15話 ユゼフの従者
泥酔して目覚めた時、ジャメルはいなかった。出窓のベッドで寝ていた気もするが、記憶は定かではない。イアンは天蓋付きベッドで、久しぶりに熊ちゃんを抱いて寝た。
ジャメルの代わりにいたのは、ユゼフの従者だった。好奇心旺盛な茶色い目で無遠慮に観察されていたのだ。イアンは跳ね起きた。
「ぶっ無礼者っっ!!」
「何がっすか? 命じられて、オレもイヤイヤここにいるんすけど?」
「人のベッドを勝手にのぞき込むんじゃないっ!」
「なかなか起きねぇなぁーって、思って……」
サチより身長は低いだろうか。頭の中心に赤茶色の髪を逆立てている。見るからにクソガキだ。ジャメルとも仲が良く、騎士団にも出入りしていたから顔は知っている。名前はたしかラセルタ。
「いやね、お世話係兼、護衛兼見張り役として抜擢されたというか、押し付けられたというか……」
「ジャメルは?」
「ジャメルは出世したので、国王の側仕えです。身元不明の浮浪者の世話はしませんよ」
とことん失礼な奴だ。護衛役? こんなガキにイアンを護れるわけがない。
「汚ったねぇな……風呂に何日入ってないんですか? 朝食のまえに綺麗にしてくださいよ?……うわっ、酒くせっ!!」
「だまれ! 俺を誰だと思ってるんだ!」
「シーちゃんの不倫で生まれて、謀反失敗して一回死んだあと、戻ってきた子でしょ?」
ひどい……。自分でも立場というものをわかってはいるが、言い方によっては凹む。なぜ、こんな下っ端が何もかも知っているのだ?
ラセルタはイアンの繊細な心の内なぞ、気にも留めない。
「いい歳こいて、熊ちゃんを抱っこするのはいいんですがね、土まみれの服を着替えもしなかったら、汚れちまうでしょ? クリーニングできるか洗濯係に聞かなきゃ」
それから、イアンは浴室に連れて行かれ、身綺麗にされた。
ラセルタは間違った力加減でイアンの背中をこすりつつ、自分の現状を話した。ユゼフがいなくなってから行き場を失い、さまざまな雑用を押し付けられているとのこと。
「まったく、はた迷惑な話ですよ? なんで自分の主でもない大きなお子様の世話をしないといけねぇのか」
「口の利き方に気をつけろ! 失礼にもほどがある!」
イアンが喚いてもどこ吹く風だ。まともな教育を受けてきたとは思えない。いくら叱っても注意しても、焼け石に水だったので、朝食を終えるころにはだいぶ慣れてきた。
「このあと、謁見があります。昨日みたいに暴れたり、無作法な振る舞いはしないでくださいよ?」
「おまえには注意されたくない……」
謁見まで少し時間があり、騎士団本部へ遊びに行くことにした。
ジャメルの話を信じていないわけではないが、裏を取りたいというのもある。
演習場で教練中のところに顔を見せると、イアンは囲まれ温かい歓迎を受けた。上官のポドワンも丸い顔を綻ばせて、再会を喜んでいる。太っちょでもイアンとの相性は良い。
昨日ほど精気に過敏ではなく、イアンは普通に振る舞えた。
騎士団は変わらず、だった。
もちろんアスターがいなくなって、ヴァセランが団長になったのは大きな変化だ。全体的に覇気がなくなったというか、緊張感が足りなくなった感じはする。アスターの吸引力やカリスマ性は代用の利かないものである。そういった組織の全体像を差し引けば、個人個人の日常にはたいした変化は見受けられなかった。
イアンが入団するまえのように、ディアナ派とシーマ派に分かれて差別やいがみ合いをしている気配もなかった。何人か抜けた者はいる。カオル、ティム、小太郎、グラニエ……他の三人はともかく、ティムがいないのは淋しい。
戻ってくるのかと仲間たちに聞かれ、イアンは言葉を濁した。ポドワンが意味ありげに目配せしたので、上層部にイアンの正体はバレているのだろう。
サチが王位に就かなければ、戻るのも有りだと思った。居心地は悪くなさそうだ。王子として、迎えられる選択肢は選びたくない。
不良仲間(ティム)や怒る人(アスター、グラニエ)がいないと、物足りなかった。皆、イアンのことをおもしろい奴として好きだろうが、一緒に悪ふざけしたり、真剣に叱ってくれる相手がいたほうがいい。張り合いがある。
だから、教練の邪魔をしても悪いし、早々に引き揚げてしまった。イアンも遠慮するのである。
余った時間は厨房で過ごした。大忙しのシェフ見習いファロフの邪魔をした後、王の間へと向かう。ファロフは晩餐を楽しみにしてくれと言い、脂身や鶏ガラについた屑肉、魚の骨など、料理で不要となったものをくれた。脂身はそのままでもごちそうだし、ソースや塩を振ってもいい。屑肉は茹でてハーブと和え、魚の骨は余った揚げ油で素揚げする。つまみ食いで食欲は満たされ、おやつは不要となった。
しかし、腹が一杯になろうが、足が重いのはどうにもできなかった。のたのた歩くイアンに対し、
「老人っすか? しっかり歩いてくださいよ!」
などと、ラセルタが煽ってくる。本当にうるさい奴だ。おとなしいユゼフの従者とは思えない。ティムも不良だし、ユゼフは家来たちにいじめられていたんではないかと思う。
王の間は昨日と同じだった。大仰な金縁の赤絨毯も黒檀の玉座も、イアンがローズの若殿だったころから変わらない。あの玉座に先王が座り、段の下でひざまずいたこともあった。謀反の時には、イアン自身が座ったこともある。
シーマの顔に殴打の痕はなかった。ケガをした直後に魔術などで回復すれば、すっかり治すことができる。わかってはいても、シーマの高い鼻が折れていないことに、イアンは安堵した。
だが、相も変わらず、笑顔の仮面を張り付けているのを見て、謝罪する気が失せる。
「シオン、昨晩は傷つけてしまい、すまなかった」
なぜか、シーマのほうが謝ってくる。小太郎と並んで控えるジャメルを見やると、険しい顔で視線を返された。
「こちらこそ……」
その後に続く謝罪の言葉がどうしても出てこない。喉につっかえているのをごまかし、イアンは咳払いした。表向きは従順にして、シーマを利用してやるんだと意気込んでいたのに、最初の段階でつまずいた。理想と現実は乖離している。
まさか、横やりを入れられるとは思いもしなかった。
「大変申し訳ございません。ご自分が悪いというのは、重々承知しているのですが、謝ったら負けと幼いころから思い込み続けていたために、どうしても頭を下げることができないのです。代わりに私めが謝罪いたしますので、どうかご容赦ください」
ラセルタだ。
イアンに対する時とは打って変わって、丁寧な言葉遣いで陳謝した。
──何しやがるんだ! 俺の立場がないじゃないか!
イアンだって謝罪のプロである。こんな従僕にしゃしゃり出てこられては立つ瀬がなくなる。
シーマはラセルタのことを好いていないようで、フンと鼻を鳴らしただけだった。ラセルタの行動は事態を好転させてもいない。イアンは世話係の交代を要求しようと心に決めた。
「今日はおまえに会わせたい人がいるんだ」
シーマは立ち上がり、イアンについて来いと手で合図した。
移動教室か。ジャメル、小太郎、ラセルタ……従者たちは少し離れたところからついてくる。彼らがいないほうが本音をぶつけられる気もした。




