81話 クレセント②(シーマ視点)
シーマは剣を抜いた。弓なりに反ったクレセントは銀色の光を放つ。
カオルとウィレムは喫驚している。目を剥いて、クレセントを凝視する顔が滑稽だった。シーマの機嫌は少しだけ回復した。
「そりゃ驚くだろう? イアンがこれにそっくりな偽物を持っていて、俺も驚いた。この剣は三百年前、ガーデンブルグ王家から、我がシャルドン家が賜った物だ。エゼキエル王がエデンへ行った際、手に入れた物と聞いている。エデン語で“カタナ”というのさ。切れ味は骨をも裂くほど鋭い」
妖しい光を放つ刃に、カオルとウィレムは釘付けにされる。
「さて、今からいくつか質問をする。正直に答えなければ、どうなるかわかるな?」
シーマは笑みを浮かべ、宣言した。狼狽するグリンデル人たちには、ジェフリーが弁解する。こういう時、黒髪直毛優等生は役に立つ。
「この二人はイアン・ローズの家来だった者たちです。ローズ城に詳しいので連れてきました。剣を抜いたのは嘘を見抜くためです」
シーマは刃先をカオルとウィレムに向け、
「まず、ひざまずけ」
と、厳かな声で命じた。
広間にはグリンデル人、シーマとジェフリーの他はカオル、ウィレムしかいない。丸腰でも抵抗される可能性があった。シーマが平然としていられるのは、彼らが虫けらだと確信しているからだ。
「一つ目の質問。イアンとサチ・ジーンニアはこの城のどこかに潜んでいるか、否か? いないにしてもいるにしても、納得できる理由を述べよ」
この質問に対し、答えたのはウィレムだ。顔を強張らせていても、反応できる点は誉めてやりたい。
「イアンたちは、いません……理由はイアンの鳥のダモンがいないからです」
「鳥?」
「醜く騒がしい鳥で、イアンはなにより大切にしています。逃げたのなら、ダモンも必ず連れて行くはずです……この城に残っていれば、騒がしい鳥なので気配で気づきます」
「醜い鳥をそんなに大切にしているのか? あの唐辛子頭が?」
「ええ。十歳の誕生日に贈られたそうです。イアンが喜ぶようなメッセージを添えて、毎年誕生日に匿名でプレゼントを贈って来るんですよ。二十歳の時には、白馬をプレゼントされてました」
「喜ぶメッセージとは?」
「おれが聞いたのは「あなたの美しい髪が愛おしい」とか……それからイアンは髪を伸ばし始めたそうです」
シーマのうしろで、ジェフリーが吹き出した。これは笑える。外見を馬鹿にするのはよろしくないが、イアンの赤毛は美しくない。
「こら! 笑ったら、かわいそうだろうが!」
シーマはジェフリーを注意し、ウィレムに向き直った。
「奴らがここにいない理由としては弱いが、おもしろいことを聞いた。そのダモンという鳥を見つけたら、イアンの目の前で毛をむしり、串刺しにしたあと、丸焼きにしよう」
シーマはウィレムからカオルに視線を移した。ウィレムはわかりやすい。ペラペラ話すことで、馬脚を現すタイプだ。何も隠し事をしていないときは、どうでもいいおしゃべりに転じる。なにか隠しているのは女みたいな顔のこいつ、カオルのほうだ。
「二つ目の質問だ。人質の正確な人数を言え」
シーマは視線をウィレムへ戻した。今度は軽薄なウィレムも、注意深く言葉を選ぶ。とたんに歯切れが悪くなった。
「おれはイアンと共に王城へ突入したので、瀝青城にいた捕虜や人質を移送した件には関与してません。最初、人質はもっといたんですが、何者かに毒を盛られ、五人の王子が亡くなったと聞いています」
毒を盛ったのはガラク・サーシズの配下だ。シーマが黒幕だと知らぬウィレムは、調子を崩さず話し続ける。
「だから、おれの知る限り、この城へ移送されたのは、グリンデルのお客様二人とイザベラ・クレマンティとシーラズ卿だけです……あ、シーラズ卿だけは王城へ向かう途中に人質移送組へ送りましたが……」
ウィレムの話が終わると、シーマは鋭い視線をカオルに浴びせた。
「カオル・ヴァレリアン」
カオルはシーマの目を見ようとはしなかった。かわいそうなぐらい怯え、唇まで白くなっている。長い睫毛が震えるさまは憐憫を誘った。ただし、女だったらの場合だ。
「おまえは人質を移送してから、ずっとここにいた。ホモのリンドバーグを寝返らせ、ジニア|(サチの愛称)とイアンが我がシーラズ城を襲撃するまでは」
カオルは下を向き続けている。シーマはクレセントの刃先を、カオルの眼前にちらつかせた。
「カオル・ヴァレリアン、おまえに聞く。人質の数は何人だ?」
「……」
「顔を上げろ! そして答えろ! 嘘は許さない」
顔を上げたが、カオルの茶色い瞳は泳いでいる。よく見ると、虹彩の回りに緑が滲んでいて金緑石のようだ。うっかり見入ってしまいそうになる。
たどたどしくカオルは答えた。
「……城を……おとなしく明け渡せば……命は助けると……」
「それはその時の話だ。今はまた別の問題が生じたので、おまえの裏切り如何によっては、命の補償ができなくなった。さあ、何人だ? 答えろ!」
「……三人だ」
シーマはキレた。プツッと。
素早くうしろへ移動し、ソファでことの次第を見守っていたボワレ大使を刺した。皆が唖然とするなか、凶行に及んだのである。
強い怒りに支配されながらも、冷静な自分も残っている。ゆえに凶刃はカオルではなく、情報を持たぬ部外者へ向かった。隣に座っていたベナール大臣が驚きと恐怖で、ソファから滑り落ちる。
「血迷ったのか!?」
叫び、這うように逃げるベナール大臣の背中ををシーマは斜めに斬った。鮮血が飛び散り、ソファと床は血まみれになる。さらに肩甲骨の間を刺し貫いた。
そこで、ボケッとしているジェフリーに気づいた。
──使えん奴め。主だけに汚れ仕事をさせるつもりか?
「ジェフリー、そっちのとどめを頼む!」
シーマが言ってやると、やっとジェフリーは我に返った。ジェフリーの剣は針のごとき細剣である。シーマは彼を見栄えと従順さだけで、連れ歩いているわけではない。剣に関しては相当の腕前だ。ジェフリーはシーマの用心棒も兼ねている。
血まみれの胸を押さえ、逃げまどうボワレの首をジェフリーはひと思いに刺した。見事、一撃で仕留める。
シーマは骨に引っ掛かった剣を抜くため、大臣の背中を足で蹴り倒した。うつ伏せに倒れた大臣はまだ、もがいていた。
肉と金属が擦れ合う音に鳥肌が立つ。有機物と無機物は相性が悪いのだろう。ドジュッとか、ズシュッとか、グジュッとか……気持ち悪い音だ。それなのにゾクゾクしてしまう。シーマはその音を何度も味わった。何度も何度も……
繊維が鉄に擦れる。血が飛び跳ねる。骨に当たる、ゴンッ! 血管が千切れる、プツン!
シーマはもがく大臣の背中を、動かなくなるまで滅多刺しにした。
ジェフリー、カオル、ウィレムの三人は、その様子を突っ立って傍観した。
「一太刀でやるのは、なかなか難しいな?」
上衣の袖で、顔に飛んだ血をシーマは拭う。
「ガラクの時もそうだった。一度では死なず、汚い血で服を汚してしまった。ジェフリー、おまえの腕前に敬服する」
ジェフリーは無言だ。口の端がピクピク痙攣している。
──ああ……残念だ。おまえは人間だったな?
シーマは少しガッカリする。ここにいるのが、ユゼフだったらどんな反応をするのかと、つい想像してしまう。ユゼフは自分をここまで暴走させたりしないだろうが。
「なに、心配いらない。馬鹿イアンが捕虜を殺したことにすればいい。誰も疑問に思わない」
シーマはジェフリーを安心させるべく、優しい言葉をかけた。しもべを気にかけるぐらいのことはする。ジェフリーがユゼフに比べて無能だからといって、冷たくしたりしない。シーマは寛容なのだ。だが、嘘つきには厳しくあたる。
シーマはカオルに向き直った。
「さあ、もう一度だけ聞くぞ。人質は何人だった?」
血に濡れた刃をカオルの顎に当て、顔を上げさせる。
カオルはガタガタ震えていた。今にも、漏らしそうだ。漏らしたら、床を舐めてもらおう。
「ほら、このシーマ様の目を見て答えろ! 何人か?」
シーマはいつものように微笑んだが、カオルは顔を歪めるだけだった。綺麗な男をいじめるのは楽しい。
「ん? ちゃんとはっきり言え。なに言ってるか、わからん」
「こいつ、ビビって声が出ないんですよ」
ジェフリーが嘲笑する。突然の大惨事にまごついていたのが、戻ってきたようだ。それでこそ、我がしもべだとシーマは思う。
「……ニケ……王子が……」
カオルは、やっとのことで声を出した。
「ニケ? 末のニーケ王子のことか?」
ジェフリーが問うと、カオルは二回うなずいた。首振り人形だ。
そうか、生きていたのか。ガーデンブルグ王家最後の男児が──
サァーと体温が下がっていく。完璧だった計画に小さな綻びが生じた。それもこれも、彼のせいなのだろう。サチ・ジーンニア。
「ジェフリー、このボンクラ二人を見張っとけ。俺はやることがあるが、数分でここを発つ」
シーマは剣を鞘に収めた。笑っている場合ではない。




