78話 グリフォンとサム(エゼキエル)
エゼキエルは現世での兄、サムエルを呼び出した。ドゥルジのもとへ出向くにあたって、最適な人物である。トカゲ男リザーディアは役不足、ティムは温存しておきたい。サムは信頼でき、才気もあり、まえに挙げた二人より強い。
玉座の前に立つサムは肉のない骨格をカタカタいわせ、承諾した。魔王の前でも、ひざまずかず、堂々とした態度は他に類を見ない。エゼキエルはそれを無礼者とせず、頼もしく思っていた。事実、サムの放つ魔力とオーラは格別だし、剣技に関してはエゼキエルは彼の足元にも及ばない。生前、剣聖と崇められていたのは納得できる。
魔国に着いた後、エゼキエルはサムから定期的に剣術の指導を受けていた。歪みない鋼の精神には敬意を払うだけの価値がある。
使者であるサムの従者、という体でいくことにした。この弱々しい人間の姿では疑われることもあるまい。
小一時間ほど人間の所作や言葉遣いをレクチャーしてもらった。サムは人間社会に詳しい。ティムも人間だが相当な変わり者で、いまいち参考にならなかった。
従者の役を演じるエゼキエルは小物の仕種を懸命に真似た。先代以外に頭を低くしたことなどないから新鮮である。
ティムに服と靴を用意させ、剣を背負えば準備完了となる。地味な皮装備はいかにも従者らしい。
ティムは細眉を下げ心配した。
「ドゥルジは老獪と聞きます。従者と偽っても見抜くかもしれませんよ?」
「サムがいるから大丈夫だ。おまえは何かあった時、城を守れ」
「たしかにサムエル様はお強いですが、剛毅木訥。エゼキエル様と同じくまっすぐな方なので、悪巧みには気づかれないかもしれません」
人間特有の感性なのだろうか。ティムは昔から用心深く敏感である。エゼキエルはティムのトサカを軽くなでた。トサカに触れていいのは自分だけ、という自負がある。
「本当に心配性だな? 朕のことが信じられぬのか?」
「誰よりも信じておりますとも。だからこそ、進言しているのです。せめて、カッコゥをお連れください。緊急時の通信役になります」
前世でティムの忠告を無視したため、大変なことになった。心配性なのは否めぬが、素直に聞いてやるべきだろう。
ところが、蘇ったばかりのエゼキエルには人材が不足しており、カッコゥは調査に出していた。使い魔といえども、ティム、サムと並ぶ唯一無二の家来になってきている。ティムはそれなら保険にと、虫食い穴の札を押し付けてきた。人間の姿なら通れるからと。エゼキエルは苦笑しつつ受け取り、心のなかで大きなため息をついた。まったく、口うるさいお目付け役である。
ユゼフだったころは、人間の作った魔瓶という道具にグリフォンを入れていたらしいが、今は一声かければ数分待たずに来てくれる。城の屋上はちょうどよい離着陸場だ。
灰色の雲が垂れ込める空は味気ない。どこもかしこも死んでいるようなのは魔界と同じだった。同様にエゼキエルの心も死んでいた。情につながる記憶はわずかに残し、ほとんど消し去っている。妻や子と楽しく過ごした時も、人間や妖精族との温かな交流も、陽の光をいっぱいに浴びて動植物と戯れる幸せな時間も、誰かに抱いた淡い恋心も……
心に燃え上がらせるのは憎悪の炎のみ。魔王となったエゼキエルは復讐心しか持たなかった。持たないはずだった。ユゼフという存在さえ生まれなければ、心を乱すことなどなかったのだ。
延々と続く退屈な空は虚ろである。死んだ風景は乱れた心を落ち着かせてくれた。
やがて、重い雲を蹴散らし、黒い瘴気を発するしもべたちがやってくる。エゼキエルは闇に直結する彼らを遠目に見て微笑した。
猛禽の冷徹さと獅子の獰猛さを併せ持つグリフォンたちには、生命を感じる。エゼキエルは彼らを好いていた。
「おぉ、グリフォンが馬の代わりか? 我は馬しか乗ったことがないのだが、乗りこなせるだろうか」
暗い眼窩に宿るのは期待か不安か。サムの心を測るのは困難だ。自尊心の高さが自分より上回る骸骨に、エゼキエルは用心深く答えた。
「朕の乗るグリフォンが先導するゆえ、問題なかろう。おいおい、そなたにも差し上げたいと思っておるが、懐きにくい獣だからな。辛抱強く躾けなければ」
「ふむ、それでは楽しませてもらうとするか。だが、我を振り落としたりしたら、グリフォンを殺すかもしれぬ。なにぶん、空の旅は初めてなのでな、抜かりなきよう頼むぞ?」
サムは鉄甲で覆われた骨の手をグリフォンの首に置いた。グリフォンはビクッと反応した後、固まっている。
本来、グリフォンは凶暴な獣だ。魔人でも使役できる者は限られている。グリフォンのほうが萎縮しているのを見て、エゼキエルはこれなら任せて大丈夫だと思った。
「魔族の言葉であれば、おおむね通じる。グリフォンは賢い獣だ」
説明は手短にするのが基本だ。有能な者に対しては特にそうする。エゼキエルは早く来たほうのグリフォンにまたがり、浮上させた。すぐに追い風が来て、サムが乗ったのだとわかる。
現世の兄はこの乗り物を気に入ってくれるに、ちがいなかった。空の旅は死んだ大地で唯一、生命を感じさせてくれるスパイスのようなものだ。
いつもはわざと雲の中を通り抜けたり、上へ突き抜けたりするが、今日は下をゆっくり飛行した。
荒涼とした魔国でも、ところどころに植物が見える。人間サイズの植物は毒々しい花を咲かせていた。魔界より変化に乏しい景観なのに、なぜか生命反応はこちらのほうが多い。
――おや? あの場所はたしか……
魔界へのゲートだ。魔界から魔国へ引っ越す際、このゲートは使わなかった。ティムが虫食い穴を出し入れできるようになったから、直接黒曜石の城に移動したのである。エゼキエルがこの場所を目にするのは三百年ぶりであった。
変わり果てた場所にエゼキエルは目を見張った。建てた塔はことごとく倒され、折り重なっている。その代わりに小さなオアシスができていた。ゴブリンか? 小型の妖精族が駆け回って遊んでいる。鳥や小虫の気配もある。湧き水が作った池を中心に木々や草が生い茂り、色彩も豊かだった。通り過ぎる寸前に、チラと石碑のようなものが見えた。
――なんだ、あれは??
柔らかな緑は魔国には不釣り合いで、まぶしかった。あれは忌まわしい人間界の産物だ。
わざわざ止まって確認することでもないので、エゼキエルはグリフォンのスピードを緩めるだけにとどめた。アレが何なのかは、あとでサムに聞けばいい。
他には穴の空いた岩山とか、結界で守られた妖精族の村を見つけた。三百年前に比べて、だいぶ寂しくなっている。昔はもっと、にぎやかだった。食物連鎖の頂点が多いと食糧が食い尽くされ、大地は痩せ細るのだろう。
総元締めのドゥルジとやらは自らの利益ばかり考え、民や動植物のことは考えないようだ。その身勝手な考えは彼の居住地にも現れている。
活気ある町の奥にドゥルジの城はあった。
一言で表現するなら、巨大ウニ。海に住むトゲトゲの生物である。鋭い突起が放物線状に城の全体を覆っている。
美しいものが好きなエゼキエルは眉を寄せた。魔国や魔界にはこういう下卑た場所が多い。……というか、心の宿る場所がないのだ。さきほどのオアシスは異例である。そんななかでも、ドゥルジの城は悪趣味が極まっていた。
目的地に到着し、楽しい空の旅も終わりを迎えた。グリフォンは少し離れた土漠に着地させる。エゼキエルはグリフォンの首をなで、別れを告げた。
あとから到着したサムは上機嫌だった。
「なかなか楽しかったぞ? 初めての体験であった」
「気に入ってくれてよかった。何度か騎乗していくうちに馴れるから、そうしたら気に入った一頭を差し上げよう」
サムに言われ、エゼキエルは風で乱れた頭髪や服を整えた。見張りは、近くに着地したエゼキエルたちの存在を把握しているだろう。門前払いでは困る。あの大馬鹿者のイアンでも入れた城なのだから。




