53話 本体はどれ?
黒旋風殺斬撃は尖った瘴気の塊を大量に飛散させる技である。イアンの必殺技のなかでは消費魔力が少なく、絶大な威力を発揮する。難点は狙いを定めにくいところか。
正宗から飛び散った黒片は、オロチの首の半分を倒した。技の発動後、岩壁に張り付いていたイアンは壁を蹴り、落下中に残った首の一つを斬り落とした。
──六……あと三つだ。本体はどれだ?
本体がどれかわからない。前回は二頭残し、カオルの一撃で本体を倒した。
──ええい! 三分の一の確率だ!!
グラグラする肉壁の上を走り、一番奥で揺れる首を斬り落とす。
──くそっ! ハズレか?……それなら、全部打ち落とすまで!
短剣を左手に持ち、噛みつこうとする一頭を払いのける。右半身は攻撃担当、ティムじゃないが二刀流でいく。
残り二頭なら、守りは片手で充分なはずだった。ところが、
──は!? 落とした首がもう復活してる!?
四方から襲撃され、左肩と背中に裂傷を負った。
どうやって首を守ったか。背後から忍び寄られた瞬間、イアンはとっさに亀のごとく首を縮めたのである。他の魔人や人間に同じ芸当ができるかわからないが、とにかく命拾いした。さらに、イアンの背中は平らで引っ掛かりがない。牙を食い込ませるのは難しく、表面を切り裂かれるだけに留まった。問題は肩の咬傷だ。
牙を抜かれたあと、おびただしい出血が泉を染めた。洞内は暗くなり、赤が視界を薄く覆う。
イアンは肉壁から飛び降り、水面を跳ねて陸に戻った。回復中のオロチは追ってこない。陸に戻ってやっと、何が起こったか理解した。
角度によって色を変えて発光する湖は、血に侵食されている。赤い水面に揺らめく首の影は五つ。
──復活が早くないか? 首の数が増えてる!?
心の問いにオロチの肉体が答える。切り株一つから、ニョキニョキ生えてきたのは二本であった。
立ち尽くすイアンの前で、首は次々に増殖した。多肉植物の成長を倍速で見ている気分だ。
「ウソだろ!?」
咆哮とともに強風が吹き付けてきて、イアンは宙に巻き上げられた。体が安定しない状態で、何頭もの首が迫ってくる。ふたたび、黒旋風殺斬撃を繰り出すしかなかった。技を出す寸前にチラと背後を確認したところ、編んだ糸の防護壁で守られている美織たちが目に入った。ほっとしてから、脳裏を横切ったのは“降参”……
──いやいやいやいや……絶対あり得ねぇって! 蛇野郎に俺が降参するなんてことは! ここで負けるぐらいなら、いっそのこと死んでやる
しかし、勝算はない。黒旋風殺斬撃を連射するか? すでに二回出してしまった。よくてあと二回……。
──落ち着け、俺! 首が増えるっていっても、土台の面積は限られてる。やたらめったら増やしたところで、動きにくくなるだけだ
「終わりか? ならば、我の番であるな?」
正面を向く蛇の何頭かが口を開ける。白い飛沫が飛ぶと、イアンの視界から色が失われた。体がひっくり返ったせいなのか、押し寄せる水流に光が奪われたのか、理由は定かではない。聞こえてきたのは太郎の声だ。
「本体は移動するなり!!」
鋭い低声は威厳を感じさせる。濁りのある声はティムのかすれ声より凄みがあり、サムの悪魔的な声ともちがっていた。感覚中枢を刺激され、イアンは我に返った。
オロチの吐き出す水撃により流され、溺れかけているところだった。水流は陸を呑み込み、泉の範囲を広げる。イアンは浮かぬ体でもがき、岩壁を這い上った。
顔が水上に出た時、天井が手の届く高さにあった。オロチは洞の九割を水に沈めてしまったのだ。これからは水中の戦いになる。
太郎や美織は??……浮かび上がった友と恋人の名は瞬時に消えた。仲間のことを考える余裕がイアンにはない。
水面下で胴に食いつかれたのである。十割、詰んだ。
腹に食らいついている首をなんとか斬り落とし、黒旋風殺斬撃に似たエネルギー砲を放出することで、オロチから離れた。技名は、のちほど考える。
本体は移動する――
最初にあった九つはすべて斬り落とした。それでも動き続けるということは本体……司令塔の役割を果たす意識は、あちこちの頭を移動しているということになる。太郎が言ったのはこれだ。
イアンは目を閉じた。気を読むことに全意識を集中させる。優れた視力は邪魔だ。その間も体は沈んでいく。無呼吸下。闇のなか、イアンは特別な光を求める。オロチが回復のため休むのはほんの数秒だ。すぐさま、猛攻が再開する。
両足が地面についたころ、迫り来るいくつもの首の気配を感じた。やってくる首は意識を持たない。手足のようなものだ。
水中の攻撃はオロチに有利だろうか?……否、互いの血で濁った水は視界を曇らせる。対して、水圧に耐えられるイアンは重い体でも陸と同じように駆けられる。陸と異なるのは弾ける水泡か。
耳に圧迫感があり、イアンは耳栓を抜いた。ネバァと手についたのは想定外だった。綿のように見えたのは、美織の出した糸だ。
糸の塊は水になじみ、伸びる。向かってきたオロチの首、数本にイアンはそれを巻き付けた。見えぬ糸は束縛するだけでなく、締め上げる。凄まじい悲鳴が脳天を突き抜けたが、イアンの集中力は途切れなかった。粘り気のある糸は、首たちの襲撃からイアンを守った。
闇に光る一塊を見つけるまでの一秒。
痛みも呼吸すら忘れ、イアンはひたすら追い求めた。肉壁を這いあがり、その根元にたどり着いた時にはもう、魂だけで動いていると言ってもいいほど、現実味がなくなっていた。刈り取ったが最後、虚無だ――
死にかけるのは何度目だろうか。
いつも、太郎が助けてくれた。人間の時の太郎はイアンほどではないにせよ男前で、鳥の時は嘴の下のふわもこを触りたくなる。うっすら目を開けて、助かったことを確認したイアンは手を伸ばし、ふわもこを触ろうとした。
「ん??」
指先が触れたのは柔らかく温かな羽毛ではなく、ヌメェとした何かだ。見開いたイアンの目に飛び込んできたのは、爬虫類の顔だった。
「ぎゃっ!!」
うっかり変な声を出してしまった。イアンを抱きかかえ、介抱しているのは……雷太か三郎か隼……とにかく若い河童だ。
「おお、気づいたか。馬鹿よ……」
長老エカシに声をかけられる。太郎はどこにいるのだ? 美織は?──思考は生理的欲求により、中断された。
イアンはうつぶせになり、水を吐いた。けたたましい滝の音がするということは、洞窟の入り口の反対側だ。以前も同じ場所に流され、河童たちに助けられたのだった。外への脱出はイアンの勝利を意味する。
呼吸ができるようになると、今度は猛烈な痛みに襲われた。肩、背中の穿孔、裂傷の他、腹部がひどい有り様になっている。水中に浸かってすぐさま、噛みつかれたのを思い出した。その時は集中していて全然気づかなかったのだが、腹の三分の二が裂けており、腸がこぼれ落ちていた。
「な、な、なんてことだ……なんで生きてるんだ、俺は??」
ユゼフみたいに、どもってしまった。こんな腹で動き回っていたとは、ほぼゴキブリではないか。腹の中身を半分以上出したゴキブリが動き回っているのを、イアンは見たことがある。
慌てて、オロチの首にも似たそれらを中にしまい込もうとすると、
「いかん、外気の毒に触れておるから、切っちまったほうがいい」
と、エカシからストップがかかった。
イアンは「ぎゃあ、いたい、いたい!!」と喚きながら、腸を切られ、その後、腹を縫い合わされるはめになった。腸を出して走り回っていたのに、チクチク針を刺されるのは耐えがたい。数頭の河童たちに弱った体を押さえつけられ、外科医となったエカシに処置された。
地獄の手術に悶えること数分……
縫い終わり、一息つけると思いきや、痛みの次に襲ってくるのは飢えである。腸を失ったのにもかかわらず、なんでもいいから食いたくて食いたくて、堪らなくなった。
イアンは起き上がり、鼻息荒く睨め回した。ただならぬ空気に河童たちは退いていく。
「すまぬ、すまぬ!! 馬鹿が世話になった!!」
太郎の声が聞こえてこなければ、命の恩人である河童数頭を平らげていたかもしれなかった。イアンは濡れそぼった太郎を見て安堵した。肩の力が抜けていく。




