92話 晩餐(エゼキエル)
晩餐の席にいたのは、ディアナの他には近親者のカオルだけだ。演技も慣れてきたので、エゼキエルは気負わず食事することができた。テーブルマナーはティムから教わっている。
細かい文様が彫りこまれた銀の坏はあまり手になじまない。テーブルに並ぶ道具はどれも繊細で、華奢なディアナと似ていた。ディアナは愛する男に見てもらおうと、目一杯のおしゃれをしたのだろう。まとめ上げた髪を大きな塔のようにし、キラキラしたビーズの飾りをいくつも付けていた。衣装もピンクから落ち着いた暁色へと変更。色合いは落ち着いていても装飾は華やかだ。
充分観賞に値する美だが、ゴテゴテした飾り物が台無しにしている。エゼキエルは彼女から邪魔な装飾を取り払ってしまいたかった。
持ちにくい坏もそう。持ち手の柱の部分に注目を集めようと細くし過ぎて、造形的な美まで損なっている。エゼキエルは壊れそうな持ち手をつまみ、ワインを口に含んだ。
酒は魔国のほうがよい。ワインは味に深みがなく淡白だ。醸造期間が短いのが流行なのかもしれない。
その代わり、食事は美味であった。趣味のいい庭園を思わせる凝った前菜が出てきたかと思えば、親しみやすい揚げ物が登場したりと野趣に富んでいる。魚肉にチーズを抱かせ、衣にくるんで揚げた料理は見習いが作ったという。なんだか子供っぽいというか、王室の食卓には不似合いの料理だ。
聞いてみたところ、ユゼフがたいそう気に入っている料理なので、わざわざ作らせたとのこと。料理長がその見習いを呼んでくれた。
白いエプロンに短めのシェフ帽を被った見習いの名はファロフ。人懐っこい笑みを見せるファロフは給仕のかたわら、親しげに話しかけてきた。
「戻ってこられて良かったな、ユゼフ! 心配してたんだよ」
料理人見習いと旧知の仲とは知らされていなかった。ユゼフは意外にも庶民派である。エゼキエルは笑顔で答えるにとどめた。ファロフは遠慮なく話してくる。民というのはいつの時代も無邪気だ。魔王として恐れられるまえは、エゼキエルも民と仲良く交流していたような気がする。別に不快ではなかった。
「サチとイアンは無事だろうか? イアンはどこでも生きていけそうだけど、サチは大丈夫かなぁ」
共通の友人というわけか。イアンの評価はどこでも同じである。
「イアンは知らないけど、サチは元気にしているよ」
そう伝えてやると、ファロフは安堵の表情を浮かべた。
「仲直りできたんだな! サチが主国を出る時にこの料理を出して良かった。食事中、二人とも目を合わせなかったから、ちゃんと仲直りできたか不安だったんだ」
仲直りか……と、エゼキエルは心の中でつぶやく。ユゼフはサチ(サウル)にどのような感情を抱いていたのか。持ち物検査で得られた情報から、清らかさは感じられなかった。エゼキエルが想定するユゼフの性格だと、サウルを利用しようとしていたのか、おいおい前世の復讐をするつもりだったのか、能力を妬んで卑屈になったりということも考えられる。
カオルの咳払いでファロフとの会話は中断された。下がるまえに苦笑するファロフの目がおかしいことに、エゼキエルは気づいた。なんの変哲もない黒い目だが、どこかおかしい。違和感がある。よくよく観察してみると、ファロフからは微量の魔力がもれていた。魔国では魔力を帯びているのは普通のことだから、気にならなかったのだ。そういえば、初めに会ったジャメルという騎士も同じだ。
――もしかして、亜人??
リゲルのようにほとんど人間と変わらぬ亜人もいる。しかし、多くは複数の獣の特徴を持っていたり、目や髪の色も人間より豊富だ。ファロフはたぶん、目の色を変えているのだろう。ゆえに、違和感を覚えたのだ。彼らは亜人の特徴を消し、人間として人間社会で生きているのである。
――すっかり、人間みたいになりやがって……誇りはないのか?
エゼキエルは憤ってから、彼らは悪くないと思い直した。エゼキエルが魔国に追いやられてからというもの、亜人は虐げられ続けてきた。本土には彼らの居場所はない。人間として生きることを選んだとしても、致し方ないことだ。
エゼキエルは思わず、歯ぎしりしそうになった。
怪しむようなカオルの視線にさらされ、ハッとする。昼間会った時とはちがい、カオルは疑いの目を向けていた。アスターに何か吹き込まれたのだろう。
「ファロフと仲がいいんだね? ジャメルはまだいいけど、おれは元盗賊連中は苦手だな」
「アスターの周りは品性が欠けてるのよね」
カオルの言葉に、すかさずディアナが相槌を打った。ヘリオーティスを従えているディアナには、アスターだって言われたくないだろう。カオルはまだブツブツ言っている。美形なのに陰険である。
「アスター様というか、イアンの友達だよ。イアンの周りはいつもそう。不良ばかり集まるんだ」
「ほんと、やーよね。ほら、あのアホのトサカ頭とか……」
トサカ頭? トサカ頭といえば、一人しかいないのだが。
――ティムは朕の忠臣だぞ? 悪口言うな
残念ながら、アホというのは間違っていない。今ごろ、エゼキエルを城外へ逃がす準備をしていることだろう。そう願いたい。
「子供のころはイアンのせいで、さんざんな目に遭ってきたよな?」
また、イアンの話題か。やはり、苦情相談窓口が……
「射石砲の一件は覚えてる?」
カオルは探るような目つきをしている。エゼキエルを試そうとしているのかもしれなかった。
――射石砲ときたか。人間たちが使っていた大砲の劣化版だな?
大砲は人間がアニュラスへやってきた時に持ち込んだ武器だ。その後、大砲から射石砲へ退化した理由は定かではない。外海から来た時に持っていた原料がなくなったとか、製作可能な技術者が足りなくなったとか、さまざまな理由が考えられる。
――イアンが射石砲にイタズラしたのだな? あの馬鹿がやりそうなことといえば……
「花火を飛ばした……」
「そう! そうそう! あれは強烈だったよな? 魔法の札を砲身に貼り付けてさ。大騒ぎになったんだよ」
エゼキエルは胸をなでおろした。よかった、当たっていた。
「おれもユゼフも反対したけど、いつものアレで聞く耳持たず。これ以上なにか言うと、おれら自身が砲身に詰められるところだったんだよな?」
一瞬、それか?……ともエゼキエルは思った。だが、さすがに笑い話にならないだろうと花火にしたのだった。本当に詰められていたら、カオルはここにいない。イアンに関する思い出話は止まらなかった。
他にも、とある邸宅の柱を切って崩壊させたり、濠の水を川に流して洪水を起こしそうになったり、城でボヤを出して敵襲だと勘違いさせてしまったり……ローズの森はイアンの作った落とし穴だらけで、旅人からは魔境と呼ばれているらしい。
――子供のころから、しょうもない奴だな
エゼキエルは呆れ返った。ディアナも嘲笑している。
「ユゼフもよく生きていたなって思うよ。毒虫を食べさせられて死にかけたし、剣術ごっこでも血まみれで大変なことになったしな?」
――なんだと!? やはり、今度会った時は死刑だ!
馬鹿の処遇はサムに任せてもいいと、エゼキエルは思った。ユゼフがおとなしいのをいいことに、やりすぎである。
「でも、よかった。いつものユゼフだ」
カオルは緑がかった薄茶色の瞳で笑う。
「じつはさ、アスター様からユゼフの様子がおかしいから、探ってこいと言われてたんだ。いろいろカマかけてみたんだけど、普通に答えられてるし、ホッとしたよ」
思ったとおり、試されていた。カオルが能無しでよかったとエゼキエルは思う。イアンのやりそうなことは想像しやすかった。本当にイアン被害者の会を設立したほうがいいかもしれない。




