39話 王にふさわしい器(アスター)
(アスター)
王でもないのに玉座に腰掛け、報告を聞くアスターは憂鬱だった。
みぞおちまである手入れの行き届いた長髭が王様らしいと茶化してくる者もいるが、そんな柄ではないのだ。アスターは自分自身のことを我が儘で利己的な人間だと、充分理解していた。民のために身を捧げるなんてことは、まっぴらごめんなのである。責任を負うのは騎士団の分だけで手一杯だ。
グラニエからの文が届いたのは昼過ぎだったか。使い鳥のピエールと一緒に騒々しいダモンも寄越してきた。飼い主に似たバカ鳥はなんの情報も持っておらず、「返信不要」と繰り返すのみ。
文には、サチの働く診療所が襲撃を受けたと書かれてあった。命じたのはグリンデルの女王だ。イアンが文で知らせてきたという。
その文のおかげでサチは逃れられ、今は安全な所に父親と避難しているとのこと。
──しかし、なぜあのバカはグリンデルにおるのだ?
エデンからグリンデルまではだいぶ距離がある。一度主国へ戻り、金棒を屋敷に置いてランディルの血を採取したのも謎だし、いったい何をしにグリンデルへ行ったのか? 海底の宝云々とグリンデルが結びつかない。
──サチが無事だったのは良しとして、バカの行動がわからん
それ以外にも最悪な事実が文には書かれており、問題は山積みだった。くわえて、王の仕事もある。
懊悩するアスターの前にはヘリオーティスがいた。眼帯金髪坊主のエッカルトと麻袋をかぶったグレースだ。
アスターが右目を奪ったことを恨みに思っているのだろう。エッカルトはクチャクチャ、チクルを噛みつつ、内容のない報告をしてくる。
「ヘリオーティスの支部は魔国にはありませぇん。調べられるのは国内に限られますのでぇ、これ以上の捜索は無意味でぇすー」
「ふざけるのも大概にしろ! 貴様らの女王がさらわれたのだぞ? もっとやる気をだせ! ディアナのために火の中水の中、魔国だろうが魔界だろうが、探しに行け!!」
激昂するアスターに対し、エッカルトは舌打ちで答える。こいつはトサカのティム以上に性質の悪い不良だ。中途半端に身に着けた甲冑とまばらなヒゲがだらしない性格を表している。しゃべり方といい、立ち居振る舞いといい、庶民出身だとしても目に余る。親の顔が見てみたいとアスターは思った。ディアナの家来でなかったら、ボコボコに殴って濠に沈めてやりたいところである。
ガラガラ声で参戦するのはグレース。
「まぁまぁ、アスターちゃんもそんなに怒らないで? ユゼフきゅんはディアナ様をさらっても、ヘタレだから何もできないと思うよ?」
「アスターちゃん!? ユゼフきゅん??」
うっかり反応してしまってから、アスターは咳払いでごまかした。いちいち、動揺していては体が持たない。
ちなみに玉座の横に控えさせているカオルは、ガラの悪い不良どもにびびって、おとなしくなっている。さらなる衝撃を与えるのは気の毒だが、遠慮は不要だ。
「グレースよ、麻袋を取って顔を見せろ」
麻袋女がディアナにそっくりなのをアスターは知っている。顔を見るのは確認のためだ。グレースはあっさり麻袋を脱いだ。
薄汚れた麻袋を取り去ると、まばゆい金髪と白い肌が現れる。細い眉も濃緑の瞳も、小ぶりで赤い唇もディアナと同じだ。美人と断言してもいい。
「ふむ……悪くないな」
「試してみる?」
グレースは流し目をし、下唇をなめる。
「エロい顔をするのはやめろ。あと、もうちょっと痩せられないのか? ディアナはもっとシュッとしとるだろ?」
「失礼ね! あたいのほうがグラマラスでいいでしょ?」
「ヤるんならな……って、そういう話じゃない」
それと、残念なことにディアナの実年齢に近い気がする。アスターは肌の質感がディアナとちがうことに気づいたが、指摘するのはやめた。下品でも一応女なので、年齢関連を言うのは禁物だ。化粧でなんとかごまかせるかもしれないが……。
「そのガラガラ声はなんとかならんのか? 声を変える薬とかは?」
「ディアナ様の声にするのはぁ、無理でぇす」
「風邪だと嘘をつくにも、限度があるぞ」
グレースはディアナが戻らなかった時の保険だ。うまく化けてもらわねば困る。
母とそっくりなアバズレに、カオルは嫌悪の眼差しを向けていた。母親の顔で“女”を見せつけられると、息子的にはキツいのだろう。実際にディアナは不貞を繰り返しているし、カオル本人が不義の子である。
アスターはディアナの捜索に全力を尽くすよう念を押し、ヘリオーティスを下がらせた。グレースをディアナの代理として使うのは、もう少し待とうと思う。だが、それも時間の問題だ。
じつのところ、イアンのことはどうでもよかった。最重要事項はグラニエが文で知らせてきたあのこと──
エゼキエル王が目覚めた。
魔国ではちょっとした騒ぎになっているらしい。ということは、ユゼフのふりをして、ディアナをさらったあの男がエゼキエルということになる。ディアナは前世の敵に囚われているのだ。
──すでに殺されていたとしても、おかしくないのよな……。相手は化け物だ。
ディアナに対しては憐れみより、怒りの感情が大きい。あれだけ忠告したのにアスターの言うことを聞かず、男の甘言に惑わされてしまった。
──せっかく女王として立ててやったのに、アホ女のせいで全部台無しだ。恋人も見分けられぬボンクラは魔の地に骨を埋めろ。
すでにアスターは別の王を立てることも、模索し始めていた。
ただ、こちらも茨の道だ。ガーデンブルグの血統で生き残ったのは四人のみ。アスターは傍らに立つ気弱な美青年を見上げる。あろうことか、現在カオルが王位継承順位一位なのだ。続いて、アキラ、ロリエ……イアン。どいつもこいつも、王の器にはほど遠いのである。
アキラは猫だし、ロリエはまだ幼い。お飾りにしても、ニャーしか言わない黒猫を玉座に据えるわけにはいかない。そしてロリエは子供にしては賢いが、王の重圧に耐えうる精神を持っていない。
イアンに至っては論外だ。あいつがもし王になるようなことがあれば、主国だけでなくアニュラスが滅亡するだろう。普通のバカではなく、恐ろしい破壊力を持ったバカだ。イアンが王になるぐらいなら、玉座は空席にすべきである。
……そうなるとやはり、順位どおりカオルが一番適しているということになる。アスターは顎に手をやり、カオルを眺めた。
髪をエデンの侍風に結ったカオルは、騎士団の紺地の制服に身を包んでいなければ、女に見えないこともない。そこらへんにいる女なんかよりは、よっぽど美しい。あのエンゾの息子とあって、剣の技量もなかなかのものだ。従者として連れ歩くには、もってこいのタイプ。権力者のアクセサリーとしては最適だろう。
──見栄はいいのだ、見栄は……。頭も悪くないし。だが、決定的な欠陥がある。
まず、一番足りないのは度胸。それと求心力、判断力、指導力、発想力、転換力、精神力……王に必要と思われる資質がことごとく備わっていない。人格を形成する大切な時期に他人の顔色をうかがい、ガキ大将(権力者)の影に隠れて生きてきたため、強い自我を持って人々を牽引する力が養われなかったのだ。
──隠さねばならぬ出生のせいで、控えめにしなければならなかった。そのうえ、近くにイアンというエゴの塊のようなバカがいたんじゃ、たまらんわな。あのバカのことだから、カオルがちょっとでも自己主張しようものなら、前にずいずい出てきて場の空気をかっさらってしまったのだろう
結論。イアンのせいだ。全部イアンが悪い。
髭をなでながら、険しい顔で眺めていたからか。カオルがおそるおそる、口を開いた。
「なにか……顔についておりますでしょうか?」
「おまえ、見た目はすばらしいな、と思ってな」
さすがに、思っていることを正直に話すわけにはいかない。唐突に褒められ、カオルは顔を赤らめた。アスターも恥ずかしい気持ちになり、なんだか変な空気になってしまう。ごまかそうと、本音を吐露してしまった。
「いやな、次王にふさわしいのは誰か考えていたのだ」
「アスター様がなられては?」
母親が行方不明の相手に対して失言したと後悔する間もなく、返事が返ってきた。カオルは涼しい顔をしている。
「冗談じゃない! 代理だけでもこりごりなのに、こんなもの本職でやってられるか!」
「さまになってますよ? 母よりアスター様のほうが、ふさわしいと思います」
「母親のことが心配ではないのか?」
「多少は心配ですけど、自業自得じゃないでしょうか?」
カオルはディアナに冷たかった。娘に嫌われ気味のアスターとしては心寒くなる。
「アキラが死んだ時、あの人は“愚かな奴は死んで当然”と言ったんです。おれはあの時のことがまだ、許せません」
それがディアナの本心でないと、アスターはわかっていた。ときに、言葉と言うものは取返しのつかぬほど深い溝を作ってしまう。我が身に沁みる話だ。
空気を和らげようとしてか、カオルは相好を崩した。
「あ、でも、こんなことを言うのは、絶対に無事だと確信があるからですよ? 母は殺されていないし、ひどい目にも遭っていないと思います」
カオルには、六年前の顛末と前世での因縁の話はおおかた話していた。それでいて、変な確信を持てるのはなぜか。アスターにはわからない。
「なぜかというと、母の身の回りの物が持ち去られていたでしょう? 殺すつもりなら、わざわざそんなことはしないと思うのです。それに……晩餐で話した時、ユゼフとしか思えませんでした。生まれ変わりなら同一人物です。前世の記憶が蘇って、一時的におかしくなっていただけでは?」
「そんなヌルい話ではなかろう」
「二人でいるところを見ても恋人同士にしか見えませんでしたし、ユゼフは母にゾッコンですから、ひどいことはしないですよ」
「ユゼフならな?」
「エゼキエルもたぶんそうです。子供のころから仕えていて、密かに恋情を募らせていた相手のことを、そう簡単に忘れられるでしょうか?」
カオルはどうやら、歴史的な背景を無視して自分の勘を信じ切っている。優しくておとなしいユゼフの印象を拭い去れないのだろう。
こういう女の勘に近しい主張はアスターの忌み嫌うものだ。しかし、まれにこの勘が当たることもある。アスターは唾棄すべき感情論にすがりたい気持ちだった。
切実な想いが通じたのか。扉の向こうで来訪を告げる兵士の声がした。これはきっと良い知らせだと、本能が知らせてくれる。アスターの脳内に教会の鐘の音が鳴り響いた。荒れ果てた心に光明が差し、緑が芽吹く。
エデンからラセルタが帰還したと。
 




