17話 最悪な誤解②(サチ)
サチがイザベラを好きだと、メグは大きな勘違いをしている。
「好きな女の子の前で素直になれないのは、恥ずかしいからかな? うまくいかないのを恐れてる?」
そんな低レベルな話ではないのだ。サチが好きなのはイザベラではなく、目の前にいる桃色の髪のかわいらしい人。羊の角を持つ亜人でありながら、人間のことも平等に救う白衣の女神。目を輝かせ、人の恋愛をおもしろがる無邪気なメグのことが大好きなのである。
「思いきって、吐き出しちゃいなよ? あたしでよければ、相談にのるからさ? 大丈夫。君ら、両想いだよ?」
サチは呆けていた。イザベラはこの五日、ただ過ぎるのを待っていたわけではなかったのだ。旅人を騙して我が家に誘い込む山姥のように、おたまじゃくしを見逃し、母カエルがやって来るのを待つタガメのように、捕えるための準備をしていた。※
おそらく、メグに相談を持ちかけ、自分の都合の良い情報を吹き込んだのだろう。誤解するように仕向けた。
「黙っているのは図星だからかな?」
「そんなわけないでしょう? どうしたら、そういう思考回路になるんです?」
イザベラだけでなく、サチは鈍感なメグにも腹を立てた。余計なおせっかいを焼こうとする、あどけない少女性にイライラする。サチはできる限り低い声を出した。
「俺には好きな人がいます。勝手に、くっつけようとしないでください」
本気で怒っているのか、照れて反発しているのかは馬鹿だってわかる。冷たい物言いにメグは驚いたのだろう。しばし、ズレた眼鏡も直さず凝視した。
サチは激しやすい性格を彼女には隠していた。良く思われたいと自分を偽っていたのだ。今思うと、それが悪かったのかもしれない。作られた良い子のサチは都合がいいだけで、恋愛対象にはならない。
メグはしょんぼりしている……
「ごめん……」
「そういうの迷惑ですから」
「あ、好きな人って誰? うちの看護師?」
……わけでもなかった。今度は好奇心に満ちた目で見てくる。好きな人が自分自身だとは思いもしないのである。
最悪なことに好きな人がいると固定観念を植え付けたせいで、メグの恋愛対象からサチは外れたままになる。メグはますます、男として見なくなるだろう。
こんなにも近くで胸を焦がしているのに、どうして気づかないのか。イザベラの言うとおり、メグがいなければ、サチは診療所で働いてなかった。メグがここで報われない人を助けているから、手伝いたいと思った。メグのことが好きだから……“人の役に立ちたい”と、たいそうな名目をつけて、自分勝手な理由を隠していたにすぎない。
感情の高まりは口を柔らかくした。
「本当に鈍い人だな……」
「そっか。最近サチ、男らしくなったもんね。どことなく、顔立ちもキリッとした感じがする」
メグは手を伸ばし、サチの頭をポンポンと優しくたたいた。メグが座るベッドとサチの椅子とは、拳二個分しか離れていない。メグが腰をやや上げて手を伸ばすと、膝がコツンと当たる。やられて嬉しい反面、サチの胸はチリチリ痛んだ。彼女はなんの警戒心も持たず、女同士でじゃれ合うようにサチと触れ合う。
「俺は見た目が子供っぽいと言われるだけで、ちゃんとした大人です。子供扱いするのは、やめてください」
「あ、ごめんごめん。かわいいから、つい……」
「そういうことを言うのも、やめてください。他の人ならいいけど、あなたに言われると地味に傷つくんです」
短い沈黙の間、サチはメグの顔を見れなかった。顔を見て言えるほど自信がない。
「俺が好きなのは、メグさんなんです」
次の沈黙は少し長かった。サチの視界に映るのは傷のついてしまった床だ。勢いあまって、顔を見ずに告白してしまった。目の前にいるかわいい人が山姥やタガメにすり替わっていたら、どうしようかと不安になる。
「ごめん……」
絶望的な一言に刺されるまで、サチは顔を上げられなかった。顔を上げたのは、そこにいるのが本当にメグか確認するためである。ねむの木に咲く花のような彼女のまつ毛は伏せられていた。心から申しわけなさそうにポッテリした唇を引き結ぶ。サチに致命傷を与えたのは、確かにメグだった。
「ごめんね、サチ。君の気持ちを受け入れることはできないよ」
「いいです。なんとなくわかってましたし……」
メグは両眉毛を下げ、額へ向かって内股にする。彼女の眉が逆方向に開くところをサチは見たことがない。できることなら、困っている彼女を抱きしめたい。
「メグさんには医師としての仕事があります。これまでどおり、しばらくは支えるつもりでいますし、俺の気持ちは心の片隅に留めておいてくれたら……」
「うん。君にはきれいさっぱり、あきらめてほしいんだ。そのほうがいいと思う」
寄り添うつもりで放った言葉を突っぱねられた。ごめんを言われるより、こっちのほうがキツい。
「あたしのことが好きだからという理由でなら、診療所の手伝いはしなくていい」
「……わかりました。好きでもない男からこんなことを言われたら、気持ち悪いですもんね……明日にでも出ていきます」
想いが受け入れられなくても、せめてあと少しの間でいいから、そばにいたかった。そんな淡い望みすら打ち砕かれてしまった。言うんじゃなかったと、後悔の念にサチはさいなまれる。残酷な言葉を投げてくるメグに憎しみまで湧いてくる。
「ち、ちがうよ? 君のことがイヤというより、あたしの問題なの」
「別に取り繕う必要はないです。ハッキリ言っていただいて構わないです」
「うん、もぅ……あたしのせいで出て行くなんて、言わないでよ? ザカリヤが悲しむじゃない」
「いないほうがいいでしょ? 診療所の手伝いをしないんなら、ここにいる意味もないです」
「じゃあ、手伝ってもいいけど……」
メグがブレ始めた。好きでもない男に告白されて、自分のことはあきらめてほしい、仕事の手伝いもしなくてもいい……と、ここまではわかる。それなのに、出て行かれて困るとはどういうことだ?
「俺はもう、ここにはいられないです。あなたに嫌悪されつつ、働けません」
「だから、嫌悪はしてないって……」
「どのみち、命を狙われる身ですし、居場所が見つかるのも時間の問題でした。ザカリヤと話して、別の隠れ家に身をひそめるか、主国に帰ろうと思っていたんです。最後に想いを告げることができてよかった」
サチは正直に話した。どうせ、こんな身上では好きな人と愛し合うことなどできない。彼女にとっては迷惑な話だったと思う。夢は夢のまま散って、現実と向き合う。出会ったころと変わらず、彼女には清廉な人でいてほしかった。
「待ってよ、サチ。別の場所に身を隠す話はチラッとザカリヤから聞いていたけど、主国には帰ったりしないよね?」
「それは、わからないです」
どうして振った男が去るのを嫌がるのか、サチには理解しがたかった。そんな態度をとられたら、また期待してしまうではないか。ザカリヤを助けたい、母を殺したナスターシャ女王とその取り巻きに復讐したい気持ちは変わらない。だが、失恋の痛手は大きく、離れたい気持ちが強くなっていた。
――ザカリヤはまだ動かないだろうし、一回主国へ帰ってみるのもいいかもな?
「君はザカリヤにとって、かけがえのない存在よ? 君が来てから変わったんだもの。投げやりでつまらなそうにしていたのが、別人のように生き生きしてきたの」
ダメージから立ち直れないサチは、なんとなくメグの言葉を聞いていた。いやにザカリヤというフレーズが出てくる。そうか、ザカリヤは変わったのか……女のヒモで、ぐうたらでも変化はあったらしい。
「だから、ね? ザカリヤのそばにいて支えてほしいの」
いや、そのつもりだが、どうしてメグがそれを言うのだ?――サチの心中に暗雲が垂れ込めてきた。長いこと、封じ込めていた疑問が浮上してくる。聞いたら、すべてが終わってしまいそうで怖かった。あの絶対に聞けなかった一言。
「どうして、そんなにザカリヤにこだわるんです? メグさんにとってザカリヤって、なんなんですか?」
「彼はあたしの大切な人だよ。大切な……恋人」
暗雲は大雨を降らし、これまでの感情をすべて流し去った。
※世界には子育てするカエルもいます。




