48話 蓬莱山は晴れ
それで、きゅうりを持って翌日、蓬莱洞に行った。
蓬莱山は晴れ。
カラッとした陽気は、暗くジメッとした異形の印象とは異なる。蓬莱洞の前を流れる雀涙川は穏やかで、イアンを歓迎しているかのようだった。
河童たちは川から出て相撲を取ったり、酒を飲んで騒いでいた。イアンの好む雰囲気だ。
「よぉ!」と声をかければ、案の定「天狗のイアンだ!」と喜ばれる。イアンは今さら訂正する気もなかった。
「長老はいるか? 経過報告だ」
長い白髭の長老を見つけ、イアンはギュロッターリア兄弟の話をした。あの天才兄弟の情報は、このトボけた爺さんから聞いたのである。報告も兼ねて、礼をするつもりだった。だが、イアンにとっての当たり前が通じないことは多々ある。
「……で、エラ呼吸マスクを作ってもらえることになったんだが、ウミヘビの皮が手に入らなくてな? オロチの皮をもらうことにした」
太郎が小突くのは少し遅かった。イアンは全部話してしまった。
友好的だった長老エカシは作り物のごとく固まっている。尻子玉というやつを抜かれたら、こうなるのかもしれない。見開いた目をそのままに硬直し、蝋人形のようだ。周りの河童らも、しぃんとしてしまった。
ややあって、エカシは口を開いた。
「年で耳が遠くなったからの……何かの聞き間違えかもしれん」
「じゃ、もう一度言うな? ウミヘビの代わりに、オロチの皮をもらう」
「バカめ!!」
エカシは怒号を上げた。大きなため息をついたのは太郎か。鱗で覆われた拳を額に当てている。
他の河童たちも、ざわついた。
「オロチは蓬莱山の神獣じゃ! よくもまあ、んな罰当たりなことが言えたもんじゃ!」
「じゃあ、おまえら、水中でも呼吸できる蛇を他に知ってんのかよ?」
イアンは平然と問い返した。罰当たりだなんだと言っても、魔王を倒すことのほうが重要ではないか? 回復できる体なんだから、寄越してくれたっていいだろう――そう思った。
イアンの代わりに太郎が言い訳をする。
「長老殿、我らも不遜な行為だということは百も承知しておる。だが、他に材料がなくては、背に腹は代えられぬ。大義のためとあらば、ご理解いただけぬだろうか?」
「いんや……わしらも、この地を護る精霊じゃ。蓬莱山はさ迷う魂が自然に溶け込み、新たな生を得る場。その中心部とも言える蓬莱の泉を護るのがオロチじゃ。オロチを害するとなれば、わしらも黙っておれん」
イアンは河童の爺さんの長い話が終わるのを、八重歯をなめて待った。
――ぐだぐだ、うっせぇな。
要は格上の妖怪に、格下妖怪のイアンが楯突いてはいけないということか。こう解釈した。序列があるのは人間社会と変わらない。
「じゃあ、戦えよ?? 河童全員、束になってかかってこい! まえみたいに、ぶっ飛ばしてやっからよ?」
考えるのが煩わしかったイアンは威圧的な態度で臨んだ。つい、ガキ大将時代の癖が出てしまう。
河童たちは瘴気を発するイアンに恐れをなして、数歩下がった。強さで格付けするなら、オロチより今のイアンのほうが格上だ。引く気など毛頭ない。
「これこれ、イアンよ。喧嘩っ早いのは、おぬしの悪しきところ。力で解決するのは愚か者の極みなり」
「めんどくせぇんだよ。オレはオロチより強いし! 魔王を倒すし! ど田舎で水を護ってる程度の奴らとはちがうんだよ! 世界平和のために少しは貢献しろ!」
「力がすべてではない。話し合いが必要ぞ? おぬしは戦わない選択肢を取るのではなかったのか?」
正鵠を射られ、イアンは一瞬黙した。しかし、反論されると、悔しくて言い返したくなるものである。
「結局、かしこまった顔で『ならば、力を見せよ』とか、言うんだろ?? いい加減、もったいぶったやり取りには飽き飽きしてんだよ! 勝負すんなら、とっととやろうぜ!」
「短気は損気なり」
「俺が洞窟へ入るのが気に入らないんだろ?? だったら戦え! 力で正義を示せ!」
イアンは太郎の言葉を無視し、河童を煽った。河童たちはイアンに圧倒され、目を泳がせている。
──ほら、俺には歯が立たないとわかってるから、向かって来ないじゃないか? 戦う気がないくせに、ゴチャゴチャうるさいことを抜かすな
こういう場合、締めるのは年配者の役目だ。エカシはコホンと咳払いし、太郎に向き直った。
「天狗の長、わしらでは、てんで相手にならぬ化け物ゆえ、願い奉ってもよろしいか?」
太郎は「承知した」と。迷う素振りなど微塵も見せず、即答した。
「は!?」
味方と思っていた太郎の裏切りにイアンは唖然とした。正真正銘、化け物の河童に化け物呼ばわりされるのも心外である。
「友と思ってたのに、チンケな爬虫類もどきの味方をするか?」
「我は弱き者、正しき者の味方なり」
太郎は済まし顔で、正義の味方然としている。河童たちは拍手と歓声で応えた。これではまるきり、イアンが悪者のようではないか。
「鳥野郎がこのイアン様をやっつけるってか? ふざけんなよ? 一回勝ったぐらいでいい気になるな?」
「相撲では我の黒星が多いはず」
「あん時は……体調が回復してなかったし、酔っ払ってた……ビビって再戦拒否した奴が何言ってんだよ?」
「さすれば、相撲で勝負するなり。上衣を脱げ」
帰するところ、こうなる。イアンと太郎は、鈴懸と呼ばれる上衣とボンボンのついた結袈裟を脱いだ。以前は着たまま戦ったが、着物は袖が邪魔だ。イアンは袴一枚になった。すると、太郎も脱いで見事な胸筋……ならぬ、ふわもこを見せつける。
すでに土俵は設えてある。イアンと太郎は蹲踞後、仕切り線で見合った。四股踏みは省略している。
長老を納得させるため、太郎は代理の戦いを引き受けたのだろう。とはいえ、猛禽の目は鋭く、本気でぶつかってくると思われた。
──手加減はしないってか? いいよ、望むところだ!
戦う直前は罵倒し合って、怒のエネルギーを高めたりもする。イアンの師匠のエンゾはこういった下卑た慣習を嫌っていた。稽古中、対戦相手を挑発して、侮蔑の目を向けられたことが思い出される。
──同じエデン人でも、太郎は煽り返してきたりするからな? 俺と同じタイプだ。
太郎も負けず嫌いだ。何がなんでも勝とうとしてくるだろう。そのくせ、イアンが負ければ、見限られる。
相撲は仕切り線でのにらみ合いで、感情をぶつけ合う。無言の煽り合いも悪くなかった。
──イアンよ、ちゃんと相撲の決まりは理解しておろうな? おぬしときたら、決まりも何も無視して滅茶苦茶に暴るれば
──かしこまって講釈たれてんじゃねぇよ? 鳥野郎はピィピィ鳴いてろ!
──馬鹿は毎度、話を聞かぬ
──まぐれ勝ちで勝ち逃げした奴が何を言う?
──一人では何もできんくせに、勝ったつもりか?
戦闘の合図は目に炎が宿ったら──当人同士にしか、わからない合図である。
イアンは太郎につかみかかった。




