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ドーナツ穴から虫食い穴を通って魔人はやってくる  作者: 黄札
第五部 戦わない戦い(前編)一章 イアン
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19話 無防備なり

 グリンデル水晶の首飾りはあとで外そうと思った。いかにも女性向きの華美な装飾でイアンには合わない。こういう女性っぽいものを好む男もいるが、イアンのセンスとは異なる。


「そうそう、シオン。おまえ、ときどき目の色が変わるな? 自分でコントロールできないのか?」

「変わるって、どんな色に……?」

「金色だよ。人間の色じゃない。興奮すると変化するようだ」

「なんだって!?」


 ついに恐れていたことが起こってしまった。異形のなかでは注意すら払われないこと。肉体の変異だ。人間の社会では生きていかれなくなる。


「太后はあのような状態でおられるし、無関心だったから大丈夫だ。ジャメルやラセルタも事情を知っているので、見られても問題ない。だが、活動範囲が広くなるとどうかな? 心配だ」

「どうしよう……」


 イアンは狼狽(うろた)えた。手鏡を貸してもらい、自分の顔を何度も確認する。生え際の膨らみや八重歯が大きくなった気がして、落胆もした。震える手で手鏡を持ち、たびたび落としそうになった。(シーマ)の前で弱い自分をさらけ出してしまったのである。

 シーマも眉間に皺を寄せ、難しい顔をしている。だが、少しして柔らかな笑顔を見せた。


「そうだ、この薬をあげよう。俺やジャメルも服用しているやつだよ」


 胸元から取り出したのは小指ほどの大きさの瓶だった。


「飲めば数週間持つ。亜人の特徴が出てしまっては、外を歩けないだろう? これはあとで飲もうと思って持っていたのだが、おまえにあげるよ。知恵の島にいるレーベという学匠の卵に言えば、作ってもらえるんだ」


 イアンはなんの疑いも持たず受け取り、飲み干した。


「副作用で体がだるいことはあるかもしれない。でも、すぐに慣れるさ」


 体が若干重くなった他に大きな変化はなかった。薬の効き目を実感したのは対話を終えたあと、城下を歩いている時だ。

 過剰に感じていた人間の精気がまったく気にならなくなったのである。活気にあふれる人混みも、威勢よい呼び声や騒ぐ若者、路上の演奏家たち……街の要素がイアンに元気をくれた。以前は、どれも大好きだったのものだ。 鈍感さが愛おしい。イアンはシーマに感謝した。

 

 それから、アスター邸へ赴いた。

 ローズを失って以来、我が家のように安らげた場所へ十ヶ月ぶりに帰る。

 カミーユは輝きの衰えないキャラメルブロンドをまとめ上げ、愛くるしい笑顔でイアンを迎え入れてくれた。こんなにもかわいらしい人がアスターの奥さんだなんて、イアンは気の毒に思う。居間に鬼の金棒が飾ってあったのは笑えた。勘兵衛に早く教えてやりたい。

 そして、ヴェルナーの成長ぶりに感動した。イアンが王都を出た時はまだ首も座っていなかったのに、今は伝い歩きもするし、元気よくお話しもする。くわえて嬉しいことに、戻ってきたばかりのユマと生まれたてほやほやのマデリナもいた。ユマがイザベラの実家に長居していたのは、クレマンティ夫人を思いやってのことだ。女王派とあらぬ疑いをかけられるのではないかと、危惧していたらしい。気の毒な寡婦を加害しないよう、イアンはシーマに進言しようと思った。

 存分に赤ん坊と遊び、時は溶けた。うっかり、アスター邸で夕飯をごちそうになるところだった。赤ん坊たちがウトウトし、ユマのキツい視線が気になり始めて、ようやく腰を上げることにした。帰るまえに、執事のシリンから知恵の島にいる子供たちの現状を教えてもらう。


 ランディル、ロリエ、共に大事ないとのことだった。

 イアンの送った文が良かったのか、ロリエに対するイジメっぽい扱いは改善されたそう。アスターがランディルに注意してくれたのかと思いきや、シーマが直に知恵の島へ行き、解決したという。

 王の後ろ盾があっては、ランディルも横暴な態度を取れない。ロリエはめでたくパシリを卒業できたのである。

 シーマの寛容な行いにイアンは仰天した。また、ランディルが秘密基地にしていた壊れかけの校舎も解体したと聞いて、肩の荷が下りた。


「陛下は稀に見る人格者だよ。最愛の人を殺されて、自分の命まで奪おうとした相手の子供を保護しようとは、普通思わねぇだろ?」


 シリンは義手ではないほうの手で顎髭をいじりながら話した。髭が濃くて、目の回りが暗いのはジャメルと同じ出身だからだ。

 シーマを称賛されても、イアンは否定しなかった。一連のやりとりで印象が大きく変わっている。


 シリンと無駄話をしていたわけではなく、情報収集をしているつもりだった。アスターがダーラの代わりにカオルを従者にして、かわいがっていた話や、屋敷にディアナを招いた話も聞いた。ディアナはユマと友達同士のような間柄だったという。一時でも、アスターは完全なる女王派だった。


 和解は可能だと、アスターが裏付けてくれた。イアンはシーマを説得しようと心に誓う。

 昼寝から起きたヴェルナーが、ハイハイで玄関先まで見送りにきてくれた。大きな目をくりくりさせ、「いあー!いあ!」と呼んでくれるさまを見て、放っておけるわけがない。また、帰れなくなってしまった。

 イアンは高い高いの猛烈なアンコールを断れず、何度か繰り返し、さらにはゆらゆらや肩車もした。いい加減、御暇(おいとま)しようと床に置くと、今度は超高速ハイハイで誘惑される……


 王城から迎えが来てしまうまで、イアンはヴェルナーとハイハイ競走をしていた。ラセルタに急かされ、馬を走らせるころには、すっかり薄闇に覆われていたのである。ラセルタは騎乗するまで、時間の観念がないと口酸っぱく注意してきた。従者を替えてほしいことを伝えなくてはいけない。


 何はともあれ、晩餐には間に合った。

 微笑を張り付けたシーマは焼き菓子をつまみつつ、ワインを飲んで待っていた。イアンは遅れたことをごく自然に詫び、テーブルについた。良家育ちらしく礼儀正しく振る舞い、粗相をしてはいけないと思う。


 ファロフが期待しろと言っていた理由はすぐに判明した。運ばれてくる料理は、サチをグリンデルへ送り出すまえの晩餐と似たメニューだったのだ。

 

 違うのはテリーヌのデザインや食材、ポタージュ、ソルベの果物か。(ます)とチーズのフリッターやトマトの煮込みは同じだった。デザートはチョコがけのプルーンとケーキ。どれも好物ばかりだ。


 例のお別れ会のメニューはイアンもファロフや料理長と一緒に考えたので、よく覚えている。サチとユゼフに仲直りしてほしいと、企画したのはイアンだ。

 心身ともに健康だった太后はもちろんのこと、アスターやグラニエも同席していた。懐かしいし、思い出深い晩餐だった。

 シーマが同じメニューを作らせた魂胆はわかっている。イアンとの関係修復を狙ってのことだろう。大切な思い出を汚されたと、腹は立てなかった。シーマはとても親切で、絶えずイアンを気遣ってくれる。まだ赦すには至らないが、不信感はだいぶ拭われた。


 ジャメルも同じテーブルにつき、イアンは(むすび)の話をした。特に共通の話題が思いつかなかったのと、当たり障りなく自慢できるから都合が良かったのである。

 結を得るための道のりは険しかった。呪いの刀を持ってグリンデルへ行き、レジスタンスのルイスと一悶着あり、太郎と大喧嘩もした。


「金なら、出してやるのに」


 そう言うシーマには、自分の力で刀を得たイアンの気持ちはわかるまい。

 イアンは我慢できず、食後に結を披露した。

 シーマは感嘆の声を漏らし、二度目のジャメルも完全なる美に見入った。結は普通の刀剣ではない。人とのつながりを求め刀を打つ、引っ込み思案の鬼がイアンのためだけに丹精込めて作り上げた。勘兵衛との友情の証でもあり、これまでの戦いの成果でもあった。見られ絶賛されることで、イアンの自尊感情は高められる。ところが、


「そうだ! アスターが言っていたのだが、素晴らしい剣舞を演じるのだろう? よかったら、見せてくれないだろうか?」


 シーマがこんな提案をしてきた。


 ──アスターのやつ、余計なことを言いやがって


 昨日だったら絶対に断ったが、今日は赤ん坊と戯れて、すこぶる機嫌が良い。申し出を受けることにした。

 イアンは広間の中央に立った。食事中、地味な宮廷音楽を奏でていた楽隊に、もっと速いテンポで演奏しろと無茶ぶりをする。一人のチェロ奏者が酒場で弾くような大衆音楽であれば可能ですと手を上げ、イアンはそれでいいと許可した。

 お上品な貴族連中には眉を(ひそ)められるだろうが、シーマもジャメルも元庶民だ。イアンは遠慮なく手拍子を促し、結の美を見せびらかすことにした。

 相棒がいたほうが、もちろん盛り上がる。アニュラスの剣舞は元来ペアで披露するものだ。恋人と友情の狭間で揺れ動く剣士たちの複雑な心情──そんなストーリーもあったかと思う。隣に太郎かティムがいないのは残念だ。

 刃をかち合わせる代わりに足踏みを強調した。結はイアンの望みに従い、クルクル舞って光を飛ばし、直線的に動いてその鋭さを見せつけた。剣舞では型としての技の美しさが堪能できる。見せるための術は現実の戦いとは違うが、イアンには両方できた。


 調子に乗っていた。視線、表情、姿勢、指先、相手を魅せるためにはどの角度で、いつ止まればいいか知り尽くしている。床を蹴る。一気に伏せる。振り下ろし、斬り上げ、燕返し。イアンの動きは良い手本になる。座っているシーマに、違和感なく少しずつ近づいていった。


 直前まで誰一人として、気づかなかったのである。イアンは最後に刃をシーマの喉元に突き付けて、ピタッと停止した。


 駆けつけようとした小太郎の歪んだ顔が目の端に映る。ジャメルはヒュッと息を呑み、シーマは目を丸くした。そう、いつでもイアンはシーマの命を奪うことができる。


 イアンはシーマが拍手をしてくれるまで、見据えたまま微動だにしなかった。分厚い手が大きな音で褒め称えると、やっと周囲の緊張が解けた。

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