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ドーナツ穴から虫食い穴を通って魔人はやってくる  作者: 黄札
第四部 イアン・ローズ冒険譚(前編)
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88話 仇なのか、恋人なのか(エゼキエル)

 エゼキエルとディアナが抱擁している間、周りの人間は風景に溶け込んでいた。エゼキエルは思考停止し、ただひたすら女の香りや感触を味わった。女から出る精気は、時に麻薬の効果をもたらすことがある。

 キスしそうなぐらい顔を近づけていたディアナが、突然スッと離れた。


「やだ……私ってば、はしたない。こんなに大勢の人の前で……」


 エゼキエルにも、気まずい空気がわかった。人間の貴人は人前であまり愛情表現をしないと、ティムから聞いていた。好奇より衝撃のほうが勝っていたのだろう。皆、目を泳がせ、困惑している様子だ。唯一、軽蔑のまなざしを向けてくるカオルはディアナによく似ている。血縁者か。郷愁を覚えたのは、そのせいだったのだ。アスターが咳払いした。


「陛下、再会をお喜びのところ、水を差すようで申しわけないのですが、ユゼフの様子が少々おかしいです。お調べいたしますので、今一度、私にお預けいただけないでしょうか?」


 とたんにディアナの顔が険しくなった。


「アスター、冗談は顔だけにしてよ? 午後の予定はすべてキャンセルしてユゼフと過ごすわ。ずうずうしく割り込んでこないでちょうだい」

「陛下のために申しているのです。ユゼフは明らかに変です。悪霊の類に体を乗っ取られている可能性もあります」


 ディアナは乾いた笑い声を立てた。屈強な類人猿を前にひるまないのは、すごいことだ。


「そんなこと言って、自分がユゼフと話したいんでしょう? 今日は一日譲りませんからね。この人は私の物なの。邪魔しないで」

「あとで後悔するのはご自分ですよ? 賢臣を蔑ろにするのは為政者にあらず。私は異変を感じたから、率直に申したのです。本当はもういい歳なんですから、年相応の思慮分別を持って……」

「うるさいわね! 自分で自分のことを賢臣とか言う? ガミガミ言うのはやめて。人のことをとやかく言うまえに、そのむさい風貌をなんとかしたら?」

「女王らしからぬ威厳を欠いた振る舞いをされる方に、見た目をどうこう言われる筋合いはありませぬ」

「ユゼフが私の王配になるのは周知の事実でしょう? 夫婦なんだから、仲良くするのは当たりまえよ……ねぇ、ぺぺ。私とアスター、どっちをとるの?」


 急に振られて、エゼキエルはびっくりした。柔らかくていい匂いのする雌か、剛毛の生えた男臭い大型類人猿のどちらか選べと言われたら、普通は迷わないだろう。エゼキエルは本能に従った。


「ディアナ様です」

 ディアナはユゼフの手をとった。指を絡ませ、勝利宣言をする。


「じゃあね、アスター。ぺぺは私と馬車に乗りなさい」

 踵を返し、不満げなアスターを尻目にエゼキエルの手を引っ張った。


「お待ちください! 女王陛下!!」


 アスターの太い声が追いかける。背中がビリビリ痺れるくらいの大音声だ。それを無視し、ディアナとエゼキエルは馬車に乗った。


「クソッ……アホトサカはどこ行った?……いない!? どさくさに紛れて逃げやがったか!」

 アスターの声が追いかけてきて、エゼキエルはハッとした。ティムがいなくなっている。


「探せ!! あのアホから事情を聞きだす! 城内と城下を徹底的に探すのだ! イアンと同じく人相書きを作れ!!」


 馬車が動き出す寸前にこんなことも言っていた。ティムも罪人扱いである。だが、イアンとティムの人相書きが並んでいるさまを思い浮かべ、エゼキエルは笑いそうになってしまった。


「どうしたの、ぺぺ? なにか、おもしろい?」

「アスターが……」

「ほんとね? いっつも、ああなのよ? 疲れちゃう」


 ディアナはエゼキエルの肩に首を載せ、クスクス笑った。馬車に乗るまえ、侍女を外へ追い出したので二人きりだ。アスターとディアナのやり取りは、父親と年頃の娘の喧嘩のようだった。それをエゼキエルが伝えると、


「やだぁ……あんなのが父親とか勘弁してよ。ユマには申しわけないけど、ゾッとするわ。優秀なのは認めるけどね……それとは別に、ぺぺが戻ってこなかったら私、病に伏していたかもしれない」


 ディアナはずっとエゼキエルの手を握っている。熱情を増していく碧眼にエゼキエルは吸い込まれた。

 唇を重ねたのは必然的といえよう。キスの味はエゼキエルを夢中にさせた。唇を重ねては見つめ合う。それを二度ほど繰り返した。

 せつないのは、二人きりの小さな空間が少しの間しか許されなかったことだ。厩舎から主殿まではほんの数十キュビット。馬車は歩いてもすぐの距離を緩やかに移動しただけだった。


 時間があれば、エゼキエルは彼女を押し倒していただろう。女の色香はエゼキエルを放心させ、判断力を鈍らせていた。

 しかし、馬車を降り、女王の間に着くまでには多少まともになってきた。というのも、馬車を先に降ろされた侍女が、ものすごい殺気を放っていたからである。彼女は馬車より先に着いて主殿の入り口の前で待っていた。

 暗い色調の服をまとう侍女は美しいが、しなやかな筋肉を持つ。さりげない身のこなしや、リズミカルな呼吸はただ者ではない。前世でアフロディテの忠臣だったエリスだと、すぐにわかった。


「ミリヤ、もうちょっと離れて歩いてちょうだい。ユゼフに近づきすぎよ」

「陛下、人目もございます。まだ結婚はしてませんし、ユゼフと手をつないで歩くのは、いかがなものかと……」

「うるさいわねー……あ、まだユゼフのこと呼び捨てにするんだ? ユゼフは私の旦那様になる人よ。馴れ馴れしくしないでね?」


 自分を心配する侍女を嘲笑ったあと、ディアナは猫なで声を出す。


「ねぇ、ぺぺ。今夜は私の部屋に来て。一緒に過ごしましょ。晩餐もね。お風呂も用意させるから、旅の汚れをきれいに落としてね」


 エゼキエルは「はい」と小声で答えるのみだ。ユゼフがもともと無口な男だから、違和感なく受け入れられる。ディアナはアスターとはちがい、微塵も疑わなかった。ティムが彼女を“無能”と評したのも、わかる気がする。


 ――夜、部屋に来てと申したな? そこで二人っきりになれる?……もしかして、簡単に復讐を遂げられるかもしれんぞ?


 ユゼフがディアナの王配になるという話を、エゼキエルは聞き流していた。政略的な結婚でユゼフを利用するだけだと思っていたのである。

 この様子だとディアナはユゼフに夢中だ。敵であるエゼキエルにしなだれかかり、ときおり足がもつれそうになる。完全なる無防備。いつでも殺せる位置に仇がいる。ほぼ勝ったも同然だ。


 エリス……今はミリヤにエゼキエルは余裕の笑みを見せてやった。たちまちミリヤの顔に怯懦が宿り、エゼキエルは勝利に酔いしれた。

 ところが、ディアナもエゼキエルの笑みを見逃さなかったのである。足を止め、ディアナは振り返った。


「ミリヤ、おまえ今、ユゼフに色目を使ったでしょう?」

「えっ?……まさか、そんなこと……」

「いーえ、ごまかさないでちょうだい。ユゼフがおまえのほうを見て笑ったもの。おまえが何もしないのに、笑顔を見せるわけないわ」

「誤解です!」

「さっさとお下がり。別の侍女を寄越してちょうだい。今日一日、暇をあげる。よーく、頭を冷やすのね」


 ミリヤは愕然としている。物事はエゼキエルの都合がいいほうへと転がっていく。置き去りにされ、しばらくしてからミリヤは我に返った。


「お、お待ちくださいっ! わたしは懸念しているのです。アスター様のおっしゃったことが、気にかかります! 理由もなく、あんなことをおっしゃる方ではありません。どうか、どうか、おそばに置いてください!」


 懇願する声をディアナは背中で聞き、無視した。


「私、嫉妬深いの。ぺぺ、ミリヤに笑いかけたりしないで。あの子にとって男は消耗品。魔性の女なのよ。危険だから、目を合わせないようにね?」

「ディアナ様のことを心配しているように見えましたが?」

「あれね、あなたの気を引くための演技よ。もう、いろんな人と噂になってるんだから! あなたの従者にも手を出したんじゃない?」


 ディアナが愚かでよかったと、エゼキエルは思った。自分を守ろうとする忠臣を追いやり、復讐心を燃やす天敵を添わせる。哀れな女王の余命はあと数時間だ。

明日、明後日は22時、23時頃に投稿します。

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