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モルモット  作者: 冷や奴
17/18

17

「久しぶりね、エイルス。……随分と、大きくなったのね」


 母がゆっくりとこちらに近寄り、イコの顔半分らへんしかない自分の頭の高さを測ってみている。


「エイルス?」


 先程から微動だにしない息子に気付き、つい、と頬を撫でた。びくん、とイコは無意識に手を弾いて飛び退く。衣服の胸元をしかと握り、探るように母の姿をしたそれを見た。


「……誰?」


「エイルス? やだ、小さかったから、私のこと忘れちゃったのかしら?」


「母の、姿をした、貴方は、誰?」


 イコの疑念に満ちた視線を受けながら、彼女は「そうねぇ」と、気にした様子もなく、のんびりとした様子で考え込んでいた。


「これがゼロの力だというのなら、貴方は、幻影のはずだけど」


「……そうねぇ。今こうしてあなたと話している私も、本来なら居ないもので合っているのかしら。でも、今、ここに居る。それだけで、十分だわ」


 そうして、イコの目を見て、もう一度笑い掛ける。


「だから、今のあなたの名前を教えてちょうだい、エイルス」


 どきり、とする。この問い掛けで、彼女が過去の投影であるという可能性はなくなった。イコは慎重に、彼女の様子を見ながら、


「……イコ。僕は、イコ」


 少しだけ、誇るように。自分という唯一の記号を、知らせるように、イコが答える。


「……そう。そっかぁ……。あの人も随分と可愛くない名前を付けるわねぇ。ね、イコ」


「なぜ、そんなにあっさりと受け入れる、の?」


 少しだけ感慨深そうな顔をしていたけれども、割とすんなりイコの名を受け入れた彼女に、戸惑うように訊いた。


「僕は、確かにエイルスかもしれない、けど。でも、僕自身は、エイルスの体に生まれた――死んでから生まれた、新たな自我で。だから、きっと、エイルスだけど、エイルスじゃない。僕は、本当は……本当なら、きっと、貴方の子供じゃない。……それなのに、どうして、僕を……」


「エイルス以外の子がいてはいけない、なんてわけじゃないでしょう? それにね、本当なら、もし私が死んでいなければ、エイルスには兄弟がいたはずだったのよねぇ」


「……兄弟」


「弟だったわ。エイルスは私が決めた名だから、今度はあの人に決めてもらおうと思ってたの。そしたら、一生懸命決めた名が何だったと思う?」


 思い出して、悪戯っぽく微笑んでいる。柔らかい色を湛えた瞳がこちらを見た。



「『イコ』って、言ったのよ。あの人。『イコ』って……」



「い、こ……?」


「イコ。私も、何でまた、そんな可愛くない名前にしたのかしらって言ったんだけどね。……だから、あなたの名前を聞いた時に、ああ、あの人は、この子をエイルスの弟の名を与えて、弟として生かしたのねって、少し納得したわ」


「……弟」


 そんなこと、考えたこともなかった。けれど、それが本当なら。

 死体すら残らずに消えた弟と、死体から生まれた自我を持つ自分を、そう見ていたのか。ほんの少し、希望がもたげてくる。


「……でも結局、僕自身を見ているわけじゃない。それに、名前なんて記号でしかない」


「そうかしら? 本当にあなたを見ていなかったのなら、あの人のことだもの、たとえエイルスの体であっても――いえ、エイルスの体だからこそ、あなたが二度とエイルスに住み着くことのないように、肉体を壊してから、あなたという精神が消えるのを待っていたのではないかと思うのだけれど……」


「それを、認めることは、出来ない。それは……その話が本当であれば、それは、エイルスが生き返るという幻想を打ち砕くこと、だもの」


「あの人は、本当は気付いていたわよ。とっくの、昔に。あなたと初めて相対した時には、もう」


「そんなの嘘だ!」


 そうであれば、あの時、父に拒絶されたことは、何だというのか。

 イコが身を切らせる思いで叫ぶ。こんなこと、認めたくない。認めてはいけない。

 けれども彼女は、少し顔を曇らせて、訥々と語り掛けるように続けた。


「あの人は、もうエイルスに会えないことを知っていた。でも、あなたを手元に置くためには、兵器以外の使い道を示さねばならなかったのでしょう。あなたを守るために、あの人は、嘘を吐いていたの。

 ――でも、その嘘に、少しだけ、自分が信じたくなったのかもしれない。少しずつ、その想いが大きくなって、あの人自身を狂わせたのかもしれない。

 ねえ、イコ。確かに当事者であるあなたからすれば、あの人の行ったことは到底許されるものではないでしょう。エイルスの複製体を作って、エイルスの死すら汚したことに対する嫌悪もきっとあるかもしれない。

 でも、忘れないで。最初は、本当にあなた自身を――『イコ』という、あなたを、守ろうとしていたということを」



 そんなことを。



 彼女に顔を見られたくなくて、思わずしゃがみ込んで丸くなる。顔を伏せ、堪え切れない衝動に抗おうと、歯を食い縛った。

 そっと、イコの頭を、ほっそりとした小さな手が撫でている。



 ――じわじわと込み上げてきて、目の端から、細い涙が一筋流れた。



「そん、な、こと。今さ、ら、言われ、ても」


「……うん」


「そんなの、僕、そんな、だって。まるで、それは、まるで」


「……大丈夫よ、イコ。あなたはちゃんと愛されていたの。……お父さんから、愛されていたのよ」


 その言葉を聞いて、とうとうイコは声を上げた。

 声を上げて、ぎこちなく泣いていた。




 泣き疲れてぼんやりとした頭で、母の影を見る。

 幻であり、現実でもある。ここにいるけれど、もういない。

 ふと、イコの中に、一つの可能性が浮かんでいた。


「ねえ」


「なぁに?」


 イコから敵意のない声を掛けられたことが、そんなに嬉しいのだろうか。不思議な感覚を覚えつつも、先程道で拾った四葉を、彼女に差し出す。


「あら、四葉のクローバーね。素敵」


「これ、さ、その……渡しておいてくれない? きっと、僕からじゃあ、受け取ってもらえないだろうし」


 彼女の動きが、一瞬止まる。ちら、と見えた、能面のように表情のない顔が、取り繕うように微笑みに変わった。

 イコは、彼女ではなく、その先を見る。


「……頼まれて、欲しい」


 彼女はくるりと四葉を回しながら、視線を落として「……いいよ」と、少し低い声で零す。

 その返事に、一先ずホッと一息ついた。おもむろに立ち上がり、


「僕、もう行くよ」


「……そう。なら、お別れね」


「うん」


 振り向き、もう一度母の姿を目に映す。少し寂しげな顔をしていたけれども、やっぱり彼女は口許に淡い笑みを浮かべていた。


「さようなら、母様・・


「さよなら、イコ。あなたのこれからの生に、幸あらんことを」





 また、代わり映えのない薄野原を歩く。けれども、確実に目的地へ――エイルスの生家へと、着実に進んでいた。


「ここまで、道がないわけでもなかったはず……なんだけど。記憶がそこまで劣化していたのか、もしくは……」


「ただ単に、貴方を迷わせたいっていう嫌がらせだよ」


 家までもう間もなく、というところで、前方から声が掛かる。

 少し大きめの、生成りのシャツと、紺のベストとズボン姿の、ゼロが佇んでいた。


「ゼロ」


「随分と、遅かったね。……いや、むしろしぶといと言うべきか」


 ゼロは若干呆れたようにイコを眺めている。その姿に、イコもまた、己の違和感を突き止めた。

 彼は、子供染みた癇癪を起こすことも、妄信的な様子もなく、ただただ冷静に、こちらを「視て」いる。

 ある種、同一人物なのだから仕方のないことではあるのだが、どこか、ウツロとも、アワとも被っていて、何とも落ち着かない気分だった。それに気付いているようで、ゼロも薄く口の端を上げている。


「……正直さぁ、分かってはいたんだよ。僕も、お父さんも。それから、貴方も。代わりなんて、どうやってもなれっこないってさ」


 薄を一本、ぶつり、と乱暴に引き千切る。


「貴方はずっと、見てきたから分かるだろうけどさ。……初期の『エイルス』達の死因は、決まってショック死だった。一番初めの段階ですら、超えられなかったんだ」


 イコは、無意識に小さく頷いていた。ちら、と横目でそれを確認したゼロは「でも」とさらに言葉を重ねる。


「少しずつ改良して、改良して――改変も、きっとして。本当にゆっくりとだけど、『エイルス』は化け物になることへの耐性が付いた」


 でも、ともう一度、ゼロが自嘲気味に零す。二本目の薄を、また乱暴に千切った。


「お笑い種だけどさ、化け物への深度が高まれば高まるほど、僕達は『エイルス』からかけ離れていっていた。お父さんが作るものは、結局『エイルス』に似た姿をしただけの、全くの別物だったってわけだよ。

 ……こんなことって、ある? 僕は……なら、僕は、何のために生まれてきたんだろう?」


 三本目の薄を千切り、くるりとイコの方へ向き直った。


「父様と、何かあったの?」


 ゼロの雰囲気に圧され、動けずにいたイコが、ここでようやく問い掛けた。探るように慎重な声だったからか、ゼロが小さく笑い声を上げている。しかし、以前のような、嘲るような声ではない。ただ純粋に、おかしそうに笑っていた。


「別に何も。でも、分かるよ。お父さんね、僕といても、やっぱり時々、寂しそうな、悲しそうな顔をしているんだもの。

 ……結局僕も『エイルス』にはなれなかった。どれだけ精巧に作ったとしても、完璧に記憶を移したとしても、理想の『エイルス』像を洗脳し続けたとしても、こんな風にどこかで綻びが出ちゃったわけだし」


 ゼロは、おどけたように両手を広げて、軽く肩を竦めている。


「今のその姿が、本来の君の姿だとでも……? 随分と豹変したから、胡散臭くてかなわないんだけど」


「……まあ、そうかもね。でも、分からないわけじゃないでしょ? 今までだって、あれだけたくさんの『エイルス』がいたにも関わらず、誰一人として同じ性格の『エイルス』はいなかったわけだし」


「だとしても……それが本来あったものというわけでもなさそうに、見えるけど」


 ふ、とゼロが嘲るような顔をしていた。四本目の薄を千切る。


「そう、だねえ。例えば、『エイルス』の偽物達の中にも、色んなのがいたよね。

 ――怯えが強く出る個体が、理知的な思考が強く出る個体が、庇護を求めるのが上手い個体が、やけに能天気な個体が……。どれも『エイルス』という本体から逸脱しない範囲での差異があって、全体的に見れば、皆同じ性質を持ってて。

 ただ、それらはお父さんが求める『エイルス』にはどうしても成り得なかったらしい。お父さんが夢見ていたのは、あの死んだ日から今までの時間を、あの家で過ごしていたと仮定して出来た、本来あるはずの『もしも』の『エイルス』なわけだからね。その点で言えば、実を言えば、僕も不合格だったりするんだけど……」


 少し先に見える、小さな石造りの屋根を見ながら、ゼロは続ける。


「お父さんの望む、死なないエイルスは、本来方便だったのにさ。叔父さんも、嘘だと知っていたから最初は干渉して来なかったのに、さあ。

 ……僕は、お父さんの才能を恨むよ。特出したあの才能さえなければ、そもそもこの国に居られなかったから、お母さんと一緒にどこかへ亡命出来た。この国に残って、研究者にまでなったとしても、化け物なんて作らなければ、この国に縛り付けられることもなかった。何より、死んだ子供の完璧な贋作を作り出す方法なんて思い付かなければ、貴方を見て後悔することはあっても、ここまでおかしくなることはなかったっ!!」


 少しずつ、淡々としていた口調が熱を帯びる。ぎり、と歯を食い縛り、ゼロはこちらを鬼のような形相で睨み付けてきた。


「僕だって、あのカプセルで漂っていた奴らを見て、恐怖に怯えない日なんてなかったさ! あれはもしかしたら自分だったかもしれないって! 意識すら目覚めることなく、死んでいくのは僕自身だったかもしれないって! 

 お父さんのせいで、僕は目覚めてから――もしくは、生まれたその時から、死への恐怖を抱えて生きなければならなかったんだ! おまけに、外れであればその内殺されるって? 

 死への恐怖から解放されたと思って死んだ『僕達』のことを、何だと思ってるんだ! 何だと思ってるんだよ! 僕は、僕達は、ただのモルモットじゃない! 生きてるんだ! だから、だからっ…………お願いだから、一人の人として、見てよ……。『エイルス』の影ばかり見てないで、僕を見てよ……」


 途中から嗚咽混じりになって、とうとうゼロは頽れた。掌で顔を覆い、泣きじゃくる。どこか幼くて、でも、等身大の姿を、初めて目の当たりにしたような気がした。

 イコも傍でしゃがみ、様子を窺う。

 こういう時、どうすれば良かっただろう。思い巡らせている間、ゼロがちら、とこちらを見ていた。


「もし」


 囁くような、ゼロの声が聞こえる。泣き濡れた顔が、赤い目元が、茫洋にこちらを向いている。


「貴方が、いなかったら、僕達は、死への恐怖を抱えて生まれることもなかったのかな?」


「……そんなの、詭弁だ。きっと父様は、僕が生まれなかったとしても、『エイルス』が死んだのなら、そのうち同じことをしていた」


「目の前で形として残っていなければ、諦めていた可能性だってあるじゃない? だから、さあ、僕はやっぱり――……」


 ゼロの手にある、四本の薄がぐんと伸びる。まるで意思を持つ蛇のように、うねり、しなるように素早くこちらに向かう。勢いをつけて、こちらも後方へ飛んだ。

 ゼロが薄を二本放り、もう二本を両手にそれぞれ持って飛び込む。大きく見開かれた眼と視線が合った。


「やっぱりあんたが嫌いだから、そのまま大人しく消えてくれる?」



 ひゅるり、とすぐ足元で、紐に似た音がする。右後方へ。今度は先回りをしていたもう一つの薄の蛇と、追い掛けるゼロの手にある鞭の一つが、左右から同時に来た。少し勢いをつけて、上後方へ飛ぶ。

 それを狙ったように、ゼロがもう一方の鞭を後ろに投げて、逃げ道を塞いだ。


「ぐ、ぅ」


 周囲から上手く植物が出せない。無駄に思えた周囲の幻影はこのためか、と歯噛みする。仕方なく右腕を犠牲に、ヤマフジを生やして急速に伸ばした。前方の二つを絡め取り、そのまま一足で前に飛んでから後ろの鞭蛇を薙ぎ払う。

 あ、と思い出した時には遅く、ひゅるん、と左足首を、初めに襲い掛かってきていた蛇が巻き付いていた。


「つーかまえたぁ」


 にんまりと、愉快そうにゼロが笑う。


「あんたの体、どうせボロボロでしょ? そこまでなってても、まだ人でいることにしがみ付くなんて、滑稽を通り越して哀れにも感じるけどさぁ。……その願いを打ち砕ければ、細やかな僕の憤りも、少しは収まると思うんだよねぇ」


「……気付いてた、んだ?」


「あれだけお得意の戦法を渋ってるの見れば、誰だって気付くよ。そんな成りで、しかも今更になって、化け物に変容するのを躊躇うようになるとはね!」


 ゼロがすぐ傍まで顔を近付け、吐き捨てるように言い放った。チクリと心に突き刺さるものを感じながら押し黙っていると、ゼロが手を肩に乗せ、指から櫛歯を生やして、内側の柔らかい肉を突き刺して押し進んでいく。


「今更だ。本当に今更過ぎる。それならお父さんが狂う前にでもそう思っていてよ、この愚図。その被害が誰に向かってると思ってんだよ、莫迦。本当にあんたはどうしようもない。判断が遅いし決断も遅いし行動も遅いし! 

 父様父様ーって後ろ付いて歩くだけでなぁんも考えなかったのもホント有り得ないよね。連番みたく都合の悪いこと省いた記憶植え付けられたわけでもないのに」


 酷い言いようだ。よほど腹に据えかねることがあったのだろう。


「……でも、そうしたくなる気持ちが分からないわけじゃないってのも、ホント、ムカつく」


 櫛歯を刺したまま、ゼロが勢いよく足を払い、バランスを取っている間に鳩尾を蹴り飛ばす。変に刺さったままの櫛歯が傷口を広げながら抜けた。

 しゅるり、と植物が内側から生えてくる気配がする。慌てて傷口の再生を止め、手で気持ちばかりの圧迫をした。


「ほら、傷付けばそれだけお前は崩れてくよ。次は心臓を毟り取ろうか? それとも、頭蓋を割って脳をぐちゃぐちゃに掻き混ぜようか?」


 ゼロの言葉に一々耳を貸していられない。ふ、と息を軽く吐き、大きく吸って、呼吸を止めて、今度はこちらからゼロに接近する。一瞬硬直した隙をついて、ヤマフジの枝で右手首を締め上げた。

 ゼロは、何の躊躇いもなく、囚われた右手を左手の櫛歯で突き刺してから切り落とす。とめどなく溢れる血が軽く振り上げた腕に幾筋も垂れたかと思えば、そのまま血の色をした、長く鋭利な櫛歯に変わった。

 出来合いの武器を器用に左手で何本か割り、こちらに飛ばす。ぐ、と顔を逸らすと、ちょうど米神に当たった。


「僕は植物化の代わりに幻影を手にしちゃったから、そっちみたく万能な攻撃能力はないけど。攻撃手段が少ないと、逡巡も少なく済むのは利点だよねぇ!」


 どこがだ、と内心で反論した。幻影でこれだけ力を使っておきながら、櫛歯をほいほい生成する力が残っていること自体が異常だ。



 ――どこかに、力の供給源があるのか?



 否、恐らく、これら全てが、丸ごとゼロの力だ。

 元々適性はなくとも、素養があった「エイルス」の体だ。それも、連番のような欠陥がない、特に力に秀でた個体だからこそ、ゼロは「ゼロ」と成り得た。

 であれば――……

 思考した一瞬、動きが鈍ったのがいけなかった。どん、と背後から腹まで、血の櫛歯が貫通する。ぐ、と息を詰め、再生しようと集まる植物で固定して折った。植物はそのまま枯らそうとして、上手くいかなくて、焦りが募る。視界の隅に映るゼロを蹴飛ばして遠ざけ、さらに飛び退いて、蛇がいない方へ距離を取った。

 櫛歯を乱暴に引き抜き、ぶつぶつと絡みつく植物を多少の肉と共に全て掻き出して投げ捨てる。

 遠くで憐れむように、愉悦の笑みを浮かべたゼロが悠々と歩いていた。


「可哀想に。そんなに苦しむくらいなら、完全な化け物になった方がいいじゃないか。なぜそこまで嫌がるの? まさか、あんな薄っぺらい言葉に感動して、人でいたいと思ったの? 偽物の母親なんかで!」


 ゼロの言葉をもう一度、無理矢理にでも理解することを止める。持てる限りの力を使って、速く、より速く駆ける。

 蛇が一匹飛び掛かる。毟る時間も惜しい。放置して、そのまま前へ。

 前へ、前へ。ゼロのあどけない顔が映る。そして。



 走る勢いそのままに、ゼロの胸に、櫛歯を突き立てた。



「…………あ、ぇ……?」


「お願い、もう眠って、ゼロ」


 くらり、とゼロの体が後ろへ傾く。絡みついて離れなかった蛇が、あっさりと解けた。腹の奥から込み上げてくる塊のようなものを、気持ち悪さを感じる。


「僕は、恵まれていた方だった、のかもしれない。君からすれば、命の危機がないことも、僕が僕として見られていたことも、殺したくなるほど羨むことだったのかもしれない。

 でも、結局最後に父様に捨てられたじゃないか。僕じゃなく、ゼロ、君を選んだじゃないか。確かに幻影に囚われて、君自身を見てくれてないままだったのかもしれないけど、でも、僕は。僕は――選ばれた君が、羨ましかった。

 人でないから認められないと、そう思った。今はそれだけじゃないけど、それでも、きっかけは、君だったんだ」


 は、と気が抜けたようにゼロが息を吐いた。


「莫迦じゃ、ない、の? なに、それ。僕の、苦しみ、知って、まだ……そんな、こと」


 大体、と、自身に突き刺さる櫛歯を掴んで、笑う。


「下手、くそ。心臓狙うなら、もっと、奥、右……」


 ごり、と肋骨に当たる音を発しながら、櫛歯の位置を調整して、自ら刺し込んだ。

 それから悪戯っぽくイコを見て、それからふと小屋に目をやり、


「ざまぁ、みろ、お父、さ、ま…………。僕、は、エイル、ス、なんか……じゃ……なく……ゼロ…………と、して………………」


 かくん、とゼロの首が落ちた。

 薄い、薄い、笑みを浮かべて。

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