76話 尋問(サチ視点)
広間のソファーでイアンがうたた寝をしていた。柱の振り子時計は午前二時をさしている。
サチはぼんやりイアンの顔を眺めた。穏やかな寝息を立て、口をだらしなく緩ませており、とても気持ち良さそうだ。
いつも、ギャーギャーうるさい男も寝ている時は無垢なのだな、と思う。
が、見ているうちに、猛烈な眠気が降りてきた。瞼が重くなり今にも意識を失いそうだ。
サチはよろよろとイアンの隣に倒れ込んだ。ビクッと体を震わせるも、イアンが目覚める気配はない。サチはもう、指すら動かせないくらい睡魔に支配されていた。
──明日、ここを発たなくてはいけない。たぶん寝られるのは今だけだろう
ほんの数分休むつもりで瞼を閉じた。
※※※※※※※
「おい、起きろ! いつまで寝てるつもりなんだ!」
「オキロ、オキロ、オキロー!!」
鳥が近くで羽ばたいている。サチが重い瞼を持ち上げると、ダモンの爬虫類的な顔が目の前にあった。
「……ひえっ!」
ゾッとしてのけ反り、笑顔のイアンにぶつかってしまった。
「しかも、人の家のソファで寝やがって。何様のつもりだ?」
「ナニサマダ! ナニサマダ!」
ダモンが周りを飛び回る。サチの身体は鉛のようにズンと重かった。目をこすりつつ顔を上げ、焦点を合わせたところ、振り子時計はすでに五時を回っていた。
少しだけ眠るつもりだったのに、熟睡してしまったのだ。
体と頭が思うように動かなかった。
──でも、すぐに動かなければ……時間がない
「イアン、捕虜にしたグリンデル人をここへ連れて来てくれ」
やっとの思いで口を動かしたのに、イアンは目を丸くしている。
「家のソファを占領するだけでなく、この俺に命令するのか? おまえは? いつからそんなに偉くなった?」
表情に笑みを含んでいたので、イアンは怒っていなかった。
「イアン、頼む。時間がもうない……」
「まあ、友人の頼みとあらば仕方ない。連れて来てやってもいい」
寝るまえの落ち込みようが嘘のように、イアンは上機嫌だった。気分の上がり下がりが激しいのは、今に限ったことではない。しかし……
──俺のことを友人だと? あのイアンが?……やっぱり精神状態が尋常ではないな
サチは眠るまえの会話を思い出した。友達だから見捨てないと……感情が高ぶって思わず口走ってしまった。特別な意味ではなく、同じ学校に通っていた同窓生という意味で言ったつもりだったのだが。
イアンがダモンと一緒に広間を出て行ったあと、サチは今後のことを頭の中でまとめた。
──まだ望みは捨てていない。イアンを王にすることはできないが、交渉次第では命とそれより大事な身分を捨てさせずに済むかもしれない
待つこと数分……
イアンが二人の捕虜を連れてきた。
捕虜として捕らえたグリンデル王国の高官二人は、イアンとサチの父親よりも年上だった。加えて他国のエリート貴族である。不作法な対応はできない。
イアンは名家の子息らしく上品に礼儀正しくふるまった。
まず、いさかい事に巻き込んでしまったことを詫びる。それから、この戦が終われば丁重に国へ送り届けることを約束した。
彼らに確認したいのは、時間の壁を越える方法である。
グリンデルの機械兵士がどのようにして壁を越えたのか、高官なら知っているはずだ。
「イアン・ローズ、貴公の噂はグリンデルにも届いているよ。なんでも、あのダニエル・ヴァルタンと決闘して勝ったことがあるとか、ないとか……」
長い捕虜生活で疲労していても外交官らしく、友好的に話すのはエミール・ボワレ大使だ。厳しい顔つきの彼の上司、ファビアン・ベナール外務大臣は口を開こうとはしなかった。
「だが、主国内の紛争に関して我々はまったく関係ないのでね? 両手の自由を奪われた状態では、穏やかに話し合えないと思うのだが……」
ボワレ大使の言葉にイアンは顔を引きつらせた。目上の人間と話すのが得意ではなく、緊張している。
彼らは両手を後ろに縛られた状態で連れて来られた。イアンの監視のもと、縛ったのはイザベラか。数刻前、閉じ込めたはずの彼女はいつの間にか自由になっていた。
「それに、捕虜の彼女に我々を縛らせるとは、よほど人手不足と思われる」
ボワレはキョロキョロと辺りを見回した。
「兵士や使用人の姿も見えないようだが……何があったのかね? 困っているなら、手を差し伸べてやってもいいが……」
サチは居住まいを正して二人に歩み寄った。
「恐れながら、状況をご説明させて頂いてもよろしいでしょうか? 私はイアンの家臣のサチ・ジーンニアと申します」
サチに気づいたボワレとべナール外務大臣は飛び上がらんばかりに喫驚した。
出窓の影に隠れていたから、突然現れたように思えたのは致し方ないとしても、驚き過ぎだった。イアンのお古を直して着ているので、身なりは悪くないはずである。
二人がジロジロ見てくるので、サチは冷や汗をかかずにはいられなかった。
──貴族の目から見ると、どこかおかしいのだろうか……
不安を追い払い、サチは説明を始めた。
「まず、あなた方は無関係ではありません。ガーデンブルグ王家はグリンデル王家と共謀し、議会を無視してアオバズクへの侵攻を計画していました。あなた方が出席していたその謀議を告発するためにイアンは事を起こしたのです。以前から国王の国家を私物化した暴君ぶりには、内海の諸侯を中心に批判が集まっていました」
そこで、言葉を切ってボワレ大使とベナール大臣を見る。サチをジッと見ていた大臣は目を逸らした。代わりに口を開いたのはボワレだ。
「……サチ、ジーニア」
「サチ・ジーンニアです」
「サチ・ジーンニア、もしかして君はグリンデルの出身かね?」
予想外の質問にサチは面食らった。
「……いえ、行ったこともありませんが」
「君の顔立ちは変わっているね。エデン人のように涼し気な目をしてる……古代グリンデルにもエデン人がいたと言われていて、稀にそのような特徴を持った顔つきの子供が産まれることがあるのだ。両親が金髪、碧眼の彫りの深い顔立ちであってもね」
「……はあ」
「ほら、魔王エゼキエルを倒したグリンデルの英雄サウルもエデン風の顔立ちだったそうだよ?」
ボワレが何を言わんとしているのか、皆目見当がつかない。サチは困って下を向いた。
「すまない。君によく似た方を思い出したので……心当たりがないなら構わない。話を続けてくれたまえ」
チラリ、イアンを見ると、目を細め唇の端を浮かせている。そこから尖った八重歯がのぞいていた。話が進まないことに苛ついている顔だ。
──ボロが出てしまってはマズい。さっさと話を切り上げないと
サチは顔を上げ、まっすぐにボワレを見た。
「隠してもしょうがありません。ご想像の通り、我々は追い詰められています。逃亡が不可能なら一矢報いる覚悟です」
「一矢報いるとは?」
「あなた方の命を奪うことになってしまうかもしれません。そうなるまえに教えて頂きたいことがあるのです」
ボワレはベナール大臣と顔を見合わせた。
「逃亡の手助けとなるようなことは教えられないが……教えられる範囲であれば、答えよう」
「時間の壁を抜ける方法をご存知ですね?」
ふたたび、ボワレはベナール大臣を見る。今度はボワレの代わりに大臣が口を開いた。
「我々は何も知らない」
「いいえ。ご存知のはずです。壁を超えてグリンデルから援軍が来ました。何か方法があるのでしょう?」
「……壁のどこかに穴がある、という噂は聞いたことがある。だが、それはただの噂だ」
「穴、ですか……」
会話が中断されたところで、イアンが「サチ、ちょっと」と耳打ちした。
「失礼ですが、少し外させてください」
サチとイアンはイザベラに二人を見張らせ、広間から出た。念のため両扉を開け放し、三人の様子はいつでも監視できる状態にしてある。
「あいつ、嘘ついてる。拷問して吐かせたほうがいい」
イアンは彼らに聞こえないよう小声だが、強い口調で言った。
サチは首を横に振った。
「他国の要人を傷つけてはこちらの不利になる。俺がカマをかけてみる」
「わかった。任せる」
イアンは唇だけ動かして答え、サチたちは広間へ戻った。
「お待たせしました。では、所持されているグリンデル水晶をお預かりしてもよろしいでしょうか?」
サチはにこやかに、しかし有無を言わせぬ口調で尋ねた。大臣は怒りをあらわにする。
「なんでかね?……私物を取り上げるのでは、賊と一緒ではないか?」
「グリンデル人は誰でも、グリンデル水晶を必ず一つは身に着けているそうですね? それはなぜですか?」
「ただのお守りだ。古くからの風習で……家族は同じ石から採掘したグリンデル水晶を身に着ける。同じ石から取れた水晶は呼び合うので、家族がバラバラになるのを防げると言われている」
「グリンデル水晶が手元にないと困りますか?」
「これは我々にとって大切な物だ」
「お預かりした水晶は必ずお返しいたします。ですが……」
サチは大臣とボワレの顔を注意深く観察した。
「ですが、お借りした物を持って時間の壁を通ってもよろしいでしょうか?」
「なんだと!?」
「大丈夫です。老人になっても構わないので、時間の波には流されないように致します。そうすれば、一年後にお返しすることができるでしょう?」
大臣は怒りのあまり、顔を真っ赤にさせた。
「駄目だ! そんなことは許されない!」
──やはりそうだ。グリンデル水晶が鍵だったんだ!
疑念が確信に変わる。サチはイアンに目配せした。イアンはうなずき、イザベラに命令した。
「イザベラ、閣下たちからグリンデル水晶をお預かりするんだ」
「わかった!」
イザベラは嫌な顔一つせず、むしろ嬉々として大臣たちの体を調べ始めた。
首から下げていたペンダント、指輪、腕輪、ピアスに至るまで……大臣たちの体を上から下まで丁寧に調べ上げる。
見つけた大量のグリンデル水晶を、イザベラは一つ一つテーブルの上に並べた。
「よし、いいぞ! 君の働きぶりをサチも見てる」
イアンはイザベラを褒めた。彼女にはスリとか泥棒の才能があるのか、お嬢様とは思えぬ手際で宝石を見つけ出していく。
たちまち、テーブルは宝の山となった。虹色に輝く水晶は美しい。
終わったあと、サチとイザベラは捕虜二人を元の監禁部屋へと連れて行った。
「本気で時間の壁を渡るつもりなのか?」
ボワレは質問したが、サチは黙っていた。用は済んだ。もう彼らと話す必要はない。
拘束を緩めてから、彼らを部屋の中へ追いやる。扉を閉めようとした時、ボワレはなおもしつこく呼び止めてきた。
「最後に一つだけ質問させてくれ」
サチは扉に錠をかけながら、ボワレの声を聞いていた。
「君の体に十字の印はあるか?」
カチッと錠前のはまる音がする。
「……ありません」
ドア越しに聞こえるか、わからないくらい小さなかすれ声で答え、サチはその場を離れた。




