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モルモット  作者: 冷や奴
18/18

18

 ゼロの亡骸に、そっと白百合を添えた。


「お休み。お休み、ゼロ」


 呟き、イコは体中の傷を触っていく。全て浅いものだ。だが、先程の戦いで、まだ植物が体内に蠢いている。一つずつ傷を抉り、種子や根まで取り除いて、また自然に任せることにした。



 だが、これ以上はもう無理だ。今これ以上、致命的な怪我をしたとしたら、治すことを放棄しなければならない。


「あ」


 あちこち触診での確認をしていた時に、服に括り付けていた銃に触れ、すっかり頭から抜け落ちていたことに気付いた。

 これでアリを呼べば、少しは楽だったろうに。溜め息を吐いたが、いや、と思い直す。


「やっぱり、ゼロのことも、僕の問題だし……。これで良かった、よね?」


 問い掛ける声に答えるものはいない。イコもそれを分かっていたから、そのまま衣服を整え、家に目を向けて――険しい表情で「エイルス」を呼ぶ、男の姿を見た。

 断片的に、叫び声が聞こえる。頭の中で繋ぎ合わせ――どうやら、ゼロは家を出る前に、男の意識を飛ばしていたらしい、と分かった。どうりで、これだけ近くで暴れててもやって来なかったわけだ。

 あちらもイコを見付けたのだろう。歯を剥き出しに、唸るような形相で近付き――その足元で眠るゼロを視界に入れて、限界まで目を見開く。


「あ……あ、あぁ…………」


 よろり、と男がゼロの元へ、覚束ない足取りで歩み寄る。イコは無言で前を開けた。

 それでもなお「エイルス」の死を嘆く男の姿に、滑稽を通り越して憐れみすら感じる。

 だが、イコは、ただただ苛立った。それが、ゼロを侮辱する行為だと感じ、思わず口を衝いていた。


「……彼は、ゼロとして死んだ。貴方の最愛の息子ではなく、その模造品である自分を受け入れて死んだんです。……たとえ貴方であろうと、その死の意味を違えることは、許さない」


 ぴくり、と。

 泣き濡れていた、男の体がこちらを向いた。ぼさぼさの髪の隙間から、虚ろな瞳が、ゆらり、とこちらを見ていた。

 呟く声は、呪詛のようで。涙に濡れた瞳は赤く充血していて。

 これではどちらが人なのか、と、その哀れな姿を目の当たりにして、漠然と感じる。

 子供の癇癪を待つ親のような気分になりながら、途方に暮れる。思わず彼から一瞬目を離し、溜め息を吐いたのがいけなかった。



 濁った、湿り気を帯びた音が耳元を抜ける。

 何? イコが右目で見たものは、怒りとも哀しみともつかない表情でこちらに何かを向ける男が。

 次いで、左目に熱と、脳の奥を突き刺すような激しい痛みが。


「……あ」


 一瞬気を失った隙に、眼窩の奥から潰れた目玉を覆うように植物が生え――それ以上は気力だけで止めた。

 突き刺さったままのそれを素早く抜く。ゼロの腕から生えていた、赤い櫛歯の残骸だ。

 やられた、と内心で臍を噛む。目玉を再生させれば、脳の植物化が免れない。だが、このまま自然治癒に任せれば、目を再生することは叶わなくなる可能性がある。



 人の姿を失うか、左目を失うか。素早く思考し――後者を、切り捨てた。



 ぶつぶつと、男が未だ何かを呟いている。耳を澄ますと、今度はイコへの罵声、そして、ゼロへの罵倒。それと、この国を、この世の全てを恨む、呪詛のような言葉の羅列。

 イコはそれらを聞きながら、男を眇めるように見て、ここでようやく、彼に対して、失望とも憐憫とも、後悔とも言えない、複雑な想いを抱いた。

 おもむろに、服の裾を緩めて、金属で出来たそれを取り出す。ぎこちない手付きで構え、男の額に――銃口を、突き付けた。

 ぴたりと男も口を閉じ、虚ろな目を、ようやくイコに向けた。


「……何のつもりだ」


「…………父様」


「止めろ、止めろ。父なんて呼ぶな。俺は、俺は……お前の、父親じゃない」


「では、なぜ『イコ』と名付けたのですか? 気紛れ、だったのでしょうか?」


 途端、憑き物が落ちたような、どこか理知的な光を瞳に宿している。それでも、は、と笑う声が、嘲りの響きを帯びていた。


「別に、代わりとしたわけじゃない。ただその数字が開いていただけだ。……それだけだ」


 そしてイコを頭から足先まで眺め、くしゃりと泣きそうな顔をしている。


「……ああ、やっぱり、お前だったのか……」


「父様?」


 男が乱暴に、イコから銃を奪い取る。イコが慌てて奪い返そうとした時、彼は自分で自分の喉元にそれを向けていた。


「結局俺は、同じことを繰り返すんだろうな。エイルスは死んで、俺はもう一度エイルスと、ここで過ごす夢だけを見て。そして、お前に夢を壊されるんだろう、なあ」


「……何を、言って…………」


 ちら、と彼はそのまま、イコを見る。真っ直ぐに、イコを。

 薄く口元に笑みを浮かべた。


「じゃあな、イコ。四葉、ありがとな」


 ダァン、と。

 腹に響く音が一つ、辺りを包んだ。







 無人になった家の中に入る。

 開けてすぐ見える食卓テーブル。三つの椅子。作りかけの、赤子用の椅子が隅にある。

 テーブルの上に、手紙があった。



 クローゼットの中に、大きくなったらエイルスに着せたいと作られていた、母手作りの衣服があること。自分をモデルにして作ったようなので、成人したらちょうどいい大きさになるであろうことを、いつもの癖字で書かれている。

 ゼロが着ていた、大きさの合っていないあの服もそうだったのだろうか。

 それから、その下にもう一つ。


「……『本当』を知っていたのに、見ないふりをし続けていた罰が下ったのかもしれない。初めにイコに向けていたはずの気持ちも、いつから冷めたのか、それすら思い出せない。ただ、少しずつあいつが大きくなって、少しずつ、あの時見た『彼』と似た姿をしていくと、俺はどうしようもない不安に押し潰されそうになっていた。

 あれはやはり、覆されることのない事実だったのか。となると、あれは、俺が見ることのない、先を進んだイコ自身だったのか。

 あの時にもう少し知ることが出来れば、と今更ながら後悔する。……まあ、今を蔑ろにするような俺には、似合いの結末か。

 ああ、ゼロがまた泣いている。どうあっても、俺は夢を見れないらしい。いっそこのまま狂えれれば、どれだけ楽なことだろう。狂いたいのに、なぜ俺は狂えないのだろう。なぜ俺は、どれだけ足掻いても、冷静に自分の気持ちと折り合いをつけようとしているのだろう。

 まだ、泣き声が…………」


 ぺらり、ともう一枚ないか確認する。これで終いだ。

 それも、これはどちらかというと、見せるはずのない懺悔混じりの独白めいたもののように見受けられる。筆跡もいつもより乱雑で、読み辛いことこの上ない。

 それにしても、と思い返す。


「……あの時見た、彼……?」


 あの時の、父の言葉は。表情は。


「……今考えても仕方ない、か」


 一先ず、クローゼットを開く。中に入っている、品の良い男性用の衣服を見、そのうちの一つに手を掛けた。

 虫食いがないことを確認して、自身の衣服を脱ぎ落す。白く花の刺繍が施された黒のシャツ、深海のような深い青のベストと、濃紺のズボン。瞳の色と合わせたような青い色合いのそれを着て、姿見の前に立つ。


「……丁度いい、な。いや、それよりも……」


 ゆるりと頭を振ってから、姿見を覗き込む勢いで近寄り、次いで自身の左目から生えるそれらに触れた。


「……白百合」


 大きな白百合を筆頭に、彼の目からは、小振りの白薔薇が、カスミソウが添えるように咲き誇っている。ただ、今までの規模を見てきた身としては、これなら許容範囲内か、と少し安堵していた。


「髪が明るい色ならいいかもしれないけど、ちょっと、暗くないかな? ま、いいか」


 くるり、と姿見の前で一回転してから、キャビネットの中に入っている旅行用バッグを持ち出して、後三着ほど中に詰め込む。

 もう少し欲しかったかもな、と、名残惜しく残りの衣服を撫でてから、台所にあるマッチと油紙を持ち出し、外に出た。




 正直なところ、まだ、思考に霞がかったような、現実感が掴めないような感覚があった。

 けれども、遠くで寄り添う二つの死体を眺め、幾ばくかの後悔と、もう永遠に逢えないという事実に対する寂寥感が、胸を焦がす。

 また間違えたのだろうか。もっと良い選択肢が、あったのだろうか。空回り、思考の隅に追いやり、逃避していた感情が、噴き出していく。


「……殺す気はなかった、はずだったんだけど、な」


 不意に、色んな父の姿が駆け巡る。笑っていた顔も、慰めてくれた手のぬくもりも、くしゃくしゃと撫でる乱暴さも。



 もう、何もかもなくなったのだ。

 もう、二度と手にすることも、出来ないのだ。



「……お父さん…………」


 じわりと、視界がぼやける。ふるり、と目の端で溜まっていたけれども、


「お父、さん……!」


 小さく叫ぶ声と共に、全てが決壊した。





 燃える。燃える。

 思い出が、温もりが、そして愛しい人が。全て燃えて、灰となる。

 家を中心に、辺り一面を焦がす炎は、なぜか衰えを見せず、眠る親子をも包み込んで広がっていた。



 旅行用バッグを抱えたイコだけが、それらを眺めている。



 消えるのだ。全て。思い出と共に。

 茫洋と眺めていたイコが、目前まで近寄ってきた炎に炙られ、ようやく動き出す。



「さようなら、ゼロ。……さようなら……父様…………」



 目の前の全てを目に焼き付け、おもむろに彼は背を向ける。



 もう、振り返ることはしなかった。


これにて完結となります。

中途半端なところで終わったと感じるかもしれませんが、この話はここまで、ということで。

ありがとうございました。

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