22話 避難②(サチ)
サチが背負う少年はまだ七歳。両腕を失くした彼は妖精族の亜種、トロール族の血を引くため、乳幼児ほどの大きさしかなかった。
鉱山労働者を両親に持つ少年は危険な岩場で遊んでいる時、軽い地震に遭遇した。岩の下にあったおもちゃを取ろうと手を伸ばしていたところ、岩石が動いたのだ。仕事中だった両親は、子の異変に気づくことができなかった。長時間下敷きになった前腕は黒く壊死してしまったのである。
トロール族でも再生能力を持つタイプもあれば、持たないタイプもある。サチの血では、死んでしまった組織を再生できない。メグは、幼子の両腕の肘から下を切断するという苦しい決断をした。こういう患者はめずらしくない。
しかしながら、同じような目に合っても、誰もが医療の力を借りるわけではなかった。自分たちでなんとかしようとすることが多いのだろう。もしくは、弱い者が淘汰される自然の流れに任せるか。本来だったら死んでいた者を無理に生かすという行為は、弱肉強食の世界では不自然と捉えられる。藁をもつかむ思いで診療所に来た両親は、無情な世界にはめずらしく愛情深かった。
「どこに行くの? ピクニック??」
背中から無邪気な声が聞こえた。横を向くと、少年が白目のない大きな目をグリグリ動かしているのがわかる。
「キメラのいる洞窟へ行くんだよ」
「キメラ??」
少年は尖った大きな耳をピクピクさせる。サチは微弱な光と振動でそれを感じ取った。
「そう、キメラだ。大きな鳥さんだよ」
この子の脳裏には、爬虫類の特徴を持つ巨大な怪鳥が浮かびあがったことだろう。それとも、数種の猛獣の特徴を持つ毛むくじゃらの鳥獣か。子供は想像力が豊かだ。
「早く見たいなぁ、キメラ!!」
黒い目を輝かせる子には不安を与えたくない。両親に返すまで、この子を守り抜こうとサチは心に誓った。
四十人を超える大人数での引っ越し。魔術を使える者がメニンクスで皆を守る。メニンクスはピンクの膜で覆い、気配を消して魔属性の攻撃を無効化する。一つの膜に入れる人数はせいぜい五人だ。くわえて、この魔法を使える者は三人しかいない。うち一人は診療所に残ってもらうため、十人だけが守られた。
サチはあぶれた者たちのグループに付き添った。ザカリヤは軽度の患者数人と荷物を運ぶ。メグと看護師二人が残った患者のために、居残ることとなった。
機動力のある女たちのグループを虎系獣人のタイガが引き連れる。その次に動けるのが、宿屋のグループである。
残ったメグのことが、サチは心配で堪らなかった。しかし、どのグループで移動しても危険は免れない。自分が守れる者たちを守ることに専念しようと思った。
月も星も出ない夜の荒野は殺伐としている。サチたちはランタンを灯さずに移動した。亜人に光は不要だ。ここいるのは全員、夜目の利く者たちである。
魔国の住人のほとんどは体内に磁力計を持っており、方位計がなくても方角を知ることができた。この能力が目印の少ない魔国での活動を可能にしている。
夜半過ぎの今は魔獣の活動時間だ。
現れるのが一角兎やグリズリー、メガロス(巨大猿)程度ならいいのだが、ときおりドラゴンやバジリスク(大蛇)なんかも現れるから厄介だった。それでも、魔獣の場合は気配がわかるからまだいい。衝突しないように避けて通ればいいのだから。もっと厄介なのは魔人だ。
一度、女の魔人が現れた時は冷や冷やした。
蛇の下半身を持つ二人組は、気配を消して近寄ってきた。突然、先頭のタイガの前に立ちふさがり、
「はい、通せんぼ!!」
と、魔力を解放してきたのである。魔力だけだったら、かなりの重量級だ。患者の荷車と並び、後方にいたサチは慌てて走った。
タイガは合図して、メニンクスに入っているグループを先に行かせる。現れたサチに二人組は歓喜した。
「かわいいーー!! 猫に人間じゃん!! トロールの赤ちゃん、おんぶしてるーー! 女の亜人、何人も連れて、どこ行くの??」
「カンケーねぇだろ! あっち行け!」
タイガは強気である。タイガは虎でサチは人間じゃない。おんぶしている子は七歳だし、全部間違っている。襟足から背中へつながるタイガのたてがみがツンツン立っているのは、緊張しているからだと思われた。
「オレたちはザカリヤ様の配下だ。そこをどけ!!」
たいていの魔人はザカリヤの名前を出すと道をあける。ザカリヤの名声は魔国でも知れ渡っていた。
「ザカリヤ様って、あのザカリヤ・ヴュイエ?? ウソでしょ!?」
「ほんとにザカリヤ様の配下なら、会わせてよ!」
「あたしもザカリヤ様、見たぁい!!」
「カッコいいザカリヤ様、見たぁい! 見たぁい! 見たぁい! 見たぁい! 見たぁい!!」
蛇女二人は見たいコールを始めた。クネクネ下半身をくねらせ、薄布で覆っただけのバストを揺らす。ザカリヤの名前は逆効果だったようだ。
「残念ながら、おいそれと対面できるようなお方じゃねぇんだよ? おめぇらみてぇなガラの悪ぃブス魔人はお呼びでねぇから!」
タイガは口が悪い。今度はブーイングの嵐となった。
「なにそれ?? かわいくなーい!!」
「ぶぅぶぅ!」
これが人間だったなら鬱陶しいだけだったろうが、彼女らは強い魔力を持つ。サチはチンクエディアを抜いた。
「どいてくれないか? 俺たちは急いでいる」
「キラキラしてきれいな剣ね!! 見せて見せてー!」
剣での威嚇は魔人に通じない。背中の少年に「目をつぶっていろ」とささやき、サチは魔力を少し解放した。
蛇女たちの目つきが「おや?」と変化する。
「キミ、人間じゃないのかな? おっもしろいじゃない!!」
子供を背負った状態で戦いたくはない。だが、キャッキャッとはしゃいで、蛇女の一人が光球をいくつも撃ってきた。一つでも当たれば、致命傷を負う。背後にいた娼婦たちは派手な悲鳴をあげた。獲物を狙う蛇の目が光り、ケケケと裂けた口で笑うのが闇の中に見えた。
サチは光球をチンクエディアで払い落とし、一気に間合いを詰めた。
驚かれているうちに下半身を断つ。蛇女は目を見開いたまま、どぅと倒れた。切り口から赤いシャワーがシューシュー吹き出し、辺りは血の匂いに満たされる。
襲いかかろうとしていたもう一人の牙を、タイガがダガーで受けてくれた。サチは迷わず、ダガーに食らいつく頭部を切り落とす。完全に息の根を止めた。
「まだだ! さっちゃん、もう一匹にトドメをさせ!!」
タイガが言っているのは、最初に光球を投げてきた蛇女だ。倒れた胴体からニョキニョキ、新しい尾が生え始めていた。サチは一瞬、ためらってから蛇女の首を斬り落とした。
殺す……まではしたくなかったが、生かしておいては仲間を呼ばれるかもしれなかったし、今後、仇として狙ってくる可能性もあった。小さな子を背負い、か弱い女性たちを守る立場で、敵に情けをかけてはいられない。
さっぱりとした様子のタイガは、ポンとサチの肩を叩いてきた。
「さっちゃん、さすがはザカリヤ様の息子だ。たいしたもんじゃねぇかよ? オレ一人じゃ、ヤバかったぜ?」
「いいや、ダガーで抗戦してくれてありがとう」
サチもタイガに助けられている。タイガはサチの心を読み取ったかのように、微光を発する目を細めた。
「お兄ちゃん、もう、目ぇ開けていい??」
トロールの少年がとぼけた声を出した。見られなくて良かったとサチは胸をなで下ろした。
背中から聞こえる無垢な声には癒される。




