48話 マジでキスする五秒前
エゼキエルは羽ばたき、突風で大鴉を煽った。これで着地までの時間稼ぎができる。大鴉が風から身を守ろうと翼をすぼめている隙に、イアンの前に降り立った。両者の間に割って入った形となる。背後はシャドウズに守らせる。
イアンは突然出現した救世主を受け入れられず、目をパチクリさせていた。
「たかだか大鴉ごときに手間取るな! おまえは朕の眷属であろう? 本来は手助けなどするべきではないが、解毒くらいはしてやる!」
厳しく叱責してやると、負けず嫌いの赤い瞳に反発心が宿った。それでこそ眷属だと、エゼキエルはほくそ笑む。
言い返してこないのが妙ではあった。いささか、物静かになった印象を受ける。人見知りか、警戒しているのかもしれない。リゲルの報告を定期的に聞いていたエゼキエルは距離を感じないが、イアンからしたら喰われそうになった一件以来会っていないのである。よそよそしいのも、うなずけた。
エゼキエルはイアンの真正面に移動した。
「毒消しを飲ませてやるから、目をつぶれ!」
言ってからおかしな状況だと気づく。イアンもイアンだ。馬鹿だから、勢いに呑まれて言いなりになってしまった。それとも、毒のせいでおかしくなっているのか。
──朕はイアンと抱き合えるくらいの距離で向かい合っている。そして、イアンは顎を上げ、目を閉じている。
おとなしく顔を向け、解毒剤を待っている。うっすら生えた無精髭が汚らしいが、顔立ちは悪くない。口を半開きにし、待つ姿は従順だ。眉毛が下がり、かわいらしく見えないことも……なくない。なくなくもない……いや、あるか!
人間にしては高身長だから、イアンとエゼキエルの身長差は小指の長さほどもなかった。
「……うまくできぬ! しゃがめ! ひざまずけ!!」
腕を失くしているため、バランスが取りづらかった。早くイアンにアレを飲ませなければ……
イアンも変な空気を察し始め、いったん目を開けるものの、エゼキエルの剣幕に負け、ひざまずいた。
「口を開けろ!」
イアンの童顔は眼球が隠されることで、幼さが倍増される。エゼキエルは湧き上がってしまった罪悪感を打ち消し、顔を傾けた。別の“液”の選択肢もあるが、これが本人にとって一番マシかと思われる。
直前になって戦士の本能が知らせたのか、身の危険を感じたイアンが目を開けた。
「待て!! なんで、俺がおまえの言うことを聞かないといけな……んぐっ……」
今さら理性を取り戻したところで、もう遅い。エゼキエルの口の端から垂れたよだれはイアンの口腔に落ちた。
「ゲホッゲホッ……オエッ……何しやがる!?」
「解毒剤だ」
ここで時間切れだ。エゼキエルは背後に殺気を当てられ、浮上した。シャドウズは大鴉に倒されている。気配が消えたということは、吸収されたのか。エゼキエルという障害物がいなくなったことで、すぐに戦闘が開始された。
突進してくる鴉にイアンは刃を向ける。エゼキエルの唾液の効果はすばらしい。毒でぼんやりしていた目つきが戦士のものに変わった。
月読に似た剣はキラッと光っただけだった。イアンが刃の血を振り切り、鞘に収めようとした時、すでに大鴉は横に二等分され、崩れ落ちていた。
刹那に片がついた。今まで何をやっていたのか、疑問符が浮かんでくる。
「やればできるではないか! さすがは朕の眷属だ!」
褒めてやると単純なイアンは嬉しそうな顔をし、それから首をかしげた。
「腕をどうしたんだ?」
「これか? ドゥルジとの戦いでやられた。回復には少々時間がかかる」
「ドゥルジには勝ったのか?」
当然だとエゼキエルは首肯した。息を呑むイアンの様子から畏怖の念を抱いたのだとわかった。実際に会って、ドゥルジの強さを直に感じていたのだろう。エゼキエルが事もなげに答えたので、ショックを受けたのである。そのあと対抗意識が芽生えたのか、ぐちぐち言い訳を始めた。
「俺だって、助けてもらわなくたって勝てたんだ! 大鴉の口の中に子供がいたんだよ。それで、ためらっていたら、毒でやられて……」
「子供? 悪霊であろう? そんなことで尻込みしたのか?」
「鴉から手が生えてたんだよ! 鉤爪が刃のように鋭くて、あちこち切られたんだ」
優しいにもほどがある。イアンは切り倒した大鴉の嘴をこじ開け、中を確認した。
「あれ? いない? たしかに見たのに……いつまでって、俺に聞いてきたんだ」
「だから、鴉に悪霊が取り憑いていたのだ。霊は不確かな存在のため、宿主が息絶えたのでどこかへ行ってしまったのだろう」
イアンは納得できず、大鴉の体を裂いて中を確認した。鴉の解体など、見て気持ちいいものではない。食道、胃、大腸とイアンはひと通り調べた。なんと物わかりの悪い奴かと、エゼキエルはイライラした。
「満足したか? ならば、城の様子を見に行くぞ?」
別にイアンを待つ必要もなかった。流れ的に放っておけなかったのである。なぜだか世話を焼きたくなってしまうのだ。瘴気を立ち上らせ、回復しようとするイアンの傷が浅いのを見て、胸をなで下ろしもした。それにしても、お互い酷い有り様だ。
エゼキエルの前腕はないし、翼も蜘蛛女のローブもイアンの体と同様、切られまくっている。
つい、脱力した笑いが漏れた。
「なんで、笑ってる?」
「いや、朕もおまえもボロボロだと思ってな……」
「くそっ……やっぱりワザとだろう?」
「なんの話だ?」
エゼキエルとイアンは丘を登りながら、話した。イアンはエゼキエルに思うところがあるらしい。
「ガキのころ、いじめられたのを根に持って、俺に復讐してるんだろう?」
ジトッとした目で、にらんでくる。エゼキエルは即座に呑み込めず、しばし呆けた。
イアンはエゼキエルとユゼフを混同しているようだ。
「あいにく、朕にはユゼフの記憶がないのだ」
「どうだか……さっきのツバを飲ませてきたのだってそうだし、まえは俺を屠って、客人に振る舞おうとしてただろ?」
「以前のことは悪かった。唾液は解毒のために仕方なかったのだ。それ以外だと、別の体液を飲ませなくてはならなくなる……」
「他にも、おまえに関することで何度も酷い目に遭っている。絶対、意図的にやってるだろ! それか、なんかの呪いだ!」
被害妄想、極まれリ。イアンは悪いことすべてをエゼキエル(ユゼフ)の責任にしようとしている。
「俺の人生、途中まで順風満帆だったんだ。名家の跡取り息子で、将来になんの心配もなかった。女の子にだってモテモテで、ほしいものはなんでも買い与えられたし、おまえと出会いさえしなければ……」
堰を切ったようにイアンは感情をぶちまけた。
「おまえみたいな鈍臭い私生児、かわいそうだから家来にしてやったんだよ。それなのに、逆恨みしやがって!」
ユゼフに対して後ろめたい気持ちがあるからこそ、こういう思考に陥っているのだろうが、あまりに子供じみていてエゼキエルは吹き出してしまった。
「ほら! 俺のこと、バカにして笑ってるじゃないか!」
「成長しない奴め。そういうのを自業自得というのだ」
当然のことを言ってやっただけで、イアンはシュンとしぼんでしまった。打たれ弱い奴だ。
「ほんとはわかってるさ、ほんとは……全部、俺が悪いってことは……」
うつむき、小声で愚痴る。みっともない真似を平気でしてくれるものだから、こちらも気を張らずに済む。あまりいじめても、かわいそうなので、エゼキエルは話題を変えてやることにした。
「そういえば、竜の珠を手に入れたのだろう? たいしたものだ!」
称賛したにもかかわらず、イアンはいっそう落ち込んだ。単細胞が誉め言葉を喜ばないのはおかしい。
「盗られたんだよ……」
かすれ声で打ち明けられ、エゼキエルは唖然とした。まさか、ラセルタの冗談の通りになるとは……




