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ドーナツ穴から虫食い穴を通って魔人はやってくる  作者: 黄札
第五部 戦わない戦い(前編)一章 イアン
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34話 お父さん

 (アスター)


 まばらな赤髭に覆われていても、熟睡する顔は幼い。何年かまえにも、アスターはイアンの寝顔を見たことがあった。白の混じった長(ひげ)をなでながら、振り返る。


 ──たしか、実浮城だったか……


 戦わせないつもりだったのに、利かん気はヒュドラ(オロチ)を倒した。


「バカめ……何度死んだ? いくら死んでもバカは治らぬのだからな?」


 死んだように眠るイアンの横に腰掛け、アスターは毒づいた。

 ラヴァーの打ち直しを依頼し、グリンデルへ送り出してから一年半以上経過している。まともに顔を合わせるのは久しぶりだ。


「にゃー、にゃんにゃん、にゃおゴローン!」


 部屋の隅では、カオルがアキラから事情を聞き取っている。西側の壁が白い陽光を反射していた。新しくて清潔な部屋だ。狭くとも、イアンには過分な待遇であろう。

 アスターはビアンカから報告を受けたあとだった。

 凛々しい女戦士はコルベ島まで、イアンを連れてきてくれたのである。


「ご苦労だった。充分に休むといい。おまえは身重なのだしな?」

「あら? 一兵士の身体を気遣うなんて、アスター様らしくないですわ」

「当然だろ? おまえが平気でも、お腹の子供がかわいそうだ」

「んもぅ……あんまり優しくされると、変な噂が立ってしまいますわ」


 流し目をするビアンカは色っぽい。アスターでも、クラッとするいい女だ。小麦色の肌とプラチナの混じった茶髪が野性味を引き立てる。

 ビアンカは百日城で拷問死した男の子供を身ごもっていた。


 戦士としての素養はもともとあった。代々、騎士を輩出する一族の出身だ。女であっても、武器や体の使い方を知っている。婚約者とは身分差があり、大恋愛の末に勘当までされ、結ばれたと聞いた。

 最愛の人を奪われたビアンカの選択は実家に戻るでも、隠れて暮らすでもなかった。彼女はナスターシャ女王に反旗を翻した。茨を踏み越えねば、薔薇に届かず──なんと、危険を顧みず、ヘリオーティスに潜り込んだのである。

 ナスターシャ女王率いる軍部とヘリオーティスは協力関係にあるが、別組織だ。加えて、ビアンカは女だからノーマーク。名前と経歴を変えれば、新国民の彼女は簡単に入会できてしまった。


 ──美人なうえに賢く、戦闘員としても優秀だ。連中は重宝しただろうな?


 諜報員として働くビアンカに転機が訪れたのは、サチとの出会いだった。サチのほうから、ヘリオーティスの力を借りたいと接触してきたのである。

 診療所で働いていたサチのことを恋人から聞いていたビアンカは、諜報活動中に得た情報と擦り合わせ、自分なりの結論を出していた。恋人を診療所で救った少年=ナスターシャ女王が執着するシャルル王子=サウル王の生まれ変わり──と。


「スヴェンが守ろうとしたサウル様は、思っていた通り清廉なお人でした」


 このようにサチを評した。

 結果、ビアンカは正体をサチに明かし、ディアナと引き合わせた。サチがディアナを援助し、瀝青城を占拠できたのはビアンカの暗躍あってこそだったのだ。実績を積んだサチはヘリオーティスとも、協力関係を築いた。

 しかし、勝手な行動は過激派集団の中では命取りになる。ビアンカはバレるまえに身を引き、青い鳥に入った。


 そう、青い鳥。このコルベ島は青い鳥の国外本拠地なのである。アスターたちはアジト本部の屋敷に身を置いていた。




「聞き取りは終わったか?」


 ビアンカを退出させたあと、アスターはカオルに声をかけた。

 利口な美男子は口の端を上げる。


「だいたいのところは……イアンの発見された塔が目的地の虫食い穴とは真逆に位置するのが、腑に落ちませんが……」

「方向音痴だから、反対方向へ向かっていたのではないか?」

「イアンならあり得ますね……」


 カオルは冷笑した。幼友達なのだから、もう少し親身になってやれよと、アスターは濃いブルーの上衣に視線を落とした。カオルは、エデン特有の織物で仕立てたジュストコールを着ている。

 それから、アスターはカオルが聞き取った内容をビアンカの報告と突き合わせた。たいした手間はかからない。カオルは要点を簡潔にまとめ、アスターが知りたいことを漏れなく教えてくれる。

 数分で終わり、内容に誤差がないことを確認して一息ついた。そのあとの会話は個人的な色合いが濃い雑談となる。


「イアンを囚えていたヘリオーティスのことだが……」

「ビアンカがお気に入りなのですね?」


 めずらしくカオルが話の腰を折ってきた。美々しいヘーゼルアイはアスターに固定されている。悲しみを(たた)えつつも、おびえたり、狼狽(うろた)えたりする様子は見られない。

 カオルの成長ぶりを見て、アスターは目を細めた。なるほど、例の話題は避けたいか。ならば、合わせてやろうと鷹揚(おうよう)に構えた。


「あれほどのいい女だ。男ならデレて当然だろう?」

「アスター様は奥様以外の女性には、見向きもされないと思っておりました」

「どんなイメージだ!? んな、お堅くないぞ!私は!」

「そんなことおっしゃるわりに、クソ真面目ですよ?」

「言うようになったな?」


 近づいてきたカオルの肩を叩き、ベッド脇のテーブルに座らせた。アキラはベッドの上に飛び乗り、イアンの腰辺りで丸くなる。


「んで、例の女の行動は組織的でないと見ていいか?」


 アスターはしれっと話を戻してやった。カオルは下を向き、ごまかし笑いをする。美形はどんな顔をしても、形になるから羨ましい。


「そうですね。アキラの話では、他の人間が出入りしていた形跡はなかったようです」

「イアンの存在が公になっていない可能性は高いな? バカが起きてから話を聞かねば、確証は持てぬが」


 イアンが瀝青城を出たあと、心配症のサチは追跡者を送り出していた。イアンを見つけられなかったのは、反対方向へ進行していたからかと思われる。

 イアンがいなくなったと、連絡を受けたアスターはビアンカとアキラを調査に向かわせたのだった。


「見つけられたのは偶然かもしれませんね?」

「バカは強運で守られている」


 カオルの言う通り、イアンの足取りはつかめず、捜索は難航したらしい。ビアンカはあきらめて、引き揚げるつもりだった。アキラがニャンニャン抗議するので仕方なく、瀝青城より西南の農地へ向かったのである。アキラはイアンの性質をよく心得ている。

 農村で聞き込みをしたところ、赤毛の長身を見たという人物に行き当たり、森へ入った。イアンの雄叫びをアキラの聴力が捉えなければ、見つけられなかっただろう。元盗賊の黒猫にイアンは救われた。


「おれは見つけなくてもよかったと思ってますよ。自業自得です」

「まあ、そう言うな。バカとハサミは使いようだからな?」


 カオルが冷たいのは、イアンを囚えていた人物に惚れていたからだと思われる。アスターも彼女とは少なからず、縁があった。元ローズ兵で王軍に入り、女王騎士団へ行った美貌の女戦士──ローズ落城後は王軍に戻り、ディアナ復位、失踪後の混乱を経験している。

 今はヘリオーティスの活動の傍ら、ディアナの護衛を務めているようだ。


 キャンフィ・シナモーヌ。

 七年前はアスターを狙う暗殺部隊の一員だった。痴漢騒動の被害者でもある。痴漢男をかばったアスターは猛烈に嫌悪されていた。

 かつて、女の尊厳を守ろうとして免職処分を受けたカオルは、冷めた目を向けてくる。


「いつからです? いつから気づかれてました?」

「んあ? キャンフィがヘリオーティスだったことか? この件で知ったよ」

「そういうことじゃないです。彼女の異常性というか、病的なところです」


 アスターはキャンフィのことを、なんとも思っていなかった。よく、「私は一目でどういう人間か、見極めることができる」などと豪語しているから、カオルはそんなことを言うのだろう。


「痴漢騒動の時、あんなに冷酷だったのに、ビアンカには優しいじゃないですか? キャンフィの心が壊れていたことに、気づいていたんじゃないですか?」

「買い被り過ぎだ。超能力者じゃあるまいし……過去に命を狙ってきた女だぞ? (てい)よくおまえらをクビにできると、喜んでいただけだよ?」


 自分にとって危険かそうでないか、本能的に察知するくらいはできるかもしれない。表面的な美には惑わされない。

 アスターがダブレットの刺繍のほつれたところをなで、太い眉毛を下げると、カオルはうつむいた。


「おれは気づきませんでした……いえ、気づいていたかもしれないけど、支えてあげれば、昔の彼女に戻ると思っていました」


 カオルの視線の先には馬鹿面をさらして、眠りこけるイアンがいる。来る途中、下衣だけは見繕ってもらったのか。マントでくるまれた半裸体に傷跡は残っていなかったが、監禁中に手酷い暴力を受けたのは、手足首にはまったままの手錠と状況が物語っていた。アキラとビアンカの報告では、ろくに自分の名前も言えないほど錯乱していたという。手錠は後ほど、鍛冶屋に頼んで切ってもらうことにした。


「すべてイアンのせいです。彼女がヘリオーティスにのめり込んだのも、残虐性を持つようになったのも、イアンを愛したからです」


 アスターは否定しなかった。馬鹿は本人の意図しないところで、周りに迷惑をかけ続けている。だが、傷ついたイアンに対し、アスターは憐憫の情が止められないのだった。

 一方のカオルはキャンフィに同情している。


「今後、キャンフィは青い鳥にマークされるでしょう。ヘリオーティスとして、我々にも認識されました。これからは敵として、相対しなければなりません」

「好きだった女を殺せるか?」

「目の前にして、非情になれる自信はありません。見逃すかもしれません」


 カオルは正直に答えた。素直なのはいいことだ。アスターを信頼している証でもある。


「よかろう。捨てられぬ情は捨てるな。捨てられる情は存分に捨てよ」


 アスターはイアンの目尻を指で拭い、立ち上がった。仕事がある。

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