨れたので、シフと共にトレーごと食器を厨房に戻し、食堂を出る。





 すぐ左手側に見える廊下、等間隔で並ぶ扉が、左に五つと右に四つ。左の端は手洗い場だが、それ以外は実験体達の寝床でしかない宿舎がある。

 収容数は、最大二百。過去には一度に大量の怪物を作ろうと、研究員も多く用意して回転数を上げていたようだ。しかし、ある時飛び切り強力な個体が誕生したせいで、あっという間に瓦解したらしい。チーフであった男一人を辺境であるここに縛り付けた後、他の研究員はというと、這う這うの体で逃げ出した。


「嫌になるな」


「前回の最後、何番だっけ?」


 一度管理室から持って来たナンバリング用の用紙を取り出し、シフは一番上の紙面に書かれている番号を確認している。その間、イコはぼんやりと周囲を見回し、見慣れた二人組を見付けた。小柄な少年と、男の子だ。

 向こうも気付いたようで、軽く手を上げてみる。小柄な少年が微かに眉を顰めた。


「その様子だと、無事に第三終わったんだね」


「……何か用?」


 ちらちらこちらと怯える男の子を見比べるように視線を迷わせながら、小柄な少年が問い掛けてくる。「いや」と断りを入れつつ、何か安心させるような会話や気配を出そうか、と一瞬考え――面倒になってすぐに止めた。


「君は確か、L-0895だったっけ? まさかここまで生きているとは、正直思わなかった」


「…………あっそ」


 つっけんどんな様子で答えるL-0895は、ぐっと何かを堪えるように口内を噛んでいる。微かに歯ぎしりの音も聞こえる。不安げに男の子が、彼の服の裾を掴みながら見上げていた。


「……名前。番号で呼ばれるのは、嫌いなんだけど」


「確かに、覚え辛いもんね。何て言うの?」


「…………アリ」


 L-0895(本名アリ)は、伝えるのも嫌そうに言った。

 そう、と気に留めず、ただ頭の片隅に留めておく。そっちは? と男の子にも問い掛けるも、引き攣った悲鳴が返って来た。アリの眉間には、深い皺が刻まれていた。


「ウツロ」


 怯える男の子の代わりに、アリがE-0018(通称ウツロ)の名を答える。律儀なものだ、と内心で感心する。思ったよりも、最初の「食事」から立ち直っているように見えた。

 それにしても、この嫌われようは何なのか。何か害になることをしただろうか――思い返すも、心当たりがない。それでも、彼らのもの言いたげな視線や、言葉は――羽虫が飛んでいるかのような鬱陶しさに、近しいものすら感じられる。


「それで、どうかした? 何か言いたいことがあるなら聞くけれど」


「別に、何もないから」


「そう? そんなこと言いながら、本当は怪物になったことを恨んででもいるのかな。君、見るからに心が脆そうだから」


「おい」


 シフが戸惑うようにイコの肩を叩いた。きり、と歯を食い縛る音が前方から聞こえる。細い両の手が、僅かに震えていた。


「たまに、いるよ。人を止めてでも強くなりたい奴よりも、人を捨てたくなかったと言っている奴の方が、とても強い力を手にしている、とか。彼らからしてみれば、宝の持ち腐れにしか見えないだろうし、本当に強くなりたかった奴らからすれば、嫌味にしか聞こえないかもしれないけれど……。でも、そういう不安定な精神のままだと、どうしても彼らよりも失敗した時のリスクが大きいから、出来ればもう少し安定するまで待って……」


「…………、に、何、が……!」


 あれ、と首を傾ぐ。ぶるぶると体を震わせて、顔を紅潮させたアリが、鋭く睨み付けていた。何か間違えたのだろうか。


「お前、に、お前に何が分かる! 奴隷よりマシだって!? ふざけるな! ふざけるなよ! 人の皮被って人に擬態して、こんな、人ですらなくなるなら、僕は死んだ方がマシだった! 奴隷として襤褸切れにされたって、人として死んだ方がマシだったんだ!」


「人としては死んだでしょ。とっくの前に、あっけなく。何を憤っているの?」


 なぜ、彼はこんなにも怒っているのだろう。ぐっと奥歯を噛んで堪える少年を眺めながら、漠然とそう思った。

 ウツロの口から、ひぃ、と引き攣るような悲鳴が零れている。

 ふ、とアリが俯き、ぽつり、静かに言葉を零す。


「……僕という意識が、残らずにそのまま死んでしまえばよかった。肉体が、自我を奪って脳を犯して、別のものになるのなら、こんなに辛くなんてなかった、のに」


「……別の意識ねぇ……。そうやって、『自分』から逃れたかった、の? 責任を感じる心を、消したかったの?」


 つまり、人でないものになった事実を、彼はまだ受け入れられないだけなんだろうか。先程の激情から一転して、急に静かになったな、と少しだけ戸惑いながらも、イコも問い掛ける。


「大丈夫だよ、命令だから。そこまで思いつめることなんて、何もないでしょ?」


 ちら、とアリの不審そうな目がこちらを貫く。何か、間違ったことを言っただろうか? と不安になってシフを見、やらかした、というような呆れた様子に困惑した。



 ――何を、間違えたのだろうか?



 そう、と微かに聞こえる声に意識を戻す。アリはぶつぶつと、へぇ、そう、そうなんだ、と譫言のように繰り返し、まるで狂人のようだと不気味がっていれば。



「過程がどうであれ、結果は自分自身の物だろうが! このゾンビーが!!」



 叫びながら詰め寄り、勢いよくイコの頬を拳で殴りつける。全く予測していなかった、思いの外大きな一撃に、彼の細い体が壁に叩き付けられて転がる。シフの諫めるような、咎めるような声や、走り去るアリ達の足音が、水底のように遠く感じた。

 意識が遠のいたのは一瞬のようで、すぐに音が戻って来る。シフが心配そうにこちらを呼び掛ける声が聞こえた。少しずつ鮮明に聞こえるようになってまず、体勢をうつ伏せに変える。


「おい、イコ」


「へ、き。少、ぃ、くらくらす、けど」


 傍でしゃがみ込むシフに背中を擦られ、顔を上げさせられる。あーあぁ、と呆れたような視線を貰った。


「顔腫れてんな。……いや、大丈夫か」


「そぅ?」


「ああ、回復してきてる」


「……そう」


 時間にして数分程度で、イコの頬は元の生白い肌に戻っている。体の衝撃や違和感も同様だ。

 特に問題がないことを確認し、何事もなかったかのように起き上がり、再び歩き始める。




「……お前の言うことは、まあ、おおむね正しいよ」


「何、突然」


 互いに言葉を発さず歩き続けて少し経った頃、シフがようやく口を開いたかと思えば、唐突にフォローされた。珍しいこともあるものだ、と戸惑ってしまう。だが、それだけではなかったようだ。


「お前は人としての記憶がなくなったから、そうやってすぐに納得出来たんだろうけどね。今まで人として生きていたら、そりゃ、すぐに納得するのは難しいもんだ。何年も経って精神擦り減らしている時ならともかく、まだ来て一ヶ月ちょい、しかも何も知らない。おまけに第五まで行ってない。なら、反発心や葛藤が生まれることも、仕方ないことだろうと理解だけはしておいた方がいい」


「……りょーかい」


 抵抗する心理を持つ者は、存外厄介なものだ。それ自体は理解しているのだが、やはりイコからすれば、なぜそこまで突っかかるほど重要なことなのか、いまいちピンと来ない。


「兵器が感情や倫理に重きを置いたって、意味なんてないのに」


「最初はそういうもんだ。段々慣れてくる」


 そういうもの、らしい。人間としての心理も理解している彼が言うなら、その通りだろう。




 今、宿舎の方から、買われた実験体達の待機部屋まで突っ切ることは、正直なところ気まずかった。シフもそこは気を遣ってくれたようで、自然と実験場の方面から繋がっている通路を目指す。

 歩きながらシフが最後の番号を見付けたようで「L-0932までだな」と呟いていた。


「ありがと」


「しかし、ウツロ、だっけ? あれは一体幾つ目になるんだ」


「十八体目。続きナンバーだから、多分失敗するだろうけどね」


「ふうん」


 第二実験場と第三実験場の間にひっそりと存在する通路に差し掛かったところで、第一実験場から男が気だるげに現れた。軽く手を上げておく。


「よう。そっちから話は聞いたな? ナンバリング作業だから、さぼるんじゃねぇぞ」


「しませんよ。……一つ、訊いてもいいですか?」


 あん? と怪訝そうな男に、イコはシフを先に行かせてから、やや逡巡した。それから素直に、問い掛ける。


「先程、L-0895と会話をしました。彼は人としての自分を捨てきれずにいて、機械のように生きることを苦痛に感じていました。僕は、正直よく分かりません。どうして僕は、人じゃないことをすんなり受け入れられたのでしょうか?」


「くっだんねぇこと言ってんじゃねぇよ。そんなん考える暇あんならさっさと作業しろっつうの」


「そうですね。では、もう一つの方を。『ゼロ』は完成しそうですか?」


 その問い掛けに、ようやく男の不機嫌そうな雰囲気が緩和された。にぃ、と獰猛そうな笑みを浮かべて、


「もうそろそろ、外に出せるかもなぁ」


「……そうですか」


 男が乱暴にイコの頭を撫でた。ぷちぷちと髪が抜ける音がする。けれどもイコは、黙って男の気が済むまで撫でさせた。


「にしても、今日もおめぇはくっせぇなぁ」


「今日は、何の臭いがしますか?」


「すっぺぇ臭いだな。百合みたいに強い臭いだよなぁ」


 百合か。今日は鈴蘭かと思ったのに。

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