29話 戦わない選択
「甘いと思われるだろうか? でも、キメラとなったマリィを助けるには、エゼキエルの力がいる」
考えが受け入れられるとは思っていなかったのか、サチは控えめな物言いをした。かつてのイアンだったら、絶対に反対しただろう。大切な人を殺した仇を赦すなんて、並大抵の神経ではできない。
「本当は殺してやりたいくらい憎いよ。目の前にして、平常心を保てる自信もない」
サチは苦しい胸の内を打ち明けた。
「戦うより戦わないほうにメリットがある。その場合は戦わない選択肢を選んだっていいだろう?」
イアンは感激しすぎて、言葉を発せずにいた。サチの童顔を呆然と見続けるしかなかったのである。
そんなイアンに不安を抱き、サチはザカリヤに助けを求めた。
「固まっちゃった。どうしよう?」
「自分の考えと乖離しているために、理解できぬのだろう」
ザカリヤが物知り顔で答えたのが気に障り、イアンは放心状態から戻った。
「ちっげぇし! 俺はサチと同じ思考だし! サチがまったく同じように考えていたから、驚いていただけだよ!」
「本当か!? 共感してくれるのか!?」
サチは丸い頰を紅潮させた。イアンは八重歯を見せて笑顔になる。
「当然だよ! 俺はシーマとディアナ様にも、和解してもらいたいと思ってる」
今度はサチが驚く番だった。
「なんてことだ……イアンも同じことを考えていたのか!」
「ディアナ様はアスターと和解できたし、シーマはロリエを守ってる。二人が争いをやめてくれれば、物事は良い方向へ動いていくはずだ」
「その通りだ。ディアナは世間で言われているような悪女ではないよ。彼女には女王の地位は重すぎる」
シーマには伝わらなかったこと。その境地に至るまで、イアンは何度も死にかけたし、傷つき、自分を責め、憎悪にのたうち、憤怒し、血の涙を流した。隣に友がいなかったら、けっして乗り越えられなかっただろう。
サチも同じく苦しみ抜いて、ここにいるのだと思うと胸が熱くなる。
感情的なイアンに対し、サチはあくまで冷静に構えていた。
「権力が必要だ。今のままではグリンデルを取り戻すことも、エゼキエルと同じテーブルにつくこともできない。俺は勝つために不要な戦いを放棄する」
出した結論は一致しても、過程と目的は違うのかもしれなかった。イアンは多少のズレには目をつぶることにした。導かれる答えが一緒なのだから、どの式を使ったっていいだろう。サチに認められたことで、有頂天になっていた。
「じつは、イアンを説得するにはどうしようかと、頭を悩ませていた。和解には君の力が不可欠なんだよ」
さらには、こんなことまで言われた。イアンはサチに信頼されている。
「同様の考えを持ってくれていたとは……救われたよ。君には三種族の血が流れている。なおかつ、ディアナサイドともシーマ、エゼキエルとも子供のころから、つながりがある。仲介者として、もっとも適しているんだ」
ザカリヤが相槌を打つ。
「あと、もう一人いたよな?」
「そう、カオルだ。ディアナ側にもシーマ側にもいた経験があり、ユゼフ……エゼキエルとも縁がある。争いごとの発端からずっと関わり続け、事情も知っている。境遇はイアンと似ているよ。君ら二人で、ディアナとシーマとの間を取り持ってほしい」
王都へ送り出される直前、エンゾに言われたことをイアンは思い出した。
──そのうち、君たちにしかできない役割が与えられるだろう。生まれながらに背負わされているのだ。子供のころより、似た二人が近くにいられたのは運命だったのかもしれぬ
イアンとカオルは似ても似つかないので聞き流していたが、あれは一種の予言だったのだ。
「カオルはアスターとコルベ島にいると聞いた。連れて来ようか?」
「おお! 話が早いな! そうしてくれるとありがたい」
「けど、シーマに和解を勧めても、聞く耳持たずだったよ。ディアナ様はどうなのだろう?」
「要件さえ呑んでもらえれば、ディアナは和解に意欲的だよ。カオルが加わることで、もっと話し合いやすくなると思う」
シーマとディアナの仲裁をしたあと、サチはエゼキエルとの和議に臨みたいようだ。
「それまで、竜の珠は大切に持っていてくれ」
イザベラから返してもらった宝物を両手にくるみ、イアンは深くうなずいた。竜の珠を手に入れて以来、怖いくらいに追い風が吹いている。シーマも思っていたより話せるデブだったし、サチが中心になって動いてくれたら、何もかもうまくいくような気がする。
ティムと以前のように笑い合える日が来るかもしれないし、サムを盲人となった叔母に会わせてやることも可能かもしれない。ミリアム太后も正気に戻って、ジャメルも亜人であることを隠さなくなるだろう。
サチはイアンにとって、まさに救世主だった。
丸みを帯びた短髪も、袖回りに凝ったレースをレイヤードさせる着方もよく似合っている。見た目の子供っぽさは王の貫禄とはほど遠いが、王子には見えた。
闇と親和性の高い魔女も彼に見とれている。イザベラは真っ赤な口紅を塗り、いつにも増して悪役っぽかった。どちらかといえば美に分類されるのだろうが、キツい表情や体から放たれる禍々しいオーラが彼女を男たちから遠ざける。
──口紅の色を変えれば、断然よくなると思うんだがなぁ
下手なアドバイスは命取りになるだろう。イアンは口をつぐむことにした。
サチは魔女の熱視線など、ものともしない。甘い笑みを見せて、彼女をいっそう虜にした。
「イアンの意向はわかったので、ディアナと会わせて今後の打ち合わせをしたい。ディアナの所へ行って、謁見の許可を取ってきてくれないか?」
「了解!」
イザベラは立ち上がり、スキップでもしそうな勢いで談話室を出て行った。
このあと、空気がガラリと変わるとは思いもしなかった。
カチャリ……ドアの留め金のはまる音がするなり、サチは真顔になった。足音を立てず、ドアが本当に閉まっているか確認し、また忍び足で戻ってくる。さきほどまでの和やかな空気が一変。殺伐とした。少時、気まずい沈黙が流れる。
イザベラの気配が完全に遠ざかるのを待って、サチは肩の力を抜いた。
「やれやれ……ディアナは来客中だったから、当分戻らないだろう」
「おまえが毅然とした態度を取らないからいけないのだ」
「いや、何度も断ってるし……あいつが異常なんだよ」
サチはザカリヤとコソコソ小声でやり合っている。イアンは蚊帳の外だ。
「ああ、悪い悪い。あいつがいると、話せないことが多いから外してもらった」
「なんでだ? 仲間ではないのか?」
「協力関係にはあるが、何もかも話せるわけではない。例えば、イアンがシーマの息子ということは、まだ伏せておいたほうがいい」
サチはドキッとすることを言う。イザベラを信用しきっていたイアンは困惑し、目を泳がせた。
「さっき、権力が必要だと言ったろ? 今のディアナと結婚しても、権力は得られない。女王としての地位を確立してもらわないと。そのためには南部の領地を譲渡してもらいたいんだよな? シーマとの和解が必須となる」
「じゃあ、サチはディアナ様と結婚するつもりなのか?」
「そうだよ。だから、大嫌いなヘリオーティスの力まで借りて、彼女を女王に擁立した」
愛しているのではなくて、戦略的に結婚するつもりなのか。王侯貴族の世界では当たり前のことだとしても、イアンには理解できなかった。
「でも、ディアナ様の気持ちは?」
「ディアナは俺を信頼してくれている。プロポーズはしてないけど、成功させる見込みはある」
「わけを話せば、イザベラも協力してくれるんじゃないか?」
「ないね。あいつには何度も婚約をめちゃくちゃにされている。寸前まで絶対に知られてはならない」
サチがイアンに話した理由は仲介する段階によっては、シーマにこの情報を与えたほうが好都合だからだ。
「シーマは俺を敵に回したくない。時機が来たら、俺の存在を明らかにする。アスターさんにも協力してもらう予定だ。アスターさんもカオルも和睦に賛同してくれている」
イアンの知らないところで話が進んでいた。
流されるまま、旅をしていたイアンとは大違いである。サチはいつだって、明確な目的を持って動いている。




