60話 百日城へ①
すんなり従うのは癪にさわるので、イアンは小一時間ほど街を歩き続けた。アキラがニャーニャーうるさいのは無視だ。太郎とは他愛のない話だけする。そのうちに腹が減ってきて酒場に入った。
なんとなく街の雰囲気を楽しみたかったのと、地下街の人たちと交流もしたかったのである。しかし、酒場で得られる情報といえば、表世界での愚痴や娼婦や芸人の話など下世話なものばかりだった。聞き慣れない話に嬉々として耳を傾けたのは、最初の数分だけ。店にもよるのだろうが、育ちのいいイアンはうんざりしてしまった。唯一、興味深かったのは百日城にまつわるオカルティックな噂だ。
内容はナスターシャ女王が“不死と蘇り”――この禁忌とされる錬金術を研究させているというもの。十数年前より、グリンデルでは亡くなった豪傑の墓がたびたび荒らされている。
「なんでも、女王がいつも背後に控えさせている巨漢の騎士は、死人だってぇ噂だ」
真面目な顔で話す酔っ払いは、イアンのななめ向かいに座っていた。酒場では、何人も座れる大きなテーブルが数台置かれている。長テーブルに長ベンチ。知らない者同士が隣り合い、向かい合って座る。
酔っ払いの話を嘲笑する者、本気にしておびえる者、興味なさげに聞き流す者……酒場の反応はさまざまだ。昔のイアンなら、ホラ吹きめと笑い飛ばしただろう。自身が不死、従兄弟が蘇った骸骨という現状では笑えない。
──俺とかサムって、いい研究材料になりそう
ランディルの友達が、イアンの血をほしがってきたことを思い出して苦笑してしまう。しかし、緩んだ頬を引き締めたのは、思いがけない名前だった。
「それがよ、あのダニエル・ヴァルタンまで蘇らせたっちゅう噂よ」
「ダニエル!? あのダニエルだと!?」
イアンはつい大きな声を出してしまった。サムのみならず、イアンの天敵がまた一人蘇ったというのか?
「そうよ! アニュラス人なら、知らぬ者はいねぇ英雄さぁ。カワウの土漠で暗殺されたあと、遺体が行方不明になってたらしいんだが……」
ダニエルの首はカワウの王子のもとへ献上されたと、イアンは聞いている。たしか盗賊たちが金銭を得るために持っていったのだ。イアンの手は自然と膝の上のアキラへと伸びた。
『ああ、ダニエルの首はコルモランに渡したよ。コルモランってのは王子の相談役。んで、体のほうはユゼフがモズの森に埋葬した』
アキラの話を聞いて、イアンは安堵した。カワウ内ならまだしも、グリンデルからモズは遠すぎる。それにモズの森は奥深く、魔獣が巣くう場所と聞いている。そもそも、ダニエルの遺体の居場所は盗賊たちしか知らないのだ。死体を蘇らせる、そんな酔狂な理由のために、はるばるグリンデルから来るだろうか。酔っ払いの作り話にちがいない。
特に得られる情報もなく、イアンたちはグリンデル特有のマズい飯を食った。木のマグに入ったエールを片手にイアンは思う。そろそろ、ワインが飲みたい。ローズの若殿だった時は好きなだけ飲めたのが、今では高級品だ。今のイアンはほぼ庶民である。貴族だったら許されないゲップをして、マグを歪んだテーブルに置いた。
「じゃ、そろそろ行くか」
この先は言わずもがな。そっと微笑む太郎に気づかぬふりをする。アキラもストンと膝から降り、尻尾をピンと立てた。先導するつもりらしい。
イアンがまごうことなきリーダーなのだ。太郎もアキラもイアンが決めたことに従う。それを強調したかった。
酒場を出たあと、最初から決まっていたかのようにイアンたちは地下街を出て、百日城へ向かった。
一列になって、狭い足場を早足で通る。数キュビット下は汚泥の川だ。もう二度とあそこには浸かりたくない。
行く途中、イアンたちは軽く打ち合わせをした。
「ミカエラの地図によると、鏡の通路を通って、学匠専用の特別な区域へ入るであろう? そこに、一方通行の印が付けられておった」
「引き返せないってことか?」
「うむ。出口まではかなり遠回りになる」
イアンはあの城で繰り広げられた逃走劇を思い出し、体をこわばらせた。隠し通路だらけの迷宮は深く、死体掃除人やキメラが住んでいる。陰気な城で、残忍な女王に追いかけられるゲームは心臓に悪かった。
太郎は危機に瀕した際の対応を事務的に述べ始めた。
「追いつめられしとき、まずアキラには逃げてもらおう。我らの片方が時間稼ぎ、片方は逃ぐるに専念する。先に言うたほうが時間稼ぎするで、よしな?」
イアンは了承した。最悪な事態はあまり考えたくない。緊張してきた。カンカンと乾いた足音は暗闇によく響き、不安を増大させる。
ナスターシャ女王は、イアンや太郎のような亜人を蛇蝎のごとく嫌っている。捕まえられたら最後、拷問され残酷な方法で殺されるだろう。あの冷たい碧眼を思い出し、イアンはブルブルッと身震いした。
前を歩く太郎に気配が伝わったらしい。
「いかがした、イアン? 怖いのか?」
背中に目でもついているのか。勘がいい。
「そんなわけ、ねぇだろ! このイアン様が怖がるかっての! 俺は悪魔とも魔王とも戦ってる強者だぞ」
「ならば、よし。怯懦は大きな障りとなる」
怖くないといったら嘘になる。だが、イアンにとって怯懦は忌むべきものである。そんな素振りは、一瞬たりとも見せてはいけないのだ。
「イアンよ。百日城であったことを詳しく教えてはくれぬか? 酒の席で聞いてはおるが、内容を整理したい」
太郎に促され、イアンは話しながら進んだ。緊張も和らぐし、何か話題があったほうがいい。ただでさえ、単調な排水路は気が滅入る。
あの日、地下の舞台を逃げ出したイアンたちは、一目散に鏡の通路へと向かった。鏡の通路から小悪魔カッコゥの案内で、シデムシの通路へ入ったのである。
「シデムシの通路?」
「ああ、百日城は職業ごとに通る道をわかるようにしてあるんだ。たとえば、王族はオレンジの星。貴族は赤い盾。シデムシは死体掃除人の印なんだ」
「なるほど。職業で使う道を分け、複雑な迷路でも迷わないようにしているのだな?」
イアンはシデムシ(死体掃除人)しか入られない通路にキメラがいた話をした。キメラが壊した壁の向こうに通路があり、その先にオートマトンの工場があった。
「すんげぇ大きなグリンデル水晶があってさ、地下なのに真っ昼間の明るさなんだよ。そこを通り抜けて、外へ出たんだ」
「なかなか興味深い話であるが、気になる点がある。止まってもよいか?」
太郎は止まり、地図を懐から出した。暗闇が平気とはいっても、細かいものはさすがに見えない。イアンはアスター邸からくすねた魔法の札を壁に貼り、明るくした。
「キメラは明らかに人工的に造られし魔獣であろう? ガブリエラが関係しておるはずだと思うてな? これよ、イアン。シデムシの通路の入り口は、地図のこの場所ではあるまいか?」
鏡の通路から城内へ戻る道は一箇所しかない。太郎が指し示したその道にイアンは見覚えがあった。まっすぐ続く通路が直角に折れ曲がった後、とぎれている。間違いない。臭いのを我慢して、イザベラとクリープ、イアンの三人で掃除人が来るのを待っていたあの場所だ。イアンはうなずいた。
「だとすると、この地下にある大きな洞はキメラのいた場所である可能性が強い。たしか、この洞の壁が崩落したのよな?」
ガブリエラがいると、ミカエラがアタリをつけた場所に近かった。学匠専用の道も洞とつながっている。
「んん? ちょっと待てよ? あの洞は、シデムシの通路の他にどこともつながっていなかった。同じ場所かなぁ?」
「それは行って、確かめてみなくてはわからぬ。ただ、言えるのは地図には何通りもあるということだ」
「どういうことだ?」
「シデムシの通路は、この地図には載っておらぬだろう? これは学匠の作成した地図なり。見えぬ所に道は隠されておるかもしれん」
もし、太郎の言うことが正しければ、キメラのいた洞から外へ出ることができる。あれから、数ヶ月経っているから壁は直しているかもしれないが、その場合は壊せばいいのだ。




