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ドーナツ穴から虫食い穴を通って魔人はやってくる  作者: 黄札
第四部 イアン・ローズ冒険譚(後編)三章 イアン
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49話 居反りからの

 はっきよーい、ノコッタ、ノコッタ、ノコッタ……


 行司の威勢良い掛け声が興を添える。まえにこの言葉の意味を河童に尋ねたのだが、「なんじゃろな?」と首を傾げていた。イアンは「投げろ!」とか、「やっちまえ!」とか、威勢のいい言葉を勝手に想像する。


 ──ルールを覚えてないだぁ? ぶちのめすか、輪の外に出しゃあいいんだろ? かんたん、かんたん


 心の中でこんなことを呟こうとも、()めてかかるつもりはなかった。前回暴れた時、禁じ手だと何度も言われたため、ダメなことは体が覚えている。


 ──蹴るのと拳、頭をつかむのは、なしな。急所狙いがダメなことぐらいはわかっている。


 観客がいると喜ばせたくなるのがイアンの(さが)。派手な投げ技は自分に最も向いている。だが、今日は慎重だった。相手は冷静沈着な太郎だし、相撲でイアンは何度も負けている。

 くわえて、爬虫類的な太郎の手には鋭い鉤爪があり、一度つかまると逃れるのは困難だ。逃れられたとしても皮膚は深く裂かれ、相当な苦痛を味わうことになるだろう。


 ──ほら、今みたいに袴をつかむのは想定内だろ? 交互に組み合うのが理想だったが、失敗した。ほんのわずか早く、太郎が懐に入ってしまった。もろ差しと言うんだったか? 両手を下手で差されている。ちょっとでも気が緩むと、出されるか投げられる。


 戦士というのは一秒未満でさまざまな考えを巡らす。一瞬で消えゆく言葉だ。それも、激しい攻防が始まれば脳は停止し、本能頼みとなる。どう攻めるか守るか、だいたいのところは見合っている最中に思考を重ねている。戦うまえのにらみ合いは単なる煽り合いではなく、互いに準備をしているのだ。


 組まず、掌打で戦うことも考えた。太郎との相撲は体格差のせいで、投げようとしても踏ん張られてしまうことが多い。一度、イアンが勝利した時は、バランスを崩させて押し倒したのだった。

 イザベラが雷太という河童に掌打だけで勝ったのを思い出し、試してみる価値はあると思った。ケンカの際、イアンは拳を使うので掌打の経験はないが、掌の筋力には自信がある。幼いころより、木登りや岩壁登りで鍛えていた。なぜ、そんなことをしていたか? ただの遊びである。


 だが、この地味な選択肢は見合った際に霧散した。

 イアンの三白眼にも似た太郎の目が「組もう」と言っていたのだ。申し出を断るのは、怯懦のせいだと受け取られかねない。プライドの高いイアンは受けて立つことにした。


 組んだからには、やはり投げるか。太郎のほうがイアンより一回り大きいから、投げようとするとどうしても体が反る。抜け目ない太郎はこれを好機と、押し倒そうとしてきた。

 太郎はイアンに比べ、剛力である。純粋な腕力だけで勝負しては確実に負ける。相手の力を受け流す、あるいは力の軌道をずらすのは常套手段だ。相撲の場合、戦闘範囲が狭いため、受け流した力を有効活用しやすい。


 イアンはいっそう反り返り、太郎を押し上げようとした。

 ……持ち上がらない。イアンと同じく優れた体幹を持つ太郎はビクともしない。締め付けられ、呼吸が苦しくなった。イアンの魂胆を察知した太郎は組む手に力を入れる。イアンの両足は浮かびそうになっては、持ち堪えるのを繰り返した。このままのやり方では負ける。


 それでも、イアンはしつこく太郎を押し上げることに専念した。追い詰められようが、決めた方法を頑なに守った。イアンにしてはめずらしいことだ。

 相撲は短い時間に勝負がつく。方針の変更は時に命取りとなる。機が熟すまでは戦術を変えるべきではない──そう判断したのである。


 もつれ合い、とうとうイアンは土俵の際を踏んだ。都合のいいことに土俵は円形。踵ではなく、足の側面が俵に触れた場合、相手もかなり境界に接近している。勝利を確信した太郎が緩むその瞬間、イアンはクルリ背中を向け、曲げていた腰をピッと伸ばて太郎を押し出した。


 勢いあまって、イアンも土俵の外へ転がった。土ぼこりのなか、わぁわぁ騒ぐ声が聞こえる。この時点で、勝ったか確証はなかった。

 行司が軍配を上げているのを見て、勝ったのだとわかった。頭の羽毛を乱した太郎は(くちばし)を半開きにし、悔しそうな表情をしている。

 極度の緊張から解き放たれたイアンは戦闘後、呆けるのが常だが、今回ばかりは飛び上がって喜んだ。


「やった! やった! 俺の勝ちだから、洞窟には入らせてもらうぜ!」


 肩を落とす長老に謝る太郎は哀れである。


「力が及ばず、すまなかった」

「勝負事は一回きり。これも定め」


 イアンは、河童たちからブーイングを浴びるのを覚悟していた。彼らが手を叩き、健闘を称えてきたのには肩透かしをくった。戦いぶりで河童たちの心をつかんだようだ。


「目が離せない接戦であった!!」

「大技はイアンらしいな!」

「居反りから後ろもたれに転向するとは素晴らしい!!」


 技の名前を言われても、本能で動くイアンにはよくわからなかった。ぎりぎりのところで向きを変え、背中で押したのが良かったらしい。


「見たか!! 俺の専門は両手剣だが、体術もできるんだからな!」


 例によって、賞賛を浴びたイアンはふんぞり返った。ここにアキラとダモンがいないのは残念だ。ペットたちは目を輝かせて、イアンの勇姿に見入ったことだろう。

 太郎はそんなイアンを無視して、長老にきゅうりを渡した。


「お気に召されるかわからぬが、供物をもらったので分け奉らん」


 大陸ではよく食べられるが、エデンではそこまでメジャーでなかったらしい。長老の反応は微妙だった。


「ふむ……きゅうり、とな?」

「一口、かじってみるがよい」


 しゃくり……こわごわ、口に入れた長老の顔が笑顔になる。


「これはうんまい! 皆のもの、食べてみよ!!」


 わらわらと集まってきた河童たちは、それぞれきゅうりを手に取り、舌づつみを打った。

 ガラリ、打って変わって不穏から和やかムードになる。食べ物の力は偉大だ。




 ††  ††  ††


「しっかし、そんなに言うほど、きゅうりってウマいかぁ?」

「河童たちは、たいそう気に入った様子であった」

「自分らと同じ色だからかな?」

「里に帰ったら、我らも食そうぞ。叩いてもろみ味噌をつけても良いし、梅と和えてもよかろう」

「俺は一本漬けが食いたい」


 イアンたちはこんな話をしつつ、洞窟を歩いた。呑気なものである。一年前はもうちょっと、緊張していた気がする……いや、イアンはアスターとくだらないことでやり合っていた。あの薄らハゲ親父は、イアンの赤毛を馬鹿にしてきたのである。


「どうした、イアン? なにか、ありしや?」

「あー、思い出したら、笑えてきてな? アスターのクソオヤジのことだよ」

「我は酒宴の席で数度話した程度ゆえ、アスターのことは、よくわからぬ」

「すっげぇ、口汚えジジィなの。ことあるごとに人を罵ってくるし。これから未知の異形と戦うってのに、いつもどおりで緊張感ゼロだったんだよ」


 イアンは口の端を歪めた。光の札が弱々しく点灯する薄暗い洞の中、夜目も利かぬ人間がしょうもないケンカをし、刀鍛冶談義に花を咲かせていた。道行く先にたくさんの異形が待ち構えているのに、だ。イカれているとしか言いようがない。

 アスターは異形たちを前にしても平然としていた。鈍感なのだろうか。


「憶測に過ぎぬが……」


 太郎は慎重に言葉を選ぶ。水の滴る音が琴の音のように響く厳かな場所と、太郎の所作は釣り合っていた。


「アスターは緊張を和らげるため、いつもどおりに振る舞っていたのではあるまいか?」


 言われてみれば、洞窟に入った直後、イアンは少し怖かった。外の空気とは一変して強い魔力をひしひしと感じられたし、そのわりに静まり返っていた。

 アスターとバカだハゲだとやり合っているうちに、恐怖が吹っ飛んだのである。


「クソジジイめ……」

「根は優しい男なのかもしれぬ」

「いーや、ジジイに限って、それはないよ」


 そうは言っても、イアンは緊急時、何度もアスターに助けられている。


 ──あれは俺がシーマの息子で利用価値があるからで……


 初めて会った時もアスターはイアンを殺さなかった。これは、情報が知りたかったのだと思われる。

 アスターが実は優しかったなんて推論は気持ち悪すぎた。憎まれ役は憎まれ役らしく、腹黒でよろしい。


 会話の途中に視界が開けた。青白く光る鍾乳洞だ。

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