80話 守人の契約を解除する
女王の間ではすでに準備を整え、ディアナが待ち構えていた。
祭司を中心に祈祷師、神官が数名、玉座の脇に控えている。楽団が左右の壁際で音合わせをしていた。
金糸の縫い込まれた豪華な絨毯を歩いていくと、玉座が据えられている。シーマの姿を確認したディアナは立ち上がり、姫様時代と変わらぬお辞儀をした。女王の威厳とは、ほど遠い。
わからないこともないのだ。シーマもエゼキエルが城に来た時、どう扱えばよいか悩んだ。王が自分と対等な者と接する機会は少ない。ましてや、シーマたちは経験が浅いうえ、王になるための教育を受けていなかった。
元妃との思いがけない共通点に親近感が湧き、スムーズに挨拶を終えることができた。ディアナの幼い顔に憂いと好奇が見え隠れしていて、敵意はないと安心したのもある。加害するつもりなら、もっとしたたかで自信たっぷりな顔つきになるはずだ。
シーマは極めて紳士的に接した。ディアナもぎこちないなりに、女性らしく気遣ってくれる。
祭司が儀礼の言葉を述べ、楽隊が静謐な音楽を奏で始めた。鈴の音が心地よく、ハープの作り出す旋律が空間全体を支配する。体が浮き立つような感覚は、音がもたらすものだ。微かな振動が心の琴線に触れる。
祈祷士たちが祈り始め、ディアナと向かい合うミリヤの周りに光が満ちた。精霊が降りてきたのである。
光のカーテンが玉座を覆い、シーマは目を細めた。既視感がある……前世で体験しているはずだ。シーマの守人はアオバズクにいて、シーマの代わりに国を守っている。
音の源──楽士の指先から光の粒が飛び散り、闇を喰らう。音と光が共鳴しあい、膨らんでいく。美は時に無情だ。
「汝ら、永遠に続く守護の契約を解除し、双方の合意のもと決別することに合意するか?」
祭司の問いかけに、ディアナが応じ、続いてミリヤが「合意します」と小さな声で答えた。小卓の上に置かれた聖典に手を重ね、女たちは顔を見合わせる。ミリヤは顔を歪め、嗚咽しだした。ディアナは唇を噛んで、必死に落涙を堪えている。
重ねた手の甲には、三つ首の犬鷲──王家の紋章が浮かび上がる。
音楽が止み、室内が静寂に包まれると、光のカーテンがサァーーッと上がり、広間は元通りの薄暗い空間に戻った。西側の格子窓から光芒が差し、夢のあとのような名残りを感じさせる。
手の甲に浮かんでいた紋章は消え、ミリヤは泣き崩れた。
ディアナはそんなミリヤに合わせて、しゃがみ、抱擁した。
「泣くことないでしょ? おまえはもう自由だし、戦う必要もないんだから、好きなように生きればいいわ」
そう言うディアナの碧眼にも涙がにじんでいる。
思いがけない発見だった。シーマは彼女のことを長い間、誤解していたのだ。知ろうともしなかったし、何も知らずにいつも非難ばかりしてきた。
冷酷、意地悪、高慢、幼稚……そんな女のイメージが一新される。ミリヤを抱きしめるディアナの横顔は女神のように気高く、慈愛に満ちていた。
強引に主従の関係を引き裂いてよかったのだろうかと、後ろめたい気持ちにもなった。ヴィナスを死なせたことの罪悪感から、ミリヤが従った側面も否めない。
こういう時、シーマは胸の疼きを無視し、罪のない第三者を装うことができた。
「今まで、ミリヤと一緒に歩んでくれてありがとう。これからは、俺がミリヤを幸せにするよ。必ず守りぬくと約束する」
白々しい言葉にディアナは頭を下げ、ミリヤをふたたび抱きしめた。
美しい女たちが涙を流し、離れがたくしているのは憐憫を誘う。髪が乱れるのも構わず、素顔をさらけ出す彼女たちは周りのことを気にする余裕もないほど、高ぶっているのだろう。本人たちの意識しないところで、艶っぽかった。見ているほうは、のぞき見をしているような、やましい気持ちになる。
しかし、額をくっつけ合わせ、再会の約束をしている場面には疑念が湧いた。
──女同士とはいえ、まるで、恋人のようではないか!
キスでもしそうな勢いなのである。
そういえば、結婚前のディアナにミリヤが性指導をしていたとしても、おかしくない。女同士で性的なことを経験していた可能性は、充分有り得るのだ。
シーマは淡い嫉妬を覚え、咳払いをした。いい加減、終わりにしてほしい。すると、背後から声をかけられた。
「陛下。急なことで申し訳ないんですが、ミリヤをしばらく、この城に宿泊させていただけないでしょうか?」
振り向くと、申し訳なさそうにしているどころか、臨戦態勢さながら、眉を釣り上げているイザベラが目に入った。
「おわかりのように、ディアナ様とミリヤは固い絆で結ばれております。無理に引き離すのは、かわいそうですよ。そう、お思いになりません?」
「愛する女を敵地だった場所に置きざりにはできない」
「ミリヤにとっては、敵地ではございませんよ? どうしても心配なら、陛下もご一緒されては?」
無茶を言う。シーマは顎をトントンと叩いた。機嫌が悪い時や考える時の癖だ。ヘリオーティスに汚染された城には泊まりたくない。これまで、数え切れないほどのヘリオーティスを殺してきた。今も彼らの復讐心は消えていないだろう。
「こんなヘリオーティスだらけの城に泊まれるか!」
シーマは正直に訴えた。冗談じゃない。寝首を掻かれたら、どうしてくれるのだ? イザベラは暗い表情になり、声を出さずに唇を動かした。
「意気地なしのチキン野郎……」
聞こえはしなくとも、言っていることはわかった。やはり、憎たらしい女だ。しかし、何を言われようが溺愛するミリヤを奪られたくない。
シーマは無礼なイザベラと視線をぶつけ合い、一触即発となった。
「わたし、帰るよ! シーマと一緒に!」
ミリヤがディアナから離れて、シーマの隣に戻らなければ、イザベラの凄まじい口撃の餌食となっていたかもしれない。シーマはホッとして、ミリヤを軽く抱擁した後、ディアナにふたたび礼を言った。
「すまない。もう少し、落ち着いてから、うかがおうと思う。まだ、グリンデルの件も片付いていないし、完全に平和が訪れたとは言い切れないだろう?」
「構わないわ。でも、これだけは約束してちょうだい」
ディアナは濡れていた頬を指で拭った。
「新しい主として、ミリヤを幸せにすること。今まで、この子は私のためだけに生きてきた。でも、これからは自分のやりたいことを見つけてほしいの。この子が興味を持ったことは、なんでもさせてあげて」
シーマはうなずいた。騎士団に入れてやるのは無理だが、それ以外は叶えてやってもいい。
細いミリヤの腕を自分の腕に絡ませ、別れの挨拶をした。
帰りは緊張しなかった。ディアナが卑怯な真似をして、シーマを陥れることは二度とないだろう。心の中に入らなくてもわかる。彼女はもう憎んでいないし、報復してこない。
瀝青城は暗い要塞から、明るい宮殿へと生まれ変わるのだ。硬くて冷たい石の壁には漆喰が塗られ、壁紙が張られる。狭間には窓ガラスがはめ込まれ、天井からはきらびやかなシャンデリアが吊り下がる。
職人たちが、てんてこ舞いするのを横目に、シーマは回廊を突っ切った。
城の外へ出ても、工事特有の音は鳴り止まなかった。外ではひっきりなしに工事夫が行き来し、建築をしている。城下には街が形成され、新たな人の流れを作ることだろう。
シーマは変わろうとする城を目に焼き付け、馬車へと向かった。御者が扉を開けて待っている。
ミリヤが先に馬車のステップを上がった。
「派兵をお願いできないだろうか?」
唐突だった。振り返ったミリヤは、涙のあとが残る顔に不安をにじませている。
「サウルたちが留守にしているのが気にかかる。城の防衛が心配だ」
「時間の壁があるし、攻め入られることはないだろう」
何を心配しているのかと、シーマは笑い飛ばした。エゼキエルは、グリンデルとの決着がつくまでは時間の壁を保つと約束していた。
「万が一、グリンデルが攻めて来ても、直接瀝青城を攻撃することはないよ。ここから、どれだけ離れてると思うんだ?」
グリンデル騎士団及び王軍の本部は、北部の王都にある。瀝青城を攻撃するには、数千スタディオンも下っていかねばならない。
「でっ、でも、心配なんだ……なんだか、妙に胸騒ぎがして」
自分が無茶を言っているとわかってか、ミリヤはうなだれる。理性的で男のような物の考え方をする彼女にも、隙があったのかとシーマは嬉しくなった。そんな彼女を愛おしく思う。
「第一、時間の壁を抜ける方法なんて、いくらでも……わっ!きゃあぁ!」
彼女を抱きかかえることで、話を終了させた。頭を打たないよう気をつけ、馬車の中へ潜り込む。
「心配性の恋人はキス攻めの刑に処す」
御者が扉を閉めるのを待たずに、ミリヤの唇をふさいだ。困難を乗り越えて得たキスは甘い。
今のシーマにとっての最優先事項は、恋人との大切な時間だった。
対立を続けていた三人の王と和睦を結ぶことができたのである。三百年も続いた人間と亜人の戦いは終わりを迎え、行方不明の息子は返ってきた。やがて、時間の壁も消えるだろう。アスターは騎士団に戻り、エゼキエルはユゼフの記憶を取り戻す。
何もかも、うまくいくような気がしていた。




