35話 ダークホース
アジト本部からアスターは集会場へ出た。カオルには別の任務へ戻ってもらう。お互いこの島に来てから忙しい。
円形の石畳は数百人が収まる広さだ。本部を基軸として、煉瓦造りの建物が集会場を囲う。
レベルに応じたグループが集まり、剣や体術の訓練をしていた。アスターが通ると皆、拳を額に当て、敬礼の姿勢をとる。弟子のようなものである。
集会場を突っ切り、南の端へ歩いていった。的当て場があり、目的の人物はそこで遊んでいる。
近くまで来ると、アスターは腐臭に鼻をつまみたくなった。彼が楽しそうにボウガンで狙っているのは、人間の死体であった。
「あ、アスター様! 例の件の詳細ですね? 働きバチからの報告はまだ来ておりません。今しばらく、お待ちくださいませ」
「まだか……それにしても、いい加減、的を代えたらどうだ? 臭くて敵わぬ」
鼻に皺を寄せるアスターを見て、ルイスは軽い笑い声を立てた。派手な服装を注意された……ぐらいのノリである。吟遊詩人らしいフリル付きチュニックや膝丈のズボンを、アスターは注意したりしない。日常的な爽やかさが狂気を感じさせた。
黒い三つ編みを胸まで垂らす細面は、女性的である。見るからに優しそうな男の目は、的を見る時だけ鋭くなる。引き金を引く指は無情だ。
ビュンッ──空を切り、矢は的の左目に刺さった。すでに顔の右半分は腐り落ちており、わずかに残った肉が苦悩の表情を残している。穴だらけの衣服が凄惨な場面を想起させた。
元は役者だったか。名をイーオーといった。裏切り者だ。
青い鳥の内部情報をグリンデルの女王騎士団に流していた。そのせいで地下街が燃やされ、甚大な被害が出たという。おまけに組織の金をちょろまかし、女をはべらせていたというから救いようがない。しかし、売れっ子男優も、かつての同志に捕まった後は目を覆いたくなる最期である。
矢を命中させたルイスはアスターの小言を聞き流し、得意げな顔をした。
「これでコンプリートです! 人体のすべての急所に命中させました!」
「なら、処分しても構わぬな? おまえの嗅覚はおかしくなっている」
乾燥地なのが幸いして、腐臭は広場内に留まっている。そうでなければ、アスターは激昂していただろう。ルイスはアスターの問いに問いで返した。
「イアンの様子はどうです? 使い物になりそうですか?」
「わからぬ。おまえと違って純粋な男だからな? 心の傷が癒えるまで時間がかかるだろう」
「進攻のまえに回復してもらいたいですが……」
「本人のペースがある。今はゆっくり休ませてやれ」
ルイスはアスターの返答を不服とし、唇を尖らせた。
「イアンが起きたら、話してもいいですか? わたしたちは親友です。ちゃんと挨拶もできずに別れてしまったので、助けてもらったお礼も言いたいし、あのあと何があったかも話したいんです」
アスターは眉を曇らせた。ルイスの薄茶色の目は怪しい光を放っている。弱った猛獣をうまいこと手中に収めたいのだ。
「話すぐらいは構わぬが、傷をえぐるような真似はしてくれるなよ? バカはなんでも鵜呑みにして、言いなりになるであろうが、殺戮しかしなくなるからな」
「最強兵器ですね」
ルイスは事も無げに返す。復讐の虜囚となった男には、多くの感情が欠落している。
そちら側へ片足を突っ込んでいるアスターとしては、親近感を抱く一方で怖れもあった。
「おまえのそのイカレたところも嫌いではないが、イアンを巻き込もうとするのはやめろ。アレは犯してはならん領域だ」
「神獣ですか?」
茶化すルイスの目は本当には笑っていない。アスターは大真面目に答えた。
「そうだ。おまえにわずかでも人心が残っているなら、イアンに触れるな。自分と同じ死んだ瞳にしたくないのならな?」
ルイスは黙った。少しは穢されずに残っていたか。もう二度とこちら側へ戻っては来られないだろうが、イアンを引き込むことは躊躇したらしい。
アスターは石となったルイスに背を向け、近くにいた青い鳥に死体の処分を命じた。
集会場から少し歩く。
建物の囲いを抜けると、バラックが点在する居住区だ。仮住まいでさえ、配置に規則性がある。広場を中心に、円を描いて散らばる様相は街の理想型であった。
アスターの姿を見た島民たちは笑顔で手を振ったり、頭を深く下げたりする。手を上げ、適当に応じるアスターの脳内では故郷の島での情景が再生されていた。
彼らは全員“青い鳥”だ。
乳飲み子を抱え洗濯物を干す若い母親も、菜園を耕す農夫も、分厚い本を片手に教会へ向かう学生らしい一行も、農道を駆け回る幼児に至るまで立派な構成員である。
コルベ島はもともと青い鳥の内海拠点であったが、地下都市クラウディアを追われた人々も住みつき、さらに大所帯となった。
地下都市を焼かれたルイスたちはイアンと天狗の太郎の助けを得て、避難民たちを国外へ避難させた。イアンが地下街に現れたオートマトンを撃退し、その残骸からルイスはグリンデル水晶を取り出したのだ。この機転のおかげで時間の壁を通ることができた。ただし、手持ちのグリンデル水晶で一度に通れたのは五十人程度。全体の六分の一程度だった。他の避難民たちはグリンデル国内、北の山間部のアジトへ逃れた。
残りの避難民たちの移動を助けたのは、ダークホース──カオルだ。
イアンの足取りを追おうと主国北部の国境付近をうろついている時に、アスターはカオルの能力を発見した。グリンデルとの国境まで来たはいいが、イアンの情報はどこにも落ちておらず、途方に暮れていたところだった。あとから知ったのだが、天狗と行動を共にしていたイアンは上空を移動していたと思われる。
カオルがふざけて壁に腕を差し入れたところ、時の粒子がサァーーっと退いていった。
偉大なる預言者のごとく闇を分断したカオルの能力に、アスターは開いた口が塞がらなかった。ただの人間のはずだ。主国王家と地方豪族の血統に、まさか亜人の血が入ろうとは──この疑惑は後日、アキラの「にゃおーん」によって晴れる。
時間の壁を通り、グリンデルに入り込んだアスターとカオルはまず、イアンが確実に訪れたであろう鍛冶職人、マイエラのもとを訪ねた。これが大当たりで、アスターたちはコルベ島という大きな手がかりを得ることができた。
そして、コルベ島でルイスから概要を聞き、イアンの行動原理とだいたいの道筋を把握するに至った。
当初はそこまで長居するつもりはなかった。彼らに武器の扱い方や戦術などを教えているうちに、二ヶ月があっという間に過ぎた。
いつもの悪い癖でお節介を焼いたのが裏目に出て、懐かれてしまったのである。今や、アスターは青い鳥の中核メンバーだ。
──盗賊どもといい、なぜか野犬に懐かれる性質らしいな?
あきらめ半分、この状況をアスターは面白がってもいた。
カオルの存在も大きい。能力を駆使し、グリンデルに残った避難民たちの移動を手伝ったことで、青い鳥の厚い信頼を得られた。
カオルの能力が蓬莱の水によるものだと知ったのは、アキラが到着してからだ。王城で保護されていたアキラは、文の輸送に使っていたダモンから居所を聞き出し、アスターのもとへやって来た。
有能な猫がイアンに関するすべての謎をつまびらかにし、収まるところに収まる。




