11
シフの後をつけた日から、気まずくなって、彼と話す機会が減っていった。
向こうはそんなイコの心情も、変化も気付いていないらしい。どうすればイコを殺せるのか、調べることに夢中だった。
そして、しばしば感情の変化についていけなくなった時には、毎度のようにアリのもとへと赴き、呆れられながらもこちらの言葉を聞いてもらっていた。
「だからさ、あんまりちょくちょく来るの止めてよ。こっちまであんたと仲良しだと思われてんだから」
「嫌なの?」
「結構不快」
そう、と溜め息を一つ。
そう言う彼は、すっかり元気になったようだ。ただ、男の目を欺くために、まだ調子が悪いふりをしている。復調したと知られれば、すぐに国へと売り払われるからだ。
「聞いてくれるって、言ったのに」
「頻度が多いんだよ。他に言える奴だっているだろ。シフとか」
「シフは無理かなぁ。今、僕を殺すための兵器を作るのに夢中だもの」
は、とアリが惚けた顔をして、首を傾いでいた。
「……なんでまた?」
見れば、彼は怪訝そうな顔をしている。
「シフは父様が、大好きだから」
「だから?」
「役立つために必死になって、印象良くするために、本当の子供である僕と――大嫌いな僕と、いるんだよ」
多分だけど、と答えると、ふうん、と興味なさげに呟いていた。
むしろこちらを向いて、きゅ、と口の端を押し上げている。
「大嫌いなあんたとずっと一緒にいたなんて、何だか凄いね。ずっとずっと、周りを欺いて、自分の気持ちを欺いて、そうまでしてでも、あの男のことだけを思ってたのか。……そりゃいつでも仮面みたいな笑みを作っていられるわけだ」
「そう、だね……」
思わず言葉に詰まる。
どうしてだろうか、まだ胸が痛い。
結局、シフが嘘ではなく、本当にイコを友と認めることは、終ぞなかった。
「いつだったかな、僕とウツロが武器を選んだ日があったね。首に血で横線引かれて、頭から花、わさわさ咲かせてたアレ。もしかして、アレもあいつがやったの?」
とんと、イコの白い首を突いて、アリは少しだけ目を細めて問い掛けた。
思わずこくりと頷きながら、漠然と記憶を掘り起こす。
ウツロがこちらを視認した状態で、初めて会ったあの日。
検問部屋に寝床の遮光カーテンをわざわざ持って来て引いて、暗闇の中でピアノ線が首に食い込むように張られていたのだ。イコは全く気付かず歩みを進め、見事に引っ掛かって、首がちょん切れた覚えがある。
皮膚がくっ付く時の痒みを思い出して、無意識に首を掻いて、
「割とよくあることだったから、そんなに気にしてなかった、かも」
「へえ?」
「それに、シフが僕を嫌ってることは、父様も知ってた、から。気にしないでいいんだって思ってた」
「へえ……。なんか、さ」
「うん」
アリは目を伏せてぽつりと。
「なんか、虚しいね」
「……そう、なの?」
「だって、嘘ばかり吐いて疲れて、あいつは結局報われないみたいだし。まるで道化みたいに踊ってるだけだ。……あいつだけじゃないけどさ。皆報われないことをしているような、そんな気がする」
「皆、て」
「お前も、僕も、お前の『お父様』も、他の奴らも。皆、だよ」
男に呼ばれて、実験場へと歩を進める。
――あの男だって、過去に追い縋って、それ以外なんて見向きもしてないけど……
思い起こすのは、先程会話をしていたアリの言葉だ。
――あいつは、今のイコじゃなくて、幻想の息子を見てるだろ? 傍から見たらこっちだって道化じゃないか。でも、きっと、少なくとも本人にとっては、そうじゃないんだろうね。本気でやってるから。
扉を開ける。実験場には、三人の少年少女と、男がいた。
「遅くなりました」
扉を閉め、中を見渡す。と、視界の端に誰かの影が見えた。
視線を移し、内心驚く。シフがいる。
男が機嫌良さそうににやにや笑って「遅ぇぞ」と文句を垂れた。
ゼロが目覚めてから、ずっとこの調子だ。何も知らない実験体達が気味悪がる程度には、男は終始にやにやと笑い続けていた。
イコがそっと男の後ろに回る。部屋の隅で、壁に凭れて眺めるシフと目が合った。だが、彼はすぐにふいと視線を逸らす。こちらよりも、この実験の方が気に掛かるらしい。
本日はこの三人の実験体の、第四段階目――副能力を手にするための実験だ。
前回よりは人数も少ないため、失敗したところでイコの負担も、そうそうないだろう。
問題は、シフだ。
今まで何の動きも見せず、表面的だけだとしても、その感情を気取らずにいたはずの彼の、ここ最近の動きようには目を見張るものがあった。
恐らく、シフは彼と結託したのだろう。互いに利害は一致している。だからこそ、なるべく二人きりにはせずにいたのだが……。
あれはやはり失敗だったかもしれない、と内心反省しつつ、側に逃げた器がいないかを流し見る。
――やはり、ここには連れてこない、か。
機嫌のいい男は、シフのことなど全く気にも留めていなかった。居ても居なくても変わらないからだろう。でも、シフはきっと、それに気付いていない。もしくは、気付かないふりをして誤魔化しているのかもしれない。
三人が副能力を選択している中、シフが何か考えるように中空に視線をやっている。
その顔に、いつもの笑みはない。最近はずっと、表情を繕う暇もないのか、ずっと能面のような無表情ばかり見ている。そしてこちらを見る瞳が、一層強く色を帯びているのだ。
殺される直前のウツロを思わせるような、強い憎悪。
「隠すことも、しなくなったのか。隠す必要も、なくなったのか……」
いずれにせよ、それはつまり、相手が動き出すことに他ならない。
恐らく、ほとんどの準備は整っているのだろう。
「無駄なのにね」
実験体の少女が振り向く。聞こえていたようだ。
「気にしないで」
彼女に小さくそれだけ言って、また取り留めもなく思考の海に身を浸す。
少女は少しだけ首を傾ぎ、それから「薔薇の……?」と呟いてから、軽く会釈して戻っていった。
三人が無事副能力を手にし、戻っていった後、シフもまた足早に部屋を出ていこうとしている。
「シフ」
思わず声を掛ければ、彼は少し眇めるような目付きをして、それからすぐに表情を取り繕って朗らかに返事をした。
どうしようか。何も考えず、衝動的に出て来た言葉だった。だが、何でもない、で終わるのは何だか嫌だった。
だからイコは、
「僕、は、僕には、まだ分からないけれど。ねえ、そんなにも、色んなものを投げ打ってでも、望むものなの?」
つい、見て見ぬふりをしようとしていたはずの、シフの核心をついていた。
瞬間、シフの顔から表情が消えた。
やってしまった、と気付き、内心慌ててさらに言葉を重ねる。
「いや、ごめん。何でも……」
「お前には分からないだろうな。全て持っているのに、その上で暢気に胡坐掻いているような、お前には」
彼は、聞いたことのないような、低い声で、唸るように呟いた。
「先生を、父と呼べることが。たまたま先生の息子だったから、絶対見捨てられないということが。たまたま、上手くいっただけで、お前自身の努力なんて何一つないくせに、強い力を得ていることが。
――どうしようもなく、憎いさ。お前のこと。殺せるのなら殺したいよ」
でも、とシフは続ける。暗く、うっそりとした笑みを浮かべていた。
「それももう、終わるんだ。せいぜい今のうちに、家族ごっこでも何でもしてるといいさ」
「終わる? ということは、君は僕の身体のネタを暴いたんだ?」
彼は、思わずというように鼻で笑っていた。せせら笑う顔は、悪意がくっきりと浮き彫りになってて醜く見える。それでも、それはシフにしっくりと馴染んでいた。
本当は、心のどこかで、まだ期待していたのかもしれない。縋るように、あの心地よい関係を求めていたのだろう。
でも、もうおしまい。失望はない。ただ、漠然とした寂寥感が残る。
イコは軽く目を伏せ、そう、と呟く。
「じゃあ、頑張ってね。きっと、僕が動けるうちじゃないと、君にとって意味がないんだろうし」
挑発と受け取ったのだろうか。見ると、シフの顔は赤らんで、鬼のような形相でこちらを睨み付けている。
「……この疫病神め。早く消えてしまえ」
苛立たしげに壁を蹴り付け、今度こそ彼は足早に去っていった。
シフが消えた道を眺めながら、そっと首筋を撫で擦る。
「ねぇ、シフ。僕の身体は、君が思うようなものじゃないんだよ」
無理矢理生かされたような、死んだまま生きる身体。恐らく、遅々として進まない体の成長に、彼らは本来の能力を見誤っていたのだろう。
成長してしまったがゆえに、不死だと勘違いしたのだ。
「……まあ、数百年程度なら、耐えられるのかな。三百なのか、五百なのか、はたまた百年と少しで駄目になるのか、それは僕にも見当が付かないけれど」
ついと指先を尖らせ、首筋に突き刺す。肌の弾力で少し引っ掛かり、そのまま一足に貫いた。
瞬間。
背に、腕に、腹に、顔に、恐らくは内部にも侵食するように――彼の植物が、細い体を培養に生えてくる。
思考を止めれば、抵抗することを止めれば、この体はすぐにだって植物に飲み込まれる。年々強くなっていくそれは、最早呪いだ。一つの願いを養分にして、日々侵食度を増す、呪い。
死ぬ間際に残した「エイルス」の最期の願いを。
「 」と――それだけの。
勝手だな、とエイルスを嗤った。同時に、自分自身にも嘲笑う。
「早めに見付かるといいね。僕が、根付いて動けなくなるよりも前に」
すぐに自身の力を押さえつける。乱れ咲く花々が枯れ、萎れていく。
彼は自身から生えるシロツメクサを、丸ごと口に入れた。
「願いが器を満たしたその時に、きっと『僕』は死んで――永遠に生き続けるだろうから」




