94話 はなしたくない(エゼキエル)
――ぺぺもエゼキエルも同じでしょ。同一人物なんだから
愛せるのかと聞いて、彼女はこう答えた。これは愛の告白と同義だ。相手の気持ちを知ることで、それまで覆い隠されていた本心が暴かれることもある。
仇を愛してしまったのだと、エゼキエルは悟った。
「朕もそなたを愛している」
ディアナは口づけで応えてくれた。彼女は受け入れたのである。エゼキエルの心は決まった。ずっと一緒にいたい。ずっとは無理でも可能な限り、愛し合いたい。
地獄の劫火に焼かれようとも、世界中から後ろ指さされようとも、亡くなった妻子に恨まれようとも、罪悪感が背徳を許さずとも……彼女を愛したいと思った。
最後のランタンが消え、窓の隙間から差し込む月明かりだけになった。抱擁は女を安心させ、深い眠りへといざなう。
彼女が完全な眠りに落ちてから、エゼキエルは存分にその裸体を堪能した。快楽を貪ったあとの女は油断している。
黄金の川はシルクの川と合流し、なだらかな坂がかわいらしい山へと続いている。山の次は不安定な湿地帯だ。その奥には秘境がある。冒険の果てに二本の大河を下る。
ずっと見ていたかった。
隆起と沈降を繰り返す二つの小山も、少々くびれ過ぎの湿地帯も、オーガズムを与えてくれる秘境も、全部エゼキエルの物だ。しかしながら、時間には限りがある。
コツコツと窓を叩く音が至福の時を奪った。
――気のせいかもしれん。無視しよう
二回目、コツコツ……少々、いら立ちが感じられる。三回目、コツ……ガッ……変な音がした。ディアナがビクッとしたので、エゼキエルは窓へ向かった。
幸い、両開きの窓は音を立てなかった。窓の縁にぶら下がってるのは、トサカ頭。
「邪魔しにきたか。アホの忠臣が」
「アホは余計っすよ」
エゼキエルはティムの腕をつかんで引き上げた。
入るとき、音をほとんど立てなかったのは評価できる。さすがは魔王の守人だ。普段は騒々しくとも、ちゃんとわきまえている。
エゼキエルたちは衣擦れの音量で会話した。
「なんで、すぐに開けてくれなかったんすか? 起きてたでしょ?」
「秘境を旅していた」
「お、おぅ……それは遥か遠くまで、ご苦労さまです。んで、宝物は見つかりました?」
「おまえには分けてやらん」
「がめついなぁ」
ティムはベッドのほうを気にしながら話す。天蓋からカーテンが下がっているため、ディアナの肢体は隠れていた。ティムには絶対に見せられない。
「ま、冗談はこれくらいにして、想像以上にヤバいっすよ?」
「アスターか?」
「主殿の周りや城門、市門に至るまで、出入口は全部兵で固められてますねー」
「空は?」
「グリフォンで逃げることを想定してるんでしょう。主殿の屋上も、その周りの塔も兵が詰めてます」
「くくく……イカれオヤジめ」
アスターの中では、ユゼフに扮したエゼキエルは完全にクロらしい。
「笑いごとじゃないっすよ? 騎士団のダチの話だと、捕まえたら俺のトサカを引っこ抜くと息巻いていたそうです。ほんとに大変なんすから!」
それのどこが大変なのだ? まあ、ティムにとっては一大事なのだろう。
「スリルを楽しみたいなら、グリフォンで強行突破っすかね? 下から弓で打たれまくるでしょうけど」
「パスだ。今日はツレがいる」
「ふむ……なかなか良い案だと思ったんですが……仕方ないですね。じゃ、無難に虫食い穴で帰りましょう」
ティムは虫食い穴を出した。虹色の渦が、合わせ鏡みたいに続いている。それはうしろから見ても同じで、横から見ると薄い。まばゆい光はディアナを深い眠りから覚ました。
「んんん……ぺぺ?」
ベッドに戻り、エゼキエルは愛する女をふんわりシーツでくるんだ。
「まだ、寝ていていい」
額にキスし、彼女の意識を奪った。妖精族だったころの名残で、簡単な暗示くらいはかけられる。ディアナは夢の国へ戻った。
あと、忘れてはいけない。枕のうしろに落ちていたお守りを彼女の首にかける。太陽とシャリンバイは永遠の愛を意味する。これをユゼフが渡したと知った時、エゼキエルは憤ったが、今では彼女が持っていてもいいと思う。
ぐったりしたディアナを抱きかかえ、エゼキエルはベッドから降りた。ティムは喫驚している。
「えぇ!? それ、ディアナ様っすか? まさか、ツレって……ディアナ様!?」
「他に誰を連れて行くと思ったのだ? さ、行くぞ?」
「やば……ほんとに連れて行くんすか?」
「うん。朕とディアナは愛し合っておる」
ティムがディアナの顔をのぞき込もうとしたので、エゼキエルは怒った。
「軽々しく見ようとするな! ディアナの寝顔は朕しか見てはいかんのだ。見たら、目ん玉をえぐり取るからな!」
スヤスヤ眠るディアナは最高にかわいい。永遠に見ていたくなる。これを見るのはエゼキエルにだけ許される特権なのだ。
「でも、ディアナ様をさらっちまったら、主国はどうなるんすかね?」
不意にティムから飛び出た言葉は、エゼキエルを一瞬だけ躊躇させた。なにも考えてなかったのである。
「し、知らん。人間たちが勝手になんとかするであろう」
「連れて行ってどうするんです? 瘴気の中じゃ生きられないし、死んじゃいますよ?」
「そこらへんはなんとかする」
「食事とか着るものとかは?」
「えぇい、おまえが荷物をまとめればいいだろう!」
これでは、無理にペットを連れ帰ろうとする子供である。エゼキエルは威厳を保つため、ティムに荷造りを命じた。
「しょうがねぇなぁ……」
ティムはつぶやき、ベッドのカーテンを引きちぎった。
そして、手際よく……というより、雑に衣類をカーテンの上へ投げていった。
いつもディアナが着ているきらびやかなドレスは、別の衣装部屋にあるのだろう。寝室のチェストに入っているのは寝間着や簡易な外套、肌着類ぐらいだ。ティムが無造作に下着を鷲掴みしたので、エゼキエルは目を疑った。
「おまえ、今っ! ディアナの下着をっっ!」
「え、なに? 下着? どこ?」
「意識するな!」
適当に見繕った衣類や生活品をカーテンでくるみ、ティムはそれを背負った。ようやくこれで出発できる。虫食い穴は口を開けて待っていた。
エゼキエルが入ろうとすると、ティムの声が追いかけてきた。
「ディアナ様を妻にするんです? 愛人にするんです?」
それもエゼキエルは考えてなかった。妻……にはできない。亡くなった妻の墓石を倒すことはできない。ならば、愛人か……
「リゲルはどうするんです? あいつ、悲しみますよ」
「知るか。行くぞ」
エゼキエルは煩わしい質問を振り切り、光の渦の中へ入った。
お読みくださり、ありがとうございました。
これで第四部前編は完結となります。
しばらくお休みしまして、後編は1/1(水)9:10よりスタートします。




