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ドーナツ穴から虫食い穴を通って魔人はやってくる  作者: 黄札
第四部 イアン・ローズ冒険譚(前編)
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65話 拷問部屋

 自分が置いていかれるなんてことは、想像だにしなかったのである。イアンはつねに仲間のことを意識していた。アキラはちゃんとついてきているか、太郎は隣にいるか。こういう思考は少年時代に培い、習慣化しているものだ。ガキ大将だったイアンは、自分より弱い者たちを守りたい気持ちが強かった。自身のことには無頓着で、二の次になってしまうのはめずらしくなかったのだ。


 浮上中のグリフォンの上でイアンが気にしていたのは、前に座る太郎のことだった。親友は騎乗に慣れていない。彼がちゃんとつかまっているか、そればかりが念頭にあった。だから、最初は自分の身に何が起こったか、ピンとこなかったのである。


 視界が急に切り替わって、空に放り出されたのだとわかった。ピンチの時でも動物的勘は働くもので、イアンは身体を回転させ、地面への激突を回避した。

 かなりの高さから落ちたのだろう。浮遊魔法が使えればなんとかなったのだろうが、無傷というわけにはいかなかった。イアンの足はダメージを負い、動くと強烈な痛みが走った。落ちたのはグリフォンを出した裏庭だ。何人もの兵士が駆けてくる。イアンは屋内へ逃げ込んだ。胸を貫く矢に気づいたのは、足を引きずり逃走する最中だった。そう、イアンは射落とされたのである。


 胸に抱えていたアキラはかろうじて免れていた。ほんの指先ほどの違いで即死していただろう。首のうしろをかすっただけで済んだのは、不幸中の幸いといえる。二度は死なせなかった。


 暗闇でも平気なイアンは暗く狭いところへ積極的に進んだ。血は流れ続けているし、速度も出ない。普通なら、手負いの獣が捕まるのは時間の問題だ。だが、迷宮といっても過言ではない城の構造と獣並みの五感が役立った。

 イアンは城の奥深くに入り込み、いつしか誰も来ないような場所にいた。どこからどう入ったのか。自分でも記憶がない。イアンがたどり着いたのは通風孔(ダクト)であった。そこで仰向けになり、なんとか矢を抜いた。傷口から溢れる血が狭い筒状の洞を流れていく。生きているのが不思議だった。早速、アキラに自分の血をなめさせ回復させる。


 割とイアンは楽観的だった。ネズミを見つけ食べたのは本能的な行動だ。平常時では絶対にありえない。生きた血肉はイアンに活力を与え、傷を回復させた。


 ──少し経てば、全快するな。まったく魔人の身体というものは……


 この点に置いては主のユゼフに感謝したいところだ。逃げる方法を考えるのは、傷が癒えてからにしようとイアンは思った。一番の懸念事項は太郎がちゃんと逃げられたか、だ。ガブリエラがくれたエラ呼吸マスクの設計図は太郎が持っている。太郎がいてくれて本当によかった。イアンが持っていたスリングは空中に投げ出された時、どこかへ行ってしまっている。


 ──俺を助け出そうなんて、考えるなよ? 


 この期に及んでもイアンは人の心配ばかりしていた。人間だったころから、ケガや病気に強かったイアンは自分のことを省みなかった。これまでの経験がそうさせるのか。我が身はなんとかなると思ってしまうのである。

 アキラがいるから迷子にはならないだろう。それに優秀な五感は空気の流れを感知する。出口の方向ぐらいイアンにだってわかる。


 満身創痍の状態から立ち直ったイアンは、通風孔を移動して様々な部屋をのぞき見た。管の途中にある換気扇は取り外せば、通り抜けられる。腹ばいになって這う芋虫式移動にも慣れた。

 誰も換気口の闇の向こうから、のぞかれているなんて思いもしない。着替え中のご婦人や愛人と性交中の聖職者、鏡の前でポーズを決めるどこかの令息……他人の秘事を眺めるのはおもしろい。人知れず闇を移動していると、幽霊になったかのような気もしてくる。息をひそめて人々の生活を俯瞰するのは、なかなかスリルもあった。


 悲鳴や苦悶の声に誘われて、拷問部屋にたどり着いたのはごくごく自然の成り行きだった。恐ろしかったが、好奇心には勝てなかった。換気口は部屋の天井近くにある。スリットの隙間からイアンは部屋を一望することができた。


 天井から吊られた男は血まみれで、すでに相当な責め苦を乗り越えたあとと思われた。苦痛と恐怖の含んだ叫びは聞くに堪えない。すぐにイアンは来たことを後悔した。目が離せなくなってしまったのは、哀れな罪人を嬉々として痛めつける女のせいだった。

 美しい女だ。ピッタリした紫色のガウンが身体の線を強調している。まとめ上げた金髪はよく手入れされていた。まだ女盛りは過ぎていないだろう。聞き覚えのある冷たい声に鳥肌が立つ。

 拷問していたのはナスターシャ女王本人だった。


 イアンは驚きのあまり、呼吸が止まるかと思った。


「それで? その少年はたしかにサチと名乗っていたのだな?」

「は、はい……」

「そのサチは魔国の医療施設で働いていた。亜人の女医と看護士が数人の小さな診療所だ。場所はうぬの説明だと非常にわかりづらい。もっと、具体的に話せぬのか? 残った耳も削ぐぞ?」

「ひっひぃぃぃ……」


 嗜虐趣味の女王は男が痛がり苦しむさまを見て笑っていた。ニーケの身体を少しずつ切り刻んでいく時も、同じように笑っていたのだろうか。イアンは不遇の死を遂げたニーケのことを思い、歯を食いしばった。守れなかった守りたかった命。弟のように可愛がっていた従兄弟(本当は叔父)。無辜の人は残虐者の手にかかってしまった。これほどまでに醜悪な人間がこの世に存在するのか。イアンは生まれて初めて、人間の女性に嫌悪感を抱いた。


「なんの因果か。晩餐中、エルフを無許可で輸送していた奴隷商人の話になった。たしか、アフラムといったか……」


 機嫌の良い女王は独白を始めた。不良が悪さ自慢をするのに似ている。イアンは反吐(へど)が出そうだった。

 

「奴隷輸送隊を捕らえていた二人組は、なんでも親子だったそうな。あの時の男がザカリヤに似ていたと、アッヘンベルが申すものだからな、ちと気になった……」


 イアンの知らない話だ。ザカリヤとサチは女王の配下と接触していたのか。意外だった。


「うぬが見知らぬ少年を部屋で介抱していたと、情報が入ったのは幸いだった。何ヶ月もまえの話だし、期待もしてなかったのだ」


 クックックッと押し殺した笑い声が暗い洞に響いた。まさか? もしかして? そこにいる哀れな男によって、サチの居所が知られてしまったのか?

 女王は百日草の彫られた鉄扇を開けたり閉めたりした。その行動は命を弄ぶのと、大差ないように感じられた。

 

「しかし、(わらわ)は不思議でたまらないのだ。ヘリオーティスのうぬが、どうして亜人のシャルルを助けた?」

「助けられたのです。魔国の診療所で……片腕を失って、自暴自棄になっていたオレに生きる力をくれた……」


 男の右腕は義手だった。肉体が再生するイアンとちがい、失ったものは戻ってこない。たぶん、男は絶望していたのだろう。サチはこの男を救い、男は想いに答えようとした。それなのに──


 イアンの手の甲に柔らかな肉球がかぶさった。アキラだ。


『落ち着け、イアン。女王の背後には護衛がいる。変な気を起こすな』

「わかってんよ! ただ……ただ、俺は憤ってる」


 男はだいたい吐いてしまったようだ。やがて、痛めつけるのに飽きた女王は血ぬれた鉄扇をパチンと閉じ、背を向けた。男は命すら奪ってもらえなかった。飽きたら放置だ。猫に弄ばれる虫と同じである。

 なぜ、虫がしゃべったのか。虫は沈黙すべきであった。


「ビ、ビアンカは……オレの婚約者は約束どおり、助けてくれるのか?」

 男の悲痛な訴えに女王の耳がピクンと反応した。振り返った女王は満面の笑みを見せた。


「ふふふふ……すっかり、忘れておった。こやつの婚約者とやらを連れてこい!」


 血まみれの顔から表情は読み取りにくいが、男は安堵したように見える。イアンは寒気が止まらなかった。理屈ではなく直感的な反応だ。


 屈強な男に両脇を挟まれ、娘が現れた時、男は娘の名を呼んで再会を喜んだ。男のひどいありさまを見た娘は嗚咽する。この段階ではイアンもわずかな希望を抱いてしまった。しかし、次の瞬間には打ち砕かれることとなる。


「娘を犯せ」


 女王は歌うように命じた。

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