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ドーナツ穴から虫食い穴を通って魔人はやってくる  作者: 黄札
第四部 イアン・ローズ冒険譚(後編)三章 イアン
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64話 無防備なり

 慣れない海中遊泳でくたびれているだろうと、イアンと太郎は寝室に案内された。グリゴールの不幸を倍増させたクソエロジジイのもとへは、休んでから行く。


 イアンたちを珊瑚の灯りだけの薄暗い寝室に通すと、シレーネはあくびをして去っていった。彼女には相当助けられている。彼女がいなければ、海の国にたどり着けなかっただろうし、謁見なんて夢のまた夢だった。感謝してもしきれない。

 見た目は標準的な人魚だが、度量が大きく芯もしっかりしている。加えて愛嬌がある。ぶっきらぼうなのは照れ隠しか。偏見の塊の他の人魚たちとは違い、二本足だろうが叛逆者の娘だろうが差別しない。さすが、サウルの愛人だっただけのことはある。

 イアンの考えを見透かしたのか、太郎は、


「シレーネ殿にいつものアレが発動しなくて、安堵しておる」


 などと言う。いつものアレというのは、いつもの()()だろう。


「うっせぇな! いくらなんでも、自分の王の女には手を出したりしねぇよ!」

「一応、最低限の節度は持っておるのだな?」

「からかうなって!」


 正直、髪が揺れた時、のぞく乳房にドキッとしたり、笑顔に癒されたり、形の良い唇に見入ったりしていた。最初にサウルの愛人と聞いてなかったら、間違いなく口説いていただろう。下半身の問題は美織の件で受け入れやすくなっている。

 体がまるごと、すっぽり入る二枚貝の中に腰掛け、太郎は痛いところを突いてきた。海の国では、巨大な二枚貝がベッドの代わりだ。ベッドは向かい合って二台ある。


「グリゴール殿も恋人なのであろう? 美織殿はどうするのだ?」

「うーん……両方好きなんだよな。それぞれ魅力が違うだろう?」

「欲深なり。先ほどの話に出てきたネレウスと大差ないではないか」

「おのれ、愚弄する気か?」

「真実を申したまで」


 太郎は涼しい顔をしている。イアンは頭にきたが、ケンカをしようとは思わなかった。ただ言い返しはする。


「欲なしって、不能のことだからな? 太郎、おまえのことだよ?」

「欲に溺るるは猿と変わらず」

「言ったな? 生臭坊主のくせに」

「否定はしない」


 軽く言い合ったあと、手を出せと言われ、イアンはおとなしく縛られた。寝ている間にマスクを剥がしては大変だから、拘束するのだという。持ち物は、オロチ革のスリング型バッグに入れて肩から下げている。剣だけ下ろし、貝殻の下に置いていた。


「ん? 太郎は縛らなくて大丈夫かよ?」

「我は寝たる間も自我を制御せらるるゆえ、問題なし」


 両手を背中に回され固定した状態で、イアンは貝の中に転がされた。中にはコロコロした苔のボールが入っている。大きさは不揃いでイアンの顔の大きさから、片手で包み込めるサイズまでいろいろあった。寝台に二枚貝を使うのは体の浮かび上がりを防ぐためだろう。蓋をやや傾ければ、うってつけの環境になる。


 両手の自由を奪われたイアンが太郎を見上げると、母鳥の目をしていた。薄闇だと瞳は金に輝くし、三白眼と下まぶたに落ちる影がキリッとした印象を与える。鼻と口を隠していることで、厳めしい鷲のイメージが強調される。その情に満ちた目を、イアンは誰よりも信頼していた。憐れみを含んだ視線に心地良さすら感じる。憐れまれるような弱者ではないのだが、不思議と嫌な感じはしないのだった。


 ──考えてみれば、おかしな話だよな。海の底で異形に縛られて、寝っ転がされているわけだ


 太郎がその気になれば、たやすくイアンは(ほふ)られる。こんなにも信じて、誰かに身を委ねたことはあっただろうか。少なくとも、人間に対してはない。養母のマリアはイアンを愛してくれなかった。血のつながらない弟も、言いなりだっただけでイアンを心から好いていたとは思えない。

 睡魔が襲ってきて、イアンのまぶたは重くなった。本来、戦士が寝姿を見せていいのは、女に対してだけである……


「無防備なり」


 太郎の声を最後に聞き、イアンは眠りに落ちた。




 ††  ††  ††


 海底では夜も昼もない。人々は寝たいときに眠り、起きたいときに起きて活動する。イアンたちの場合、海中で食事が取れないため、長居はしたくなかった。


「剣が錆びないか心配だよ」

 シレーネ宅の居間にて、イアンはぼやいた。太郎いわく、


「イアンの体より漏れ出でし魔力に包まれたるため、しばらくは持つ」


 とのこと。そうだとしても、正宗のような立派な剣を何日も海水にさらしたくはない。陸へ上がるころには、(こしら)えは悲惨なことになっているだろう。


 幸い、剣以外の心配事はなかった。空腹感も寒さも感じることはない。思っていたより海中は快適だった。贅沢を言うとしたら、体に密着するマスクや水中着の違和感だろうか。柔らかいリネンや綿、陸特有の感触が恋しいわけではない。海中ではリネンや綿の役割を海藻が果たす。サウルのように肉体を変化できれば、海中で暮らすことに不自由はないかもしれなかった。


 シレーネは今日もプチプチをつまんでいた。人魚は人間のように食料を貯蔵したり、料理するという習慣がないらしい。定期的に仲間と狩りをし、その場で魚を食べるそうだ。やたらめったら乱獲する人間に見習わせたいところである。


「魚が減り過ぎたり、増え過ぎることもないよ。必要なときに必要なだけ食べるから、それで秩序が保たれている。大型の魚を狩ることもあるよ。年に数回のお祭りさ。死者が出ることもある。でもね、祭りのあとはしばらく食べなくても平気だからね」


 イアンは緑のプチプチをお土産にもらえないだろうかと提案し、快く了承を得た。

 着替えたり、髪を整えることもない。海の生活はシンプルだ。シレーネに導かれ、イアンたちは早々に家を出た。

 グリゴールの叔父、ネレウスが住む魔の海域へはそこそこの距離がある。

 行く途中、イアンはエデン地方の交通の不便さを話した。


「人間が船で通ろうとすると、沈められてしまう。航海は危険だし、近くに虫食い穴もない。大陸から行くのには日数がかかるんだ」


 エデン卿は虫食い穴を隠し持っているものの、自分のためにしか使わない。

 シレーネの回答はあっさりしていた。


「それはネレウスの仕業だね。人間どもが神域へ入らないよう守ってんのさ」

「もしかして、内海を横断できないのも、人魚が守っているからか?」

「あーー、それはちょっと違うね。アニュラスの穴(内海)の中心部には深淵があるんだよ。うちらも入れないような場所。負の力が働いて、船が引きずり込まれるんじゃないかな?……魔界ともつながってるって話だし」


 世界にはまだまだイアンの知らぬ未知の領域が広がっている。

 遊泳中の会話は来る時と異なり、スムーズだった。ロープでつながれずに進めるのはありがたい。道具を使っているにせよ、今のイアンはほぼ人魚である。

 イアンたちは海藻の森を進んだ。かろうじて陽光が届く場所だ。天井には真っ青な海面が続いている。通り過ぎていく魚の影は見ていて飽きないし、花が咲いたと隠れんぼの魚を見つけるのも楽しい。

 魚たちがおびえて動かないこともあった。そんな時は頭上を鮫の黒い影が過ぎていく。速度は馬車より速いのではないか。シレーネの話だと、本気の鮫は地上の動物では太刀打ちできないぐらいの速度だという。

 えらそうな海の猛獣にイアンがちょっかいを出そうとしたところ、太郎に怒られた。


「貝殻を飛ばしてやろうとしただけじゃないかよ?」

「怒って突進してきたら、森の平和が損なわれる」


 ごもっとも。子供のころ、ヴァルタン家の猛犬に石を投げて、食い殺されそうになったのを思い出す。あのころよりイアンは成長したはずだ。

 しばらくして、海藻が減って陽光が届かなくなってきた。いよいよ、魔の海域に入る。

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