9話 魔王の嘆き(エゼキエル)
ディアナがいなくなった。
先日の逃亡とは明らかにちがう。今回は、か弱い奴隷ではなく、力を持つ者が手引きしている。
「ケッ、今朝カラ、いないのデス。スグに見つかるだろうと思い、探していたのデスガ……」
“今朝”というのは、魔国では昼下がりを指す。窓のない暗い回廊では、トーチの青い光が揺らめいていた。昼でも夜でも、変わらぬ内装は焦燥感を募らせる。
どうしてすぐに知らせなかったのだと、カッコゥを責めることはできなかった。会合の最中に割って入るのは、勇気がいったことだろう。
「鎖は魔法で引きちぎられておりマシタ。奴隷は三人おりましタガ、全員眠らされてイテ……ディアナ様と奴隷以外に、二人の女の匂いが残っていたのデス。二人とも知っている匂いデシタ……一人は……」
「リゲルだな?」
エゼキエルはカッコゥの言葉を待たなかった。わかりきっていることだ。リゲルはエゼキエルを熟睡させ、暗いうちに行動を起こした。魔女の怒りは自身へと向かわず、恋敵を遠ざけることで発散された。当分、顔も出さないだろう。
「もう一人はイザベラかと思われマス」
「その名には聞き覚えがある……女傑か??」
「オッカナイ娘デス」
ディアナの忠僕であるオッカナイ娘と共謀し、逃がしたというわけか。女の焼きもちは可愛げがあるとしても、嫉妬になると、とたんにかわいくなくなる。次に会った時、リゲルに優しくできる自信がエゼキエルにはなかった。
「城内にはもういないのか?」
「……ハイ」
メニンクスで気配を消したのは前回と同じだが、スピードがちがう。城を出るなり、ほうきで飛び立ったのかもしれない。ほうきは鳥並みの速度が出る。
ということは……もう魔国にいないか。よくて、ローズの森か? グリンデル方面は避けるだろうから、その可能性が高い。まだ、虫食い穴に入ってなければ……
エゼキエルはこのまま飛んで探しに行きたかった。主国の女王がいなくなったのは一大事だ。
しかし、今は大事にすべきではないと判断した。時間の壁にも遮られているし、充分見つかる可能性はある。探すのは下々の者に任せるべきである。動揺を気取られてはならない。自ら主催した会合の真っ最中だ。
エゼキエルは、カッコゥに魔人を数名手配するよう命じた。
「魔女以外の人間の女を生け捕れと命じよ。虫食い穴に入られたら終わりだ。グリンデル水晶を使い、壁を越えさせよ。ローズの森をくまなく捜索するように……」
命じたあとで、エゼキエルはリゲルの安否が気になった。生け捕りするのは“魔女以外の人間の女”と指示を出してしまった。それ以外は殺してもいいということになる。
しまったと思った時は、すでに遅し。カッコゥは姿を消していた。可愛い魔女には死んでほしくない。
自分は酷い主だ。新しい恋人に執心するあまり、古い恋人をぞんざいに扱い、失おうとしている。会合が終わったら、なんとか理由をつけて様子を見に行こう。こんな理由で魔国を出たら、サムは激怒するだろうが――エゼキエルは心を乱したまま、玉座に戻った。
サウルを確保することで全員の意見が一致し、その役目を誰が担うのかという話になっていた。
エゼキエルは上の空だった。あんなにも尽くした籠の鳥を逃がしてしまった。もう二度と戻らないかもしれない。彼女を傷つけてから、一度も会っていなかった。嫌悪されているだろうか。まだ、愛は残っているか?
太陽とシャリンバイのお守りは持っていったのか。あれを肌見離さず持っていれば、まだ愛してくれている。あれを捨てられる日がきたら、彼女のことはきれいサッパリ忘れよう、エゼキエルは小さな決心をした。
様々な想いがわき起こり、刃となってエゼキエルの心臓を刺した。微笑んで首肯したり、顔を傾けて考え込むふりをする裏側では、血まみれになっている。呼吸もままならないぐらい胸が苦しいのに、表向きは平然としなくてはならない。
エゼキエルは初めてユゼフの気持ちを知った。
ユゼフは好青年を演じ、宰相としてひたむきにシーマを支えた。仕事に対しては謹厳実直。厳しく、頑固な王の右腕。一方、個人に接するときは優しくおとなしい。彼の二面性はこれだけではない。裏では憎悪を抑えきれず、ヘリオーティスを殺戮し続ける。冷酷無比、血に飢えた狼だった。不器用な男は闇と光を切り替えなければ、生きていけなかったのだ。
愛してはいけない女を愛した。
代償は大きい。他の大切なものをすべて失うかもしれない。それでもいいと、エゼキエルは思ってしまった。
それぞれ性格のちがう頼もしい家臣たち。サム、ティム、リザーディアはだいぶ馴染んできている。三人ともエゼキエルにとって、なくてはならない忠臣だ。
剛毅木訥、厳格なサムも、知的で気配りのできるリザーディアも、いつも楽しませてくれるアホトサカも。
情により、サウルを逃がすのではないかという理由から、ティムは実行役を外された。リザーディアは隠密に適しているが、戦闘能力が低い。必然的に、サムがサウルのもとへ乗り込むことになった。
「大丈夫だろうか……?」
失礼とは思いつつ、エゼキエルは心配した。未成熟のサウルはともかく、ザカリヤは強い。この時代でサムと並び、英雄視されている。他に魔人がいる可能性もある。
サムはエゼキエル勢の中核である。何か決める時は必ずサムに相談するし、エゼキエルの精神的な支えにもなっていた。彼がいなくなったら、立ち行かなくなる。
「む……我を信用せぬと言うのか?」
「ザカリヤは強敵と聞く。くれぐれも手抜かりのないようにな?」
自尊心の高い兄に言えるのは、これが精一杯だった。彼の自尊心は魔界の奥地にそびえる峻厳な山々より高い。
サムはエゼキエルの心配をカタカタと笑い飛ばした。
「案ずるとは女々しいぞ。我が最強なのは知っておろう? そうだ、最近稽古をつけてやってないな? 体を動かせ。さらば、些末事に頭を悩ませることもなくなる」
兄のお小言がこの程度で済んだのは幸運だった。ここ数日のエゼキエルの生活態度は最悪である。女に溺れ、それ以外のことを見ようともしなかった。サムが具体的に指摘しないのは、個人的領域に踏み込んでしまうからだろう。名家育ちの骸骨はそこらへんも、わきまえている。
話し合いもうまくまとまり、ようやく捜索に向かえそうだった。浮き立つ心を感づかれないよう、エゼキエルは気難しいふうを装って眉間に皴を寄せる。見落としがないか、魔国の地図をチェックした。
その間、通信役の魔人に呼び出され、リザーディアがいなくなった。
数分後、戻ってきたリザーディアは苦い顔をしていた。表情筋が少ない代わり、目を糸にしている。
「陛下、サウルですが……」




