67話 レーベの実験
何はともあれ、アフラムの誘拐から身代金三百万リアルの受取りまで順調に進んだ。
アフラムは魔の国へ入り込み、奴隷として売るために妖精族を捕まえていた。拘束中、アスターは奴隷の輸送・販売ルート、収益……何から何まで漏らさず聞き出したのである。
カワウから魔国へ行くには、主国かグリンデルの国境を侵す必要がある。アフラムは検問所にワイロを渡し、自由に行き来していたようだ。むろん、正規ルートの関税は払っていない。明らかな違法行為だった。
こういうことを聞き出すのは、脅す材料として使えるからとのこと。アスター曰わく、「何かあった時の保証や担保はいくらでも持っておいたほうがいい」と。まったく、抜け目がない。
ユゼフはアスターの人選に感謝した。理不尽な暴力の対象が下劣であればあるほど、罪悪感は薄れる。
アフラムを捕らえて良かったことがもう一つ。金の他にガスマスクを得られた。これは瘴気に覆われた魔国で役立つだろう。
誘拐して身代金を請求する盗賊のやり口を嫌悪しようが、気球五基と魔瓶三十本、ガスマスク五十個を得ることができたのである。予定より多く金が入ったので、魔瓶は希望の数を購入してもらえた。
ひなげしの月は半分過ぎている。シーマとの約束の日まで刻一刻と時は迫っていた。
あと数日でここを発ち、魔の国へディアナの救出に向かわねばならない。本当は今すぐにでも助けに行きたかった。
はやる気持ちをユゼフが抑えるには、わけがあった。出発前にどうしても、やっておきたいことがある。
──食事の時、皆に話そう
夕食には早いが、ダモンに雑穀を与えた。ユゼフは直接手に載せて食べさせる。スキンシップは大事だ。
ダモンから得られる情報はほぼ出尽くしたと言ってもいいのだが、何かの拍子にフイと重要なことを漏らすかもしれないし、普段の何気ないおしゃべりに隠されたヒントがあるかもしれない。そんな淡い期待を胸に、ご機嫌取りを欠かさないのであった。
イアンは何人家臣を率いているのか? ディアナの他に人質はいるのか? いつから魔の国にいるのか? 教えてもらいたいことは山ほどあった。
だが、イアンの居住場所の他にわかったのは、どうやらカオルが裏切ったらしいということだけだった。
カオルの名前を出すと、ダモンはイアンが乗り移ったかのごとく激昂するのである。
弟のアキラには、兄が罵倒されているのは見せられなかった。それぐらい酷かった。
ダモンが再現しているように、イアンの性格上、荒れ狂うのは目に見えていた。執着心が普通より強いのだ。
例えば、お気に入りのぬいぐるみを罰として奪われた時も、狂ったように暴れて手に負えなかった。(ユゼフの知る限り、イアンは十五歳くらいまで熊のぬいぐるみを抱いて寝ていた)結局、根を上げたイアンの両親は、ぬいぐるみを返さざるを得なかったのである。
まあ、カオルが裏切ったとしても、なんの不思議もなかった。
カオルはユゼフと同じく、控えめな性格だ。イアンに振り回されてきた被害者と言っても、過言ではない。わざわざ、イアンのために命を懸けてまで戦わないだろう──
ドアを叩く音が聞こえ、ユゼフはダモンへの聞き取りをあきらめた。
開けると、エリザが立っている。
「部屋にいたのか? レーベが呼んでる! 皆を広場に集めて、何か始めるみたいだ」
「わかった。すぐ行く」
ユゼフはアキラの上衣を羽織った。国を出るまえから着続け、血で汚れた服は洗濯している。
汚いから洗濯しろと、服を貸してくれたのである。アキラのほうが肉付きがいいだけで身長はほぼ同じだ。
彼はとんでもない不良だが、仲間と認識した相手には優しい。年が近いこともあって、ユゼフはアキラとだいぶ打ち解けてきた。盗賊の頭領と仲良くできるのなら、兄のカオルとも友達になれたのではないかとも思う。
部屋を出る時、エリザが急に腕をつかんできた。
「今夜、空いてるか?」
「……特に何もないけど?」
「じゃあ、部屋に行ってもいいか?」
何か話があるのだろうか。イアンとの交渉の件か。本人が進んで引き受けたとはいえ、ユゼフは反対している。
イアンが直接何かしなくとも、魔物を操る何者かが近くにいる。ユゼフは無関係な彼女に危険な役割を与えたくなかった。
ユゼフが黙っていると、
「返事がないなら、行くぞ? 行くからな?」
エリザは強引に決め、手を放した。
広場は盗賊たちでごった返していた。五時をまわっているのに西日が眩しい。
赤く照らされた広場の中央に壇を設え、レーベとアスターが見下ろしていた。何やら大声で呼び掛けている。
病の看病をしてもらってから、アスターはレーベに甘くなった。最近は話し合いに参加させるだけでなく意見を求めたり、相談までしているようだ。ユゼフは快く思わなかった。
──賢いとはいっても、まだ子供だ。こんなことに深入りさせていいものかどうか……
「これの正式名称は甲虫目オサムシ亜科マカイクロオサムシといいます。魔の国で発見されている甲虫は他にもいくつかありますが、代表的な甲虫であることから、これを魔甲虫と呼ぶことにします……」
レーベは蓋つきの試験管を高々と掲げて、数十匹いる甲虫を盗賊たちに見せた。
──いつの間に虫を手に入れたのやら……しかも、あんなにたくさん……もしかして繁殖させたのか……!?
ユゼフは身震いした。あれが体内へ入りそうになった時、ナイフでえぐり出したことを思い出したのである。
危険な虫を飼育するだけでなく、繁殖までさせている。十二、そこらの子が。
──どう考えても異常だよ。あの子は、まともな大人の所に預けたほうがいい
「……こいつは皮膚を食い破るか、鼻や口から体内へ入った後、脳に寄生して肉体を意のままに操ります。そして、動くすべての有機体を襲い、脳が破壊されるまで食い続けるのです」
レーベはいったん言葉を切った。人波を縫って、壇の前まで来たユゼフとエリザに気づいたのだ。
ユゼフは近くにいたアキラとバルバソフに尋ねた。
「何を始めようとしているんだ?」
アキラは腕組みしたまま、首を傾げている。
「オレにもわからねぇ。オレたちも、さっき来たばかりだからな?」
「腹が減っているのにいい迷惑だぜ。アスターとクソガキのコンビのせいで」
バルバソフがイラついた口調で言った。レーベの演説は止まらない。ここは学芸発表会の舞台じゃないんだと、言ってやりたくなる。
「魔甲虫を倒す方法は簡単です。普通の虫を殺すように叩きつぶせばいいのです。ただし、人間の体内で大量に増殖するこいつらは、群れで襲いかかってくる。その場合、有効な手段を考えたので聞いてください」
野次を飛ばす者はわずかだ。大半がおとなしく話を聞いている。
五首城からの帰還後、何人ものケガ人や病人をレーベは治療していた。それが功を奏したと思われる。
「魔甲虫の弱点は二つあります。一つ目はご存じの方もいると思いますが……光です。特に太陽の光が有効です。一瞬で消し炭にすることができます。ですが、魔の国は厚い雲で覆われているため、太陽の光は射しません」
ここでアスターが言葉を引き継ぐ。
「二つ目の弱点はレーベが発見した。体に入り込んでも、速やかに対処すれば助かる」
「弱点は水です!」
レーベは声を張った。
「体内に侵入されたあと、すぐ水に入れば、虫は体外へ出て水中で自滅します。水圧が関係しているのか、理由はわかりませんけど……動物では何度か実験して成功しています」
レーベはアスターとうなずき合った。
「人間で実験して、水の有用性を証明したいのです!」
「誰か、実験に協力してくれる勇気ある者はいないか?」
アスターは太い声を張り上げて、皆の顔を見回した。
盗賊たちはどよめき、顔を見合わせる。得体の知れない虫を体に入れるというのだ。自ら進んで実験台になろうとする者はいなかった。
「誰かおらんのか? 勇気のある者は? 臆病者め!!」
アスターが威嚇する。壇上を歩き、盗賊たちの顔を一人一人見て回った。
変な緊張感が場を支配し、ユゼフはアスターから目をそらした。嫌な予感がする──
と、甲高い子供の声が響き渡った。
「ユゼフ・ヴァルタン!」
予感的中──
レーベが笑顔でこちらを見ている。
「魔の国へ王女を助けに行くという仕事を持って来られたのは、ここにおられるヴァルタン卿でしたね。危険な仕事をやり遂げる意思を表明するためにも、あなたがお引き受けになったらどうでしょう?」
レーベは皮肉を込めて嫌味ったらしく、皆に聞こえる大声で言った。
ユゼフは立ちすくんだ。エリザが腕をギュッとつかみ、心配そうに見上げる。
場は静まり、小声がときおり聞こえるだけになった。
「さあ、どうです? 一度に馬をニ十頭操ったあなたなら、こんなこと屁でもないでしょう?」
レーべの幼い声が広場中に響き渡る。
ユゼフは助けを求め、壇上にいるアスターへ視線を送った。不本意ながら、頼ろうとしてしまう悪癖は否めない。
アスターは腕組みし、どこか遠くの方を見ていた。
アキラは同情のこもった目をこちらへ向けているし、バルバソフは地面に唾を吐いている。
彼らに助けを求めても無駄だろう。
──絶対に嫌だ。あの虫を体に入れるなんて……死ぬ可能性もある……だが、ここで断ったら確実に全員の反感を買うし……ディアナ様の救出に協力してもらうには……
必死に考えても、逃れる方法は何も思いつかなかった。
「さあ、さあ、さあ! 早く決めてください! 皆、夕飯前でイラ立ってるんだ。さあ、早く!」
レーべに急かされ、ユゼフが首を縦に振ろうとしたその時、
「待ってくれ!」
細く芯の通った声が、嫌な空気を裂いた。
見ると、盗賊の中に手を上げる者がいる。その人は人ゴミを掻き分けて、広場の中心までやって来た。
「オレがやる! この人の代わりに!」
声を張り上げ、勇ましくユゼフの前に現れたのは、まだ少年のような亜人だった。
尖った耳と、額に二つの小さな角を生やしているのは魔族の特徴であろう。少年はユゼフに向かって、もう一度言った。
「オレがやる。あなたの代わりに」
「……しかし、君はいくつだ?」
「十五です」
困惑するユゼフに、少年は胸を張って答えた。年齢よりも幼く見える。レーべとさほど変わらない。
「子供にさせることはできない」
ユゼフの言葉にアスターが反応した。
「アキラと三つしか違わない。十五ならもう大人だ。さあ、壇に上がるがよい」
少年はアスターに促され、壇上に飛び乗った。
「名前は何という?」
「ラセルタ!」
少年は叫ぶように名乗り、まっすぐにユゼフを見た。サチを思い出し、ユゼフは目を伏せた。




