63話 グリゴールの生い立ち
謁見を終えたイアンは吹っ切れていた。海の王はわからずやではなく、話せばわかる魚人だ。もともと、竜は倒すつもりだったし、力を見せれば納得するのは地上と同じ道理である。
──やってやろうじゃないかよ? 竜ごとき俺の敵ではない
休んでいけと勧められ、イアンはシレーネの家に案内されることとなった。最初に通った城下町の岩山の一つに家はある。岩と融合した四角い家にはつなぎ目がなかった。
ツルッとした壁で思い出したのは百日城だ。つなぎ目のほとんどない石の壁が何ヵ所かあった。
あの城には嫌な思い出しかない。ときどき悪夢に登場し、飛び起きたイアンは震えが止まらないこともある。二度と行きたくない場所だ。
──でも、行かぬわけにはいかないだろう。サチはグリンデルの王になるんだから
恐ろしい記憶が、幸せな思い出に塗り替えられればいいのにと思う。ギュロッターリア一族には申し訳ないが、いっそのこと全部壊して一から建て直してほしい。
よくよく見ると、シレーネの家は漆喰を塗ったのかもしれなかった。水中でどうやって塗ったかは置いといて、百日城とは製法が違うらしい。イアンは四角いトンネルをくぐり、高い天井の居間に入った。入り口の建物は玄関といったところか。生活の中心は岩山の中にあった。
照明はランタンのみ。居間は王の間と同様、球形だ。人魚にとっては都合のよい形なのだろう。泳げるようになればわかる。邪魔な家具はなく、多様な海藻が室内を彩っていた。これらは食べることもあるようだ。特に、卵みたいな丸いプチプチが房状にくっついた海藻は、おいしそうだった。
シレーネはそのプチプチをつまみつつ、グリゴールのことを話してくれた。
「まず、何から話し始めようか? 呪われた出生から話すべきか……。生まれた時から、こうなる運命だったんだろうね。青角髪の姫は、エレクトラ王女と南海を統べるタウマスとの間に産まれたんだよ……」
悲しい物語が幕をあける。
グリゴールの父タウマスは権力を欲し、闇の世界と契約を結んだ。王に戦いを挑み、敗れたあとは深淵へ堕ちていったという。その時、グリゴールは父と同時に母も失っている。
「青角髪の姫はタウマスが闇へ堕ちるまえに産まれた。魔族性の妹たちとは異なり、神性を持っているんだ」
汚れた叛逆者は海の住人にとっては憎悪の対象だ。人魚は警戒心強く、排他的である。地上と異なり平和が続く海の国で、タウマスは他に類を見ない大悪党だった。家族も、もちろん忌避される。王はグリゴールを不憫に思い、守った。
闇の世界へ行った家族と生き別れ、グリゴールだけが王城にて密やかに育てられた。
「そういう事情だったのか……。グリゴールは何も悪くないのに、理不尽だ」
「子供は親を選べないからね。かわいそうな話だよ。王は姫を守ろうとしていたのだけど、完全には無理だった。タウマスに対する人魚の悪感情には凄まじいものがあってね、城に勤める従僕のなかにも、姫を悪く言う者がたくさんいたんだ」
「グリゴールが自分を醜いと思ったのは、それでか?」
「ああ、そうだろうね。陰湿なイジメがあとを絶たなかったし、外には出されなかったから、城下では目が腐るほど醜い姫と噂されていたよ」
「あんなに綺麗な子なのに……」
「武の道に打ち込まれたのは、それもあるだろうね。陛下もいずれ出て行くことを予感されていたのだろう。かなり厳しく熱心に教え込まれていた」
なんて不幸な生い立ちなのだろう。イアンは憐れんだ。イアンも両親と離されて養育されたが、周囲から虐げられはしなかった。陰鬱なドゥルジの城も、グリゴールにとってはマシだったのかもしれない。
感情移入しまくるイアンとは対象的に太郎は落ち着いていた。猛禽の目は鋭い。
「気の毒な経歴はともかく、国を追われしにはそれなりの理由があらん」
「国を追われる……というのには語弊があるかな。王は姫を守るため、陸へ放ったんだよ」
「本人の過失ではないと?」
「そうだね。美しさを罪とするなら、姫が悪いのかもしれない」
隠されていても、何かの拍子に知られてしまうことがある。
グリゴールの叔父ネレウスは老いてもなお、精力旺盛な男だった。ちょっとした好奇心で、王城の立入禁止区域に入り込んだのだ。噂の醜い姫を見てやろうと思ったのかもしれない。
まさか、あんなにも美しい姫だとは想像もしなかったのだろう。
グリゴールを一目見たネレウスは夢中になった。何年も連れ添った妻と大勢の娘たちがいるのにもかかわらず、強引に婚姻を結ぼうとしたのである。
「王もそんな申し出、突っぱねるに決まってるじゃないか? 大切な孫娘だ。でも、ネレウスはあきらめなかった」
無理やりさらって、囲ってしまおうとネレウスは画策した。しかし、最悪な計画は激怒した妻により頓挫する。
ネレウスの妻はグリゴールが真面目な夫を誘惑したと直訴。ほうぼうでグリゴールの悪口を吹聴して回った。ただでさえ、居づらい環境下でグリゴールへの批判は集中する。
「青角髪の姫は叛逆者の娘という生まれながらの汚名に加え、海の国で絶対的な権力を持つ一族を敵に回してしまったんだ。王は泣く泣く手放すしかなかった」
「ひどい話だ!!」
イアンは憤った。誰かが彼女の名誉を回復させ、幸せにしなくてはいけない。そして、それができるのはイアンだけだ。
プチプチをつまむシレーネの指が止まった。この緑のプチプチは透き通っていて、キャビアに似ている。土産に持って帰ろうとイアンは思った。
「竜の住処、竜穴へ入るには番人の許可が必要だ。勝手に出入りしようとしても、水圧に押し潰される」
「王の口添えが必要か?」
「いや、王の管轄外だ。自分で話して、なんとかしないと」
番人とやらが偏狭な人魚寄りではなく、おおらかな王寄りだといいのだが──シレーネの次の言葉を聞くまで、イアンは能天気だった。
「その番人というのが、ネレウス。青角髪の姫を手籠めにしようとしたジジイなんだよな……」
「なんだと!?」
生まれながらにして薄幸なグリゴールを己の欲望のために、貶めた張本人。その最低な男に頭を下げ、許可をもらわないといけないのか? イアンには我慢できない状況である。平常心を保って話せるわけがない。察した太郎がイアンの肩に手を置いた。
「おぬしでは冷静に話せぬであろう。ここは一つ、我に任せてはくれぬか?」
「くっ……そいつの許可なしには、竜の所へは行けないのかよ?」
シレーネは至極まじめな顔でうなずく。これが冗談であってほしいとイアンは思った。
「海底の水圧を管理しているのもネレウスだ。竜穴のある魔の海域はネレウスの支配下にある。事情を話して通してもらうよりほか、ないだろう」
「交渉の際、グリゴール殿の話題は出さぬほうがよかろう。イアン、どうする?」
「わかったよ。俺じゃ、絶対に無理だ」
イアンは任せることにした。でしゃばるのは許さないが、頼れるときは太郎を頼る。大ゲンカのあと、イアンは割り切れるようになっていた。




