16話 兄が好き
夢を見たか、定かではない。
エゼキエルは前世のことを思い出した。
怒りはなく、心は寒々として空虚だった。目を開けた時、まつ毛に霜が降りていたかもしれない。
意外にも、現実は温かくエゼキエルを迎えてくれた。窪地に届く陽の光がまぶしい──
朝が来ている。エゼキエルは、がばっと跳ね起きた。
ザカリヤの使い魔は起こしに来なかった。まだ、ディアナは見つからないのか。サウルたちは何をやっているのか。
サムが足元で火を焚いていた。骸骨でも暖を取りたいのかと、エゼキエルは首をかしげそうになって、自分のために焚いているのだと察した。
「どうして起こしてくれなかったのだ?」
「急くな。戦勝会が開かれるのは正午。充分、時間はある」
「朕は人間ではない。火は不要だ」
「さようか……寝てるときの顔が寒そうだったのでな? あっても、邪魔にはなるまい」
キキキ……サムは無機質な鉄仮面を向けた。
余計なことを──と、エゼキエルは親切を突っぱねるような真似はしなかった。エゼキエルにとってサムは、サウルにとってのザカリヤと同等だ。
「サウルたちは捕えられたか?」
「罠に落ちたかもしれぬ」
「ついてきてくれるか?」
「当然のこと」
決まりきったことを聞いたのは、答えが聞きたかったからだ。
「そなたはもう死んでおるが、自由を奪われる可能性はある」
「この期に及んで、怖れることはない」
「いいのか? せっかく番人の役目から解放されたというのに……」
「戦士は出陣のまえに“もしも”を考えぬのだ」
サムは頑なだった。身勝手に付き合わせてしまい、エゼキエルは申しわけなく思う。
現世で目覚めて以来、サムはよく尽くしてくれた。人間の剣技を教えてくれただけではない。現世のことを手取り足取り教えてくれた。そして、よき相談相手でもあった。
──ティムはいい奴だが、アホであるからな……サムがいてくれるのは心強い
現世の兄の存在は絶大な安心感を与えてくれた。
「身だしなみを整えねば」
サムは喉の辺りから「ピーッ、キィィ……」と、口笛ならぬ骨笛を鳴らした。
ゾワゾワっと魔の気配が漂い、窪地の地面が波立つように揺れた。地表にピキッとひびが入ったかと思うと、裂け目から白い指骨が見える。盛り上がった地面が細土を撒き散らしたあと、骸骨が這い上がってきた。
サムは澄ました声で状況を説明した。
「アニュラスの大地の至るところに死者は埋まっている。しもべを得るのには不自由せぬ」
戦禍の跡がこのような形で役に立つとは。サムは完全に闇の世界の住人だ。
這い上がった骸骨はサウルの置いていった荷物から櫛を取り出し、エゼキエルの頭髪を整え始めた。
衣服についた塵を払い、顔を拭う。手ぬぐいをサウルの水筒で濡らした。
「人間とは面倒な生き物だな? 外的な力を加えぬと、体裁も整えられぬのか?」
「力を持たぬ代わりに工夫を凝らすのだ」
「そして、従者の代わりがそなたとは頭が痛い」
「我は従者ではなく、護衛役である」
サムが平然と答えるので、エゼキエルは絶句した。“役”であっても、小物にはなれないらしい。貧弱なユゼフの見た目では、エゼキエルのほうが従者に間違えられそうである。
「朕が従者役を務めようか?」
ふざけて言ってみたところ、「それも妙案かもしれぬ」と、真面目に返してきた。
どんな場面であろうとも、サムは謙虚に振る舞えないらしかった。エゼキエルのほうが臨機応変に対応できるぐらいだ。ドゥルジの城へ行った際、従者役は経験済である。
しかしながら、主の役が重装備の鉄仮面では怪しすぎる。結局、護衛役を務めてもらうしかないだろう。
「ティム以上に困ったしもべだ」
「世話の焼ける主である」
ぼやけば、言い返される。
地面に敷いていたマントの汚れを叩き落とし、エゼキエルはサムに装着してやった。
「ユゼフのようで、かわいげがある」
骸骨はご満悦になった。
サムが尊大だろうが、エゼキエルは不快には思わなかった。サムの態度は強さと潔い生き方に裏付けされたものであり、虚栄ではないからだ。
「こんな偉そうな骸骨は見たことがない」
「ふふふ……人間の時も同じことを言われていた」
サムの前では気負わずにいられた。エゼキエルは思ったことを飾らず、そのまま口に出すことができた。
「いつか、生死を懸けることなく、ザカリヤやアスターと武を競い合ってくれるか?」
サウル親子に言えなかったことが、サム相手になら言えた。サムは少時、間を空けた。
「よかろう。戦のまえに行く末を量るは不吉に通じ、弱き者の振る舞いとも言われる。だが、我も甘えを斥けるほど狭量な兄ではない。誓いがおまえを安んじるなら、それもまたよい」
エゼキエルは自身の弱さを恥じたが、同時に気が安らいだ。この骸骨が兄であり、しもべで本当によかったと思う。
「サウルの怯懦が伝染ったのかもしれぬ。煩わせてしまい、面目ない」
「気遣うには及ばぬ」
それから、エゼキエルは魔紋伝令の意識に入り、指示を伝えた。
エゼキエルが戻って来られない場合は使い魔を遣わす。使い魔も来ず、翌日になった時は退却せよと命じた。木の上で飛空部隊は、首を長くして待っていることだろう。
「無駄足になってしまったら、気の毒ではあるな……あっ、サウルの荷物も回収してもらわなくては……」
指示を出したあとは装備の確認をする。宴会場では、儀礼用以外の帯剣は不可だ。肌身放さず持ち歩いているダガーが役に立った。グリンデル水晶のはまった豪華なダガーは、飾りにちょうど良い。
愛剣月読は封じていたバジリスクに背負わせることにした。魔瓶から出して、装備させるのは少々厄介だ。狭い窪地はバジリスクに占領された。
吠えないよう人差し指を口に当て、月読を縄で固定する。なぜか、エゼキエルは上手く結びつけることができた。前世より指先が器用になったようだ。
やることを終えると、エゼキエルは迷い馬を呼び寄せた。サムが死者なら、こちらは足だ。
凱旋後の慌ただしさで、何頭かはぐれたのだろう。鞍付きと簡単に接触できた。
「では、参ろう!」
窪地を出て、エゼキエルとサムは馬にまたがった。サムのおかげで、真昼の太陽の下でも堂々としていられる。
丸一日滞在した草原の暗部から、熾火の煙が昇っていた。まるで、人間が残した跡のようだと、エゼキエルは頬を緩ませた。
「何がおかしい??」
「異形二体なのに、妙に人間らしいと思ってな?」
「人間の城に入れば、我らも人間になる」
サムの言葉はいつでも洗練されている。
エゼキエルは体を少しだけ前傾させ、馬に進めと合図した。
草原を駆け抜け、王都へ入る。街はお祭り状態で雑然としていた。
エゼキエルは人いきれが苦手だ。人間が瘴気に当てられた時と同じで、気分が悪くなってしまう。
動物と異なり、人間の感情は複雑。不純物を多く含んだ精気はドロッとして流れない。人が集まると、欲望や醜い感情が充満する。敏感なエゼキエルは酔ってしまうのである。
人々の精気から逃げるように、馬を駆けさせた。
城まで続く道は渋滞していた。
丘の表層を巡る螺旋状の道に、延々と馬車の列が連なっている。エゼキエルとサムの馬はその横を過ぎていった。
頂上にそびえる城は、三百年前にも見た覚えがある。
奥の主殿と後殿に向けて、密着する建物が巻貝のように渦を巻きながら、高くなっていく。
二棟の御殿に挟まれた四本の尖塔が、青空を刺していた。




