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ドーナツ穴から虫食い穴を通って魔人はやってくる  作者: 黄札
第五部 戦わない戦い(前編)一章 イアン
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29話 戦わない選択

「甘いと思われるだろうか? でも、キメラとなったマリィを助けるには、エゼキエルの力がいる」


 考えが受け入れられるとは思っていなかったのか、サチは控えめな物言いをした。かつてのイアンだったら、絶対に反対しただろう。大切な人を殺した仇を赦すなんて、並大抵の神経ではできない。


「本当は殺してやりたいくらい憎いよ。目の前にして、平常心を保てる自信もない」


 サチは苦しい胸の内を打ち明けた。


「戦うより戦わないほうにメリットがある。その場合は戦わない選択肢を選んだっていいだろう?」


 イアンは感激しすぎて、言葉を発せずにいた。サチの童顔を呆然と見続けるしかなかったのである。

 そんなイアンに不安を抱き、サチはザカリヤに助けを求めた。


「固まっちゃった。どうしよう?」

「自分の考えと乖離(かいり)しているために、理解できぬのだろう」


 ザカリヤが物知り顔で答えたのが気に障り、イアンは放心状態から戻った。


「ちっげぇし! 俺はサチと同じ思考だし! サチがまったく同じように考えていたから、驚いていただけだよ!」

「本当か!? 共感してくれるのか!?」


 サチは丸い頰を紅潮させた。イアンは八重歯を見せて笑顔になる。


「当然だよ! 俺はシーマとディアナ様にも、和解してもらいたいと思ってる」


 今度はサチが驚く番だった。


「なんてことだ……イアンも同じことを考えていたのか!」

「ディアナ様はアスターと和解できたし、シーマはロリエを守ってる。二人が争いをやめてくれれば、物事は良い方向へ動いていくはずだ」

「その通りだ。ディアナは世間で言われているような悪女ではないよ。彼女には女王の地位は重すぎる」


 シーマには伝わらなかったこと。その境地に至るまで、イアンは何度も死にかけたし、傷つき、自分を責め、憎悪にのたうち、憤怒し、血の涙を流した。隣に友がいなかったら、けっして乗り越えられなかっただろう。

 サチも同じく苦しみ抜いて、ここにいるのだと思うと胸が熱くなる。

 感情的なイアンに対し、サチはあくまで冷静に構えていた。


「権力が必要だ。今のままではグリンデルを取り戻すことも、エゼキエルと同じテーブルにつくこともできない。俺は勝つために不要な戦いを放棄する」


 出した結論は一致しても、過程と目的は違うのかもしれなかった。イアンは多少のズレには目をつぶることにした。導かれる答えが一緒なのだから、どの式を使ったっていいだろう。サチに認められたことで、有頂天になっていた。


「じつは、イアンを説得するにはどうしようかと、頭を悩ませていた。和解には君の力が不可欠なんだよ」


 さらには、こんなことまで言われた。イアンはサチに信頼されている。


「同様の考えを持ってくれていたとは……救われたよ。君には三種族の血が流れている。なおかつ、ディアナサイドともシーマ、エゼキエルとも子供のころから、つながりがある。仲介者として、もっとも適しているんだ」


 ザカリヤが相槌を打つ。


「あと、もう一人いたよな?」

「そう、カオルだ。ディアナ側にもシーマ側にもいた経験があり、ユゼフ……エゼキエルとも縁がある。争いごとの発端からずっと関わり続け、事情も知っている。境遇はイアンと似ているよ。君ら二人で、ディアナとシーマとの間を取り持ってほしい」


 王都へ送り出される直前、エンゾに言われたことをイアンは思い出した。


  ──そのうち、君たちにしかできない役割が与えられるだろう。生まれながらに背負わされているのだ。子供のころより、似た二人が近くにいられたのは運命だったのかもしれぬ


 イアンとカオルは似ても似つかないので聞き流していたが、あれは一種の予言だったのだ。


「カオルはアスターとコルベ島にいると聞いた。連れて来ようか?」

「おお! 話が早いな! そうしてくれるとありがたい」

「けど、シーマに和解を勧めても、聞く耳持たずだったよ。ディアナ様はどうなのだろう?」

「要件さえ呑んでもらえれば、ディアナは和解に意欲的だよ。カオルが加わることで、もっと話し合いやすくなると思う」


 シーマとディアナの仲裁をしたあと、サチはエゼキエルとの和議に臨みたいようだ。


「それまで、竜の珠は大切に持っていてくれ」


 イザベラから返してもらった宝物を両手にくるみ、イアンは深くうなずいた。竜の珠を手に入れて以来、怖いくらいに追い風が吹いている。シーマも思っていたより話せるデブだったし、サチが中心になって動いてくれたら、何もかもうまくいくような気がする。

 ティムと以前のように笑い合える日が来るかもしれないし、サムを盲人となった叔母に会わせてやることも可能かもしれない。ミリアム太后も正気に戻って、ジャメルも亜人であることを隠さなくなるだろう。


 サチはイアンにとって、まさに救世主だった。

 丸みを帯びた短髪も、袖回りに凝ったレースをレイヤードさせる着方もよく似合っている。見た目の子供っぽさは王の貫禄とはほど遠いが、王子には見えた。

 闇と親和性の高い魔女も彼に見とれている。イザベラは真っ赤な口紅を塗り、いつにも増して悪役っぽかった。どちらかといえば美に分類されるのだろうが、キツい表情や体から放たれる禍々(まがまが)しいオーラが彼女を男たちから遠ざける。


 ──口紅の色を変えれば、断然よくなると思うんだがなぁ


 下手なアドバイスは命取りになるだろう。イアンは口をつぐむことにした。

 サチは魔女の熱視線など、ものともしない。甘い笑みを見せて、彼女をいっそう虜にした。


「イアンの意向はわかったので、ディアナと会わせて今後の打ち合わせをしたい。ディアナの所へ行って、謁見の許可を取ってきてくれないか?」

「了解!」


 イザベラは立ち上がり、スキップでもしそうな勢いで談話室を出て行った。

 このあと、空気がガラリと変わるとは思いもしなかった。

 カチャリ……ドアの留め金のはまる音がするなり、サチは真顔になった。足音を立てず、ドアが本当に閉まっているか確認し、また忍び足で戻ってくる。さきほどまでの和やかな空気が一変。殺伐とした。少時、気まずい沈黙が流れる。

 イザベラの気配が完全に遠ざかるのを待って、サチは肩の力を抜いた。


「やれやれ……ディアナは来客中だったから、当分戻らないだろう」

「おまえが毅然(きぜん)とした態度を取らないからいけないのだ」

「いや、何度も断ってるし……あいつが異常なんだよ」


 サチはザカリヤとコソコソ小声でやり合っている。イアンは蚊帳(かや)の外だ。


「ああ、悪い悪い。あいつがいると、話せないことが多いから外してもらった」

「なんでだ? 仲間ではないのか?」

「協力関係にはあるが、何もかも話せるわけではない。例えば、イアンがシーマの息子ということは、まだ伏せておいたほうがいい」


 サチはドキッとすることを言う。イザベラを信用しきっていたイアンは困惑し、目を泳がせた。


「さっき、権力が必要だと言ったろ? 今のディアナと結婚しても、権力は得られない。女王としての地位を確立してもらわないと。そのためには南部の領地を譲渡してもらいたいんだよな? シーマとの和解が必須となる」


「じゃあ、サチはディアナ様と結婚するつもりなのか?」

「そうだよ。だから、大嫌いなヘリオーティスの力まで借りて、彼女を女王に擁立した」


 愛しているのではなくて、戦略的に結婚するつもりなのか。王侯貴族の世界では当たり前のことだとしても、イアンには理解できなかった。


「でも、ディアナ様の気持ちは?」

「ディアナは俺を信頼してくれている。プロポーズはしてないけど、成功させる見込みはある」

「わけを話せば、イザベラも協力してくれるんじゃないか?」

「ないね。あいつには何度も婚約をめちゃくちゃにされている。寸前まで絶対に知られてはならない」


 サチがイアンに話した理由は仲介する段階によっては、シーマにこの情報を与えたほうが好都合だからだ。


「シーマは俺を敵に回したくない。時機が来たら、俺の存在を明らかにする。アスターさんにも協力してもらう予定だ。アスターさんもカオルも和睦に賛同してくれている」


 イアンの知らないところで話が進んでいた。

 流されるまま、旅をしていたイアンとは大違いである。サチはいつだって、明確な目的を持って動いている。

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