18話 仮面を剥がす
いつもここで寝ているのか?……と尋ねたのは、部屋があまりにも質素だったからだ。家具といえば、本棚とベッドくらいのもので、装飾品の類は見当たらない。暗い街の風景を描いた絵画が一枚掛けられているだけだ。地味さはヴァルタン家のユゼフの部屋と張れる。
イアンとは違い、好きな物を置いたり飾ったりしたい欲がないらしい。意外だった。王族や貴族は華やかなイメージだ。
結は小太郎に預けてきた。ダガーはアクセサリーなので、腰に差したままである。イアンにも最低限の分別はあるので、いくら腹が立っても、剣の扱いを知らぬ男相手に抜刀はしない。シーマが装備しているのは、鍔に宝石が埋め込まれた見るからに飾り物の剣だ。
微笑みの仮面をつけた実父は淡い灰色の瞳を向けてきた。
「おまえから話したいと言ってくれるなんて、嬉しいよ」
こんなことを言っていても、瞳の奥に怯懦が宿っているのをイアンは見逃さなかった。
昨日の暴力が利いているのだろう。痛みは精神を脆くする。本当はイアンが怖いが、頑張って何でもないふうを装っている。
こう分析することで、イアンの気持ちはだいぶ楽になった。交渉の際、優位に立てるのは、かなりありがたいことだ。気持ちの面で勝ったイアンは落ち着いて質問することができた。
「どういう意図で俺をお婆様に会わせたのか、教えてほしい」
「意図? そんなものはないよ。純粋に身内だから、会わせてやりたかっただけ」
「嘘をつくな。おまえは無意味な行動を取らない。絶対に、だ」
シーマは返答に悩み、笑顔を張り付けたまま固まった。ここでイアンを怒らせたら、対話は終了となる。用心深くなるのもわかる。
「鋭いな、おまえは! 皆が思ってるより、ずっと賢いよ!」
自分の意向を明らかにしようと、決めたようだ。言葉を意訳すると、おまえは皆にバカだと言われているが、想像していたよりバカではなかった……となる。この程度では、イアンの怒りゲージは上がらない。
「太后の現状を見て、俺と同じ気持ちになってくれるのではないかと思った。俺たちの敵は同じだ」
「ディアナ様のことか?」
「そうだ、おまえの母を殺し、大切な肉親である太后の心まで壊した。許せないだろう?」
シーマは薄笑いをやめ、声を震わせた。たぶん、演技ではなく本心だ。
「俺はディアナを憎悪している。ジャメルから聞いてないか? あの女は騎士団にいた亜人をあぶり出し、暴行したこともある。あいつらは亜人を虫ケラのように殺す」
暴行されたのは、今はシェフ見習いのファロフだ。ジャメルや本人からは聞いていないが、他の騎士がイアンに教えてくれた。
ここぞとばかりに、シーマは自分の故郷が焼かれた話をした。この悲惨な体験が、謀反を企てる直接のきっかけになったという。
共感性の高いイアンは無辜の民が惨殺された話に心を痛めた。すでに殺しているクロノス国王やシーマの父に、再度報復してやりたいとすら思った。グリンデルの地下街が燃やされたことを思い出し、悲しみと絶望に落とされもした。
「ディアナ様を憎めと言うのか?」
「気持ちを共有したい」
「憎いよ」
イアンは真正直に答えた。
「殺してやりたいほど憎い」
「そうだろう? おまえの母の仇だ」
「亜人の敵だ。亜人を虐げ続けた一族を許せない」
「同じ気持ちだ。亜人のほうが優れているのに、人間どもは卑劣な手を使って我々を追いやったのだ」
「復讐したい」
口に出せば出すほど、憎悪は増していく。イアンは昂ぶり、怒りに打ち震えた。心が怨嗟で満たされそうになった。
シーマは笑っていなかったが、イアンと憎しみを共有できて喜んでいた。うわずった声がその証拠だ。完全に取り込めると思っただろう。共通の敵を持つことで、仲間意識が芽生える。不幸のすべてを敵のせいにしてしまえばよい。
最大の誤算はバルバラだった。
家族を奪ったイアンに対し、バルバラは責任を負わせなかった。代わりに彼女が咎を負ったのである。
バルバラの行動はイアンの決意を強固にした。
戦わせない、戦わない道を選ぶ。
友の言葉が一筋の光明となって、道を示してくれる。イアンは二度と間違わないつもりだった。
「国を一つにするため、力を貸してくれるか?」
イアンの思いなど露知らず、シーマは意気込む。イアンは首肯した。
「亜人がその身を隠さずに生きていける世の中を作ろう」
「当然だ。亜人は堂々と外を歩いていい」
「シオン、わかってくれて嬉しいよ」
「でも、ディアナ様とは戦わない」
マシュマロについた目が点となる。聞き間違いだと思ったのだろう。シーマはイアンのほうへ耳を向けた。
「何度でも言うよ。俺はディアナ様とは争わない。逆にあの方を守る」
「なぜだ??」
シーマの声は怒を含んでいた。愛する人を殺した憎っくき仇を守るとはどういうことだと、憤っている。
「和解してもらいたい。戦いを避け、相手の主張を受け入れられるよう努力してほしい」
「悪女を増長させる気か」
「俺がディアナ様の所へ出向いて、意向をうかがってきてもいい」
「バカなことを言うな! 殺されるに決まっている!」
シーマが声を荒らげても、イアンは腹を立てなかった。動揺している姿を見るのは愉快だ。
「危険は承知の上だ。誰かが橋渡ししなければいけないし、その役目に最適なのが俺だ」
シーマの仮面が剥がれた。いいじゃないか、ようやく本音で話せると、イアンは八重歯を舐める。
「イザベラは仲間だったし、ディアナ様はぺぺの恋人だから、殺したくない。俺は親しい人を悲しませるようなことはしない」
「そんな生ぬるい話ではないのだよ、シオン。おまえの母は幸せの絶頂から絶望の淵へ落とされたのだ」
「ディアナ様を殺せば、また新たな憎しみが生まれる。俺たちは永遠に殺し合いを続けないといけない」
「和解に応じるような相手ではないのだ。おまえの純粋な気持ちを踏みにじり、利用しようと考えるかもしれない」
「ぺぺは六年前の魔国で俺を殺さなかった。奇襲をかけず、話し合いを求めた。そのおかげで俺は今、生きている」
シーマは言い返せなくなった。ユゼフのやり方はシーマの論法では誤っていたことになる。誤りで大事な息子が生かされているのは許し難い事実だ。
「俺が生きていること自体、間違いってことになるな? まあ、そうかもしれないけど……」
「悲しいよ、シオン。そんなことを言うな」
イアンの考えは理解されず、今のところ説得できる見込みはゼロだった。気長に試みるには事態は進み過ぎている。
──でも、俺はあきらめないさ。何度でも、わかってもらえるまで話す
シーマはショック状態から、すぐに立ち直れないでいた。うつむき、黙りこくる太っちょは、実浮城の城下で見たダルマに似ている。
──どこから首なんだ? もしかして埋まってる?
どうでもいいことを考える余裕がイアンにはあった。
ややあって、顔を上げたシーマはジュストコールの内側から光る物を取り出した。
「ヴィナスが身につけていた物だ。おまえはクレセント(アルコ)をエゼキエルに奪われてしまったようだから、代わりにこれを持っていてくれ」
手にはグリンデル水晶の首飾りが握られていた。どうやら、憐れみを乞う作戦に転じたようだ。卑劣だが、イアンは動じない。
「もらえないよ。大切な形見だろう?」
「いいんだ、俺は身につけることができないし、おまえが持っていたほうがヴィナスは喜ぶと思う」
太っていて首に掛けられないということか。痩せろ……
卑劣な作戦より、肥満でいられる怠惰のほうがイアンの気に障る。どうして、そんなになるまで食らうのだ?
だが、良いことを思いついた。
「なら、俺の持っているこれと交換こしよう。これなら、ゆとりがあるから、身につけられるだろう?」
イアンはメシアの剣を象ったお守りを首から外した。赤ん坊の時、母が持たせてくれた物だ。
シーマはよほど嬉しかったらしく、ぱぁっと顔を輝かせた。
「いいのか? それこそ、大切な物では?」
「もちろん大切さ。このお守りは俺の命を守ってくれたこともある」
大切な物を差し出すことで、信頼を得る。イアンを懐柔しようとするシーマの思惑の裏をかいてやったのである。
イアンの内心を察することもなく、シーマは浮かれた。息子特典と馬鹿だという思い込みによって、あざとい行動に感づけないでいる。全身からほとばしる精気……シーマの場合は人間とは輝きが違う。霊気というのか──が心の動きを物語っていた。
シーマはイアンの後ろに回り、首飾りをつけた。イアンもお返ししようと、シーマの首にお守りをつけてやろうとする。そこで、長さが足りないことに気づいた。思いのほか、首回りが太いのだ。
結局、身につけてもらうことはできなかったが、少しだけ歩み寄ることはできた。
少し設定が変わっています。改稿前を読んだ方にはお詫び申し上げます。(ファロフのところ)




