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ドーナツ穴から虫食い穴を通って魔人はやってくる  作者: 黄札
第四部 イアン・ローズ冒険譚(前編)
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91話 ユゼフの残り香(エゼキエル)

 風呂は乱れた心を落ち着かせるには最適だった。エゼキエルは人間社会に疎い。概要だけわかった気になって、細かいルールを理解していなかったと思われる。怒られるのも無理のないことだ。そう自身を戒め、ディアナの態度が急変したことの理由とした。わだかまりは完全に解けないが、落ち着くことはできた。


 入浴中、アスターが面会を求めてきてもエゼキエルは無視した。本当に鬱陶しいオヤジだ。ティムが捕まらないのだろう。王の守人は優秀である。報告の際、アスターだけ女王の間に呼んでもらえなかったから、ヤキモキしているにちがいない。


 熱い湯は筋肉を弛緩させ、皮膚の呼吸を促す。肉体の再生は精神にも良い影響を及ぼす。エゼキエルは上から下まで清潔にされ、従僕たちに服を着させられた。なるほど、ティムの申したとおりだ。着方を覚える必要はない。従僕の一人がこんなことを言っていた。


「宰相閣下はご自分のことは、すべてご自分でされていました。手伝いをするのは信頼する従者一人だけです。このようにお世話をすることができ、光栄に存じます」

「その従者は今、どこにいるのだ?」

「ラセルタはアスター様の命でエデンに行っています」

「エデン?? なぜ、そんな所へ!?」

「事情はわたくしどもには、よくわかりません」


 エデンというワードに結びつくのはあの男、イアン。まただ。また、イアンの影がチラつく。

 おそらく、アスターはイアンの動向を調査させるため、ユゼフの従者をエデンに遣わしたのだろう。


 ――朕の従者をなんだと思ってるのだ!


 ユゼフがかわいがっていたという従者にエゼキエルは会いたかった。きっと、エゼキエルにも尽くしてくれたことだろう。それがアスターとイアンのせいで台無しになった。


 ――いなくても、人に迷惑をかけるのだからな、あの男は


 イアンに関する苦情受付窓口が必要ではないかと思う。馬鹿は死んでもなおらない。


 晩餐のまえに少し時間があったので、エゼキエルはユゼフの荷物を漁ることにした。

 ユゼフの持ち物は仮住まいの部屋に運ばれていた。籐で編まれた行李(こうり)が一つとオークのチェストが一つ。荷物が少ないのには疑問を持たなかった。エゼキエルは物に執着しない。ユゼフも同じだろう。

 まず、頑丈な鉄で縁どられたチェストに目がいった。ほとんど黒に近い色をした宝箱は邪悪だ。オークが重厚感を出しているにしても、明らかに異質だった。あいにく、鍵がかかっていて開かないようになっている。


 エゼキエルは右手に力をこめ、錠を破壊した。パンッという破裂音のあと、金属が弾ける。扉の外で慌てる従僕の声が聞こえた。


「大丈夫だ。なんでもない」


 チェストの中には狼犬のマスクとマント、黒い服、靴、剣が一振(ひとふり)入っていた。どれも血生臭い。夜露と人間の臭いがする。ジメッとした陰の気に当てられ、エゼキエルは身震いした。


 ――なにをやっていたのだ、ユゼフは?


 昼間は気弱でおとなしい男の仮面をかぶり、夜は人間を殺していたというのか。出会う人間が皆、エゼキエルに好意的だったということは、好青年を演じていたのだろう。だが、彼は純朴なお人好しではなく、憎悪の塊だったのだ。表面上は人間たちと仲良くし、裏で彼らを欺いていた。ユゼフが、自分すら上回る闇を抱いていたことにエゼキエルは恐怖した。

 これまでエゼキエルが考えていたユゼフは、敵と仲良くするボンクラだった。まさか、こんなにも歪んだ男だとは思いもしなかったのである。


 ――もしかして、サウルやディアナと仲良くしていたのは復讐を遂げるためか


 エゼキエルは闇に堕ちてからも、高潔でありたいと思っていた。ユゼフのやり方は陰湿かつ卑劣。エゼキエルには合わない。自分のなかにいるユゼフが気味悪くなってきた。

 ひとまず、殺人の証拠品はなんとかせねばなるまい。エゼキエルは死臭のする衣類をふたたびチェストに放り入れ、炎で焼き尽くした。青い炎は高温だ。一瞬で焼いたため、煙が出たのは消火した時だけだった。チェストの中には灰だけが残る。

 あとは殺人に使った剣をどうするか。血がついてなくとも、処分しておくべきだろう。燃やせないので、これは保留とした。


 バタン! 重々しいオークの蓋を閉じ、闇を封じる。次にエゼキエルは行李の中身を吟味した。こちらは特に注目するところはなかった。数枚の衣類に髭剃り、歯磨きなどの生活品。装飾品も身に着けないから、ずいぶんこざっぱりとしている。必要最低限の物しかなかった。一つ言えるのは、どれもみな高価というより、上質で使い勝手がいい物を選んでいる。長く使い込んでいるせいか、櫛やペンなどはだいぶ古びていた。こういう所はエゼキエルと同じなので、親しみを覚える。


 エゼキエルはヨレヨレの手帳を手に取った。カバーの皮はよく手に馴染んでいる。

 手帳にはぎっしり文字が書き込まれていた。普通ではないのは、さまざまな言語で書かれているところだ。だいたいが魔族語で書かれており、それも現在魔国で使われている公用語ではなく、古語だったり、一部の部族だけで使用される言語だったりした。それを日によって、あるいは文の区切りで変えて書くものだから、エゼキエルでさえ読むのが困難である。魔族語に縁のない人間が解読するには、時間がかかるはずだ。読まれるのを懸念してこういう書き方なのだと思われるが、異常性がにじみ出ていた。


 ――まったく、どんな頭をしているのだ?


 愚鈍かと思いきや、頭は悪くなかったようだ。いや、かなり賢い部類に入る。しかしながら、気になる手帳の内容は事務的なことのみで、まじめな仕事人間ぶりがうかがえた。仕事面では意固地で強い自我が見え隠れする。本来のキツい性格が現れていた。


 顔の中心に皺を寄せ、厳めしい表情で文字を書き込むさまが思い浮かぶ。そのつまらない男が、なぜか女にはモテた。ディアナもリゲルもユゼフを愛している。これが一番腑に落ちない点だ。

 手帳を閉じ、エゼキエルは何もない天井を見やる。漆喰をまんべんなく塗るのには技術がいるだろう。それにしても、真っ平らで変化のない天井はつまらない。


 一連の詮索から見えてきたのは、曖昧だったユゼフの全体像だった。

 ユゼフという人間はつまり……


 物静かで人当たりがよく、まじめで仕事熱心。物を大事に使い、頭もいい。その一方で歪んだ性質も持ち、人間に対して強い憎悪の念を持っていた――と、こうなる。


 人間を憎むようになったのは妻をヘリオーティスに殺されたからだろう。エゼキエルと同じだ。だが、決定的にちがう点がある。エゼキエルはユゼフのように裏表をうまく使い分けることができない。これは生まれ育った環境がなせる技だと思われる。ユゼフはあまり幸せではない子供時代を送ってきたのではないか。我慢を強いられるような、表向きはいい子を演じないといけないような……強引に押さえつけられ、子供らしくのびのびできなかったのではないか――歪みはここから来ている。

 もしも、ユゼフの記憶が戻り、エゼキエルと一つになるのなら、この歪みを受け入れることになる。エゼキエルは陰鬱な気分になった。

あと三話で第四部前編は終わります。今週に限り、土曜日まで投稿します。

投稿時刻は13:10、12:10、11:10です。

次回、後編は1/1(水)9:10スタートです。

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