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ドーナツ穴から虫食い穴を通って魔人はやってくる  作者: 黄札
第一部 新しい王の誕生(前編)四章 盗賊達
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65話 果たし合い誘拐

 待ち伏せをするのは、花街に入る手前の大通りだ。

 ガス灯は二十キュビット(九メートル)置きにあるし、月も明るいが、昼間の賑やかさはなく、今は森閑としている。


 職人が丁寧に石を埋め込んだと思われる石畳は、相当古いはずなのに歪みや割れがほとんどない。整然とした町並みは、ここが城下町なのだと証明しているかのようだった。

 娼館で遊んだ後、アフラムがこの道を馬車で通る。


「ほどよい時間ではないか」

 

 アスターは懐から懐中時計を出し、確認した。

 今宵はよく晴れた半月。戦うには絶好日和だ。月は真上ではなく、東に二十度ほど傾いている。


 ユゼフは道の縁に腰かけた。

 数日馬に乗り、数時間歩き続けても疲れてはいない。いよいよかと思うと、心地よい緊張感が身を引き締めた。

 アキラは道端に唾を吐いている。アスターは幅広の大剣を抜き、踊るように演武してみせた。

 盗賊の頭領と堕ちた英雄──ほぼゴロツキの類に属するのだろうが、貴族の少年たちと一緒にいた時よりしっくりくる。

 自分の本質は貴族ではないのだろうとユゼフは思った。だからこそ、サチ・ジーンニアと友達になれたのだし、シーマが自分のことを気に入ったのだと。

 それにしても、このアスターという男は見栄っぱりというか、自己顕示欲が強いというか──


 得意気に舞う姿はさまになっており、観客がいれば惜しみない拍手が送られることだろう。服装といい、立ち居振る舞いといい、言動、長い髭、ことごとく演技がかっていて、人に見られることを意識している。要は格好つけているのだ。その点、イアンやシーマと同じ人種なのかもしれない。

 演武に飽きたアスターは胸元から釘を出した。片目をつむり、ガス灯にとまるカラスへ狙いを定める。

 自意識が発動し、ユゼフはつい反応してしまった。


「やめろ!」


 アスターの背後に移動する間、脳を働かせていなかった。思考を開始させたのは、釘が乾いた音を立てて石畳に転がってからだ。

 急に後ろから手首をつかまれたアスターは、驚いて釘を落とした。


「戯れで命を奪おうとするんじゃない」

「なんだ? まるで聖職者のようなことを言う……そういえば、神学校に通っていた宦官様であったな?」

 

 アスターが茶化してきたので、ユゼフは余計に腹が立った。この男には基本的な善の観念が欠如している。そのくせ、まるで父親のように振る舞ったりするのだ。


「あなたは、おおむね正しいことを言っている。でも、行いは正しくない」


 ユゼフはアスターの目をジッと見た。感情的になるのはめずらしい。たいていの人間はこちらが正しいことを言っても、拒絶するのが常だ。そんなことはわかりきっているのに、なぜか期待してしまう。

 アスターはユゼフの気迫に負け、言い訳をした。


「何を言っているのだ? カラスを的にして遊ぶのがそんなに悪いことか? 意味がわからん」

 

 助けを求めて、アスターはアキラを見る。アキラは眠そうに目をこすりながら、


「二人とも、ケンカはやめろ」


 と、注意した。


「ケンカも何も、ユゼフのほうから突っかかってきたのだ。私は何も悪くない」

 

 アスターは視線をユゼフへ戻した。ユゼフは怒りを込めて、アスターを見返す。

 命を(もてあそ)ぶ行為は許せない。自分が嫌悪する行為をこの人にはやってほしくなかった。

 アスターは決まりが悪くなったのか、ユゼフに背を向けた。自分が悪いとわかっていても、指摘されると素直に受け取れないのだろう。戦うまえにギクシャクしてしまった。馴れ合いたくもないが、険悪なのも困る。


 しかしながら、気まずい空気は長く続かなかった。数スタディオン先で音が聞こえたのである。

 ユゼフたちは身構えた。

 石畳を馬の蹄が叩き、車輪が回転する。音は確実に近づいてくる。


 ──これは自分ですると決めたことだ。もうやるしかない

 

 ユゼフは目の周りを黒い覆面で覆い、ギュッと結んだ。

 豪奢な馬車が姿を現した時には、腹が決まっていた。ユゼフは臆することなく、堂々と道の中央に立った。

 アスターとアキラは前方の道端で待機する。

 馬車はスピードを緩めなかった。アスターたちを追い越し、ユゼフをそのまま轢こうとする。

 車輪の回転音と蹄が地面を打ち鳴らす音が合わさり、轟音となってやって来る。

 ユゼフは目を閉じ、イメージした。


 寸前にアキラの手が動いたはずだ。突き出された盗品のスピアがホイールに絡まる。バランスを崩した馬車はユゼフの鼻先で止まるだろう。

 馬がいななき、前足を高く上げる。御者が叫び声を上げた。


「殿様、賊です!」

「賊ではない」

 

 言ってから、ユゼフは自分の声がよく通ることにびっくりした。子供のころ、声を張って商売していたことをすっかり忘れていたのだ。


「アフラム殿に決闘を申し込む!」

 

 ユゼフが宣言すると、馬車の中から立派な髭の紳士が顔をのぞかせた。黒々した髭を鎖骨の辺りまで伸ばしている。長さはアスターより短いから、髭族としてはアスターの勝ちであろう。


「賊でないのなら、名乗れ!」

 

 紳士が叫び返したのでユゼフはアスターを見たが、我関せずといった様子でそっぽを向いている。アスターの助けなしに、うまく対応できる自信はなく、どもってしまいそうだった。ユゼフは男らしいやり取りが苦手である。


「決闘に負けたら教えよう!」

「殺してしまったら、誰かわからぬままではないか?」 


 紳士は笑って、馬車を降りた。

 アスターとアキラの姿を確認したあと、紳士は指笛で馬車に待機させていた三人の用心棒を呼んだ。


「そこにいる二人が手出しするようなら、斬り殺すように」

 

 そして、ユゼフに向き直る。


「名無しの覆面男よ、片手剣であれば、決闘の申し込みを受けてやろう。剣を抜くがよい」

 

 アフラムは思ったより若く、三十代前半に見えた。

 頭髪と髭は念入りに整えられ、上質な綿の上衣を着ている。その下には絹の刺繍の施されたベストが見え隠れしていた。典型的な伊達男の装いといったところか。身長はユゼフより低い。

 アフラムが腰から抜いたのは刺突に適した長めの細剣だった。


 ──片手剣だとは聞いてない

 

 剣の腕前はそこそことしか、アスターからは聞いていなかった。ユゼフは戸惑いつつも、


「承知した。片手で戦おう」

 

 と、答えた。

 普段の稽古では両手を使う。だが、アスターの見つけたバスタードソードは剣身が細く、片手剣としても使うことができた。問題は慣れていないことだ。片手の練習は一度だってしていない。


「気に入っていた娘が身請けされて、いなくなっていた。むしゃくしゃしていたところに、ちょうど良い」


 そう言うわりにアフラムは楽しそうな表情をしている。

 ユゼフは剣を抜いた。乗りかかった船だ。四の五の言っている場合ではない。

 先に出るべきか迷ったが、自分から誘ったので仕掛けることにした。

 正面から斬り込み、相手が刃を受けたところで攻撃を待つことにする。ユゼフが得意とするのは暗殺と返し技なので、攻撃されなければ何も始まらない。

 

 剣撃の音が鳴り響き、決闘は始まった。

 簡単に受けられることぐらいは想定内だ。だが、鍔迫(つばぜ)り合いは存外、強い力で押される。吹けば飛ぶような剣なのに、押す力はユゼフより強かった。


「この剣は細くても簡単には折れない。刃にアダマンタイトを埋め込んであるのだ」


 押されて下がると、鋭い剣先が迫る。ユゼフは下から跳ね上げて避けた。

 これを機にアフラムは続けて仕掛けてきた。ぎりぎりで避けられても、ユゼフは一瞬の隙を突くことができない。


「おいおい、自分から決闘を申しこんでおいて、避けるばかりとはどういうことだ?」


 アフラムは小馬鹿にしてきた。

 実力を出せていないのは、ユゼフだってわかっている。アフラムは今のユゼフより格下のはずだ。

 目の端に、足を開いて観戦する偉そうなアスターが映った。あの様子では、助太刀は期待できそうもない……

 どうしていつも通りに戦えないのか。緊張し過ぎている……いや、片手剣の相手が初めてだから、きっと応用がきかないのだ。

 ユゼフはアスターの言うことを素直に聞き過ぎていた。言われた通りにできても、自分で考えて戦うことができない。

 

 突きの攻撃をギリギリで避け続け、そろそろ息が上がってくるころだ。ユゼフの剣はスピードがあっても、力強さと持久力がない。

 焦り始めたころに、アキラの声が聞こえた。


「おい、アスター、あいつ全然ダメだぞ?」

「知るか! 勝手に死ねばいい」

「あいつに今死なれたら、オレたちが困るんだが」 


 三人の用心棒もあとに控えている。用心棒たちは三人とも、大柄で筋骨隆々としていた。

 幅広の両手剣が二人、一人だけ長剣を背に担いでいる。剛剣で挑んでくると容易に予測できた。アキラとアスターも幅広の大剣を扱うので相性は悪くなさそうだが……

 アスターたちの声が耳に入り、ユゼフは余計に集中できなくなった。


「なんとかしろよ! アスター」

「やだね。ユゼフが決めたことだ。自分で何とかすればいい」

「でも、このままじゃあいつ……」

 

 ユゼフは大きく後ろに飛んで、アフラムの間合いから逃れた。

 息が上がっている。避け続けるのも限界だ。


「おや、もう終わりかね? 八つ裂きにしてから、顔のマスクを剥がしてやろう」

 

 アフラムは疲れた様子もなく高笑いする。気障(きざ)な態度で優位性をアピールした。それが癪に触ったのだろう。

 アスターはチッと舌打ちすると怒鳴った。


「馬鹿め! 目をつぶれ!」


 ユゼフはハッとした。目で追おうとするから、うまくいかないのだ。気配だけを読めばいい。

 目を閉じると、アスターの怒声が聞こえてきた。


「これは実戦だ! 自由に攻撃しろ!」


 そうだ。練習の時は突き以外の攻撃を禁止されていたが、今は自由にしていい。

 目を閉じた瞬間、研ぎ澄まされた感覚が拍動を捉えた。勢いよく流れる血流が、呼吸が、自分の中に入り込んでくる。


 ──俺から仕掛ける


 ユゼフは剣を低く構え直し、一気に突っ込んで相手の懐へ入った。

 アフラムはユゼフより身長が九ディジット(十センチ)ほど低い。ユゼフが低く構えれば、アフラムは顔や首を狙い易くなる。

 勝利を確信したアフラムはほくそ笑み、予想通りユゼフの首を狙ってきた。ユゼフはさらに体勢を低くして、すんでのところで避ける。


「外せ!」


 アスターの指示が聞こえたので、瞬時に軌道をずらした。

 少しずらしたつもりだったのに刃先は心臓から大きく外れ、アフラムの左肩を貫いた。

 

 続いて三人の用心棒が剣を抜き、アキラとアスターも抜刀した。

 ユゼフは体勢を崩したアフラムの右手首を(つば)で強打する。

 アフラムの手から剣が落ちた。体から離れた剣は無機質な音を響かせ、石畳を転がっていく。

 剣を突き付けられ、アフラムは観念したようだった。

 ユゼフは数分ぶりに大息を吐いた。なんとか一仕事終えることができたのだ。熱っぽくなった目元を夜気が冷やしてくれる。激しく動いたせいで、覆面が取れていた。ユゼフを見上げたアフラムは喫驚した。


「右目尻にほくろがある。薄い唇、彫りの深い目元、それに平行な眉、端正な顔立ち……」


 次にアフラムは、交戦しているアスターとアキラを見た。


「動くな!」


 ユゼフの恫喝を無視して、アフラムは首肯を繰り返した。


「あの二人も手配書で見たことがある。一人はダリアン・アスター。英雄だったのに落ちぶれた男。もう一人はモズの盗賊の頭領だろうか。美しい顔に深い刀傷がある……なんであんなゴロツキと行動を共にしている? 王子殺しの私生児、ユゼフ・ヴァルタンよ」


 バレてしまった──ユゼフは狼狽した。戦い後の高揚感を置き去りに、いつもの陰気で鈍重な亀に逆戻りしてしまう。助けを求め、視線をさまよわせていたところ、早速、一人を倒したアスターがこちらにやって来た。


「練習だ。戦え!」

「正体がばれてる!」

「ん、それがどうした? 戦え!」

 

 アスターは気にも留めず、後ろのアキラに伝えた。


「一人、残しておけ!」


 アキラは大剣の男の喉を切り裂いたところだった。

 返り血に顔をしかめていると、長剣の男が背後から斬りかかってくる。アキラは横に避け、バランスを崩した男の腹を蹴り上げた。


「わざと外す必要はない。行け!」

 

 アスターの大声を背に受け、獲物の前にユゼフは立った。腹を押さえてしゃがみこむ男が立ち上がるまで、少時──

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