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ドーナツ穴から虫食い穴を通って魔人はやってくる  作者: 黄札
第四部 イアン・ローズ冒険譚(前編)
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66話 彼女には指一本、触れさせない

 娘を犯せと女王は言った。哀れな男の目の前でその婚約者を「犯せ」と。

 イアンの脳裏に浮かんだのは少年時代、初恋の人を暴行された時のことだ。組み敷かれたイアンは全容を見ていないが、キャンフィの悲鳴と男たちの卑猥な罵倒が耳に入ってきた。それまでイアンは、庶民の娘と本気で結婚する気でいたのである。継父が仕組んだ卑劣な企みは、イアンに深い傷を残した。


 連れてきた衛兵が娘の服を裂いた。娘は「スヴェン!!」と哀れな男の名を呼ぶ。スヴェンは血の涙を流した。


「にゃーーーー!!!」


 アキラが止めるのも聞かず、イアンは通気口の網蓋を外した。あの時、キャンフィのことも、ニーケのことも助けられなかった。イアンが強さに執着するのはトラウマのせいもあった。


 飛び降りると同時に、イアンは短剣で衛兵二人の首をはねた。倒れるまえの彼らの一人から剣を奪い、構える。自分のマントを娘にふぁさとかけた。


「走って逃げろ!!」


 娘は拷問部屋を飛び出した。生き延びろ!──イアンは心の中で娘の背中に呼びかけた。腰が抜けて動けないということも有り得た。彼女が動いて逃げてくれたのは一筋の光明だった。


 そして、イアンの前には体格のいいフルアーマーがいる。背後にはローブ姿の魔術師が二人。女王はそのうしろに引っ込んだのだろう。声だけが聞こえた。


「ネズミが潜り込んでおったか。なにやつ……」

「覚えてませんか? イアン・ローズです。神様の桟敷(デイコルンプナ)の舞台でお会いしたでしょう?」


 そのあと、女王が何を言ったか。剛剣の音にかき消された。衛兵のショボい剣で受け、イアンの手は痺れる。連撃とどまることを知らず。重い刃は間断なく肉薄した。フルアーマーの動きは冷徹でオートマトンのようだ。的確に空いているところを狙って打ってくる。


 ──強い。このままだと剣が持たない!


 魔力をまとわせているおかげで、なんとか折れずに済んでいた。相手はアスターのラヴァーの一・五倍はある大剣を馬鹿力で振り回してくる。

 スピードはイアンに比肩するだろうか。魔力に制限をかけられているとはいえ、イアンの身体能力は人間レベルを優に越えている。相手は人ならざる者と思えた。

 さらには女王を守る魔術師二人の動きにも、注意しなければならない。隙を見て助けを呼ばれたりしたら積む。


 フルアーマーの一挙手一投足、空気をビリビリ震わせる。床に下ろされれば、ヒビどころじゃない。えぐれる。少しかすっただけでも、致命傷を与えられるだろう。キメラや豚戦士もそうだが、城が倒壊しないか心配である。


「おい、化け物!! 顔を見せやがれ! どーせ、人間じゃないんだろ?」


 イアンの問いにフルアーマーは刃で応える。会話はできなさそうだ。剛剣といえば、天敵サムをイアンは連想した。フルアーマーと体格的にも似ている。変に既視感があった。以前、戦ったことがあるような……サムと重ねているせいかもしれない。


 ──でも、サムより技巧的に下ではないか。


 そんな気がした。だが、純粋に力だけで対峙する現況では、圧倒的にイアンが不利だ。


 と、魔術師が不穏な動きをした。目の端で捉えたイアンは短剣を投げる。刃はシワシワの手を貫いた。 

 ギャアッと、潰されたカエルみたいに叫ぶ魔術師の手には文が握られていた。短距離なら、魔法で文を送れる。兵を呼ぶつもりだったのだろう。油断も隙もない。

 

 その刹那の間にフルアーマーは動いた。ほんのわずかな隙に剛剣はイアンの肩を貫いた。力任せに叩きつける攻撃を繰り返していたフルアーマーが、突きを出すのは想定外である。

 こういうとき、イアンは思考より先に体が動く。痛みが来るまえに、敵の刃が自らの肉で固定されているうちに剣を振り上げる。フルアーマーの兜に刃を叩きつけた。


 イアンの肩から刃を抜き、フルアーマーはうしろへ下がったが、手遅れだった。ひびの入った兜はパカッと割れる。その顔を見てイアンは戦慄した。


「ダニエル!!」


 酒場で聞いた噂がまさか本当だったとは……そこには、六年前に死んだはずのダニエルがいた。ヴァルタン家の長男、ユゼフとサムの兄、イアンの大っ嫌いなあの従兄弟が、今まさにイアンを殺そうとしている。


 青ざめた顔のダニエルの首には、つなげた痕があった。首をカワウから持ってきたのか。身体は盗賊のアジトから? 彼を化け物として蘇生させたのはガブリエラか? とぼけた態度の天才は、絶対に犯してはいけない罪を犯した。


 うなり声をあげ、口から泡吹くダニエルに生前の精悍さはない。人間性を失った殺人兵器だ。ただ、ただ、凶暴性だけが浮き彫りになっていた。


「化け物従兄弟め! おまえら、兄弟全員もれなく化け物じゃねぇか! なんなんだよ? いい加減にしろ!」


 動揺は戦いを不利にする。肩を貫かれ、イアンは動きも鈍っていた。狂った戦士は容赦なく、イアンの反対側の肩を砕いた。最後の一打が狙うのは脳天か。崩れ落ちるイアンはもうおしまいかと思った。


「止まれ!!」


 女王の甲高い声に救われることになろうとは。消えゆく意識のなか、女王の声を聞く。


「こやつ、イアン・ローズか。人間ではないな? 情報も持っていそうだ。縛れ。一人だけか? 連れはおらぬのか?」


 ──アキラ、逃げろ


 イアンが室内に飛び降りるまえ、必死に止めようとしてくれた。その後、戦いに夢中でイアンはアキラの存在を忘れていたのである。一緒に室内へ下りたのか。まだ、ダクトの中にいるのか……


 ──すまない。俺はバカだから、こういうふうにしか生きられないんだよ。


 巻き込んでしまった。自分の都合で彼を危険にさらしてしまった。そのことで、イアンは強い罪悪感にさいなまれた。

 娘は逃げられただろうか。それすら叶わなければ、イアンがしたことの意味はない。


「あーあ、死におったか。まあいい。新しいおもちゃを手に入れた」


 ぼんやり聞こえてくる声は、スヴェンという哀れな男が亡くなったことを知らせた。かわいそうに……サチの情報をもらしたことは彼の罪ではない。彼は何も悪くないのだ。心の痛みは体の痛みに共鳴した。イアンはまだ、自分より他人のことを考えていた。

 

 しかし、刺激的な痛みで目が覚めた時、イアンは自分のことしか考えられなくなっていた。

 際限なく与えられる痛みは苛烈で、恐怖の渦に呑み込まれる。救いはなく、痛みと恐怖からの解放をひたすら渇望するようになる。


 両手を縛られたイアンは天井に吊るされているのであった。哀れな男スヴェンがいたその場所に、彼の代わりとして痛めつけられる。目の前では鉄扇を持ったナスターシャ女王が高笑い。死んで自分がスヴェンに生まれ変わったのかと、イアンは錯覚した。錯覚は錯乱に変わり、口走ったことすら自覚できなくなる。みじめに命乞いしようが、恥じらわなくなる。


 悪夢は始まったばかりだった。

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ドーナツ穴から虫食い穴を通って魔人はやってくる設定集

cont_access.php?citi_cont_id=495471511&size=200 ツギクルバナー
― 新着の感想 ―
この状況ならイアンは、あぁすると思ってましたけど、つらいー(T . T) 思わず手に汗握り、眉間に皺がよりました。゜(゜´Д`゜)゜。 しかし、いくつも懲らしめる手をもっている女王様、怖すぎます(・_…
まさかここで彼らのその後を目の当たりにするとは(`;ω;´)これは辛い… そしてサチもこれからどうなるのか、心配よ…… まさかの予想外の展開でイアンは捕まっちゃうし、ナスターシャ女王は滅茶苦茶怖いし、…
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