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ドーナツ穴から虫食い穴を通って魔人はやってくる  作者: 黄札
第四部 イアン・ローズ冒険譚(前編)
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56話 地下都市クラウディア④

 ルイスは壁に立てかけてあったマンドリンを手に取り、


「歌ってくる」


 と一言残して、部屋を出て行った。太郎と二人残されたイアンは、とたんに居心地悪くなる。怒り覚めやらぬ太郎を前に何を話したらいいかわからず、部屋をうろついた。

 あてもなく動き回るのではなく、移動可能な空間を縦に折り返し歩く。空白を塗るかのごとく行き来する。イアンは自分が絵筆になったような気がした。檻の中の猛獣の動きに等しいものがある。幼き日、曲芸団のテントを見学した時の獅子や虎をイアンは思い出した。檻の中の猛獣は同じ動きをずっと繰り返す。


「さて、このあとどうするつもりだ、イアンよ?」


 本棚の前まで来た時、太郎に尋ねられ、イアンはピタリ止まった。下の段は楽譜や詩集、中の段は哲学書、思想論、歴史や芸術関係の本、上の段は小説で占められている。

 外からルイスの歌声が流れてきて、気まずい沈黙を埋めてくれた。女の声と言っても通ずる高音域、よく伸びる心地良い歌声だ。曲名は『星を散らす月の船』。月の女神と王の恋物語である。


 月の舟、ああ月の舟、恋い恋いて、星の林へ漕いでゆく──


 この歌は外海から来た人間の女王アフロディーテと亜人の王エゼキエルの関係になぞらえられる。もし、あの二人が恋仲だったら……と仮定しているのだ。そのため、グリンデルでは歌うことを禁じられていた。

 感傷を誘う甘ったるい歌声がまとわりつくようで、イアンは頭を振った。答えはノーだ。


「なにも考えてない」


 太郎は大きなため息を返した。いや、俺の頭が空っぽなのは最初からわかっているだろうにと、イアンは思う。


「おぬしの考えは変わらぬだろうから、我は里に帰るぞ? 一人で伝手(つて)もなく、百日城へ押し入るつもりか?」

「まーな……おまえが協力しないんなら、そうなるな?」

「死ぬるぞ?」

「たかだか、人間どもの城だろうが? 俺は悪魔とも魔王とも戦ったし……」

「人間を侮るな!」


 ピシャリと怒鳴られ、イアンは萎縮した。教師に叱られた時と同じ、反射的反応だ。本気の時の太郎には威厳がある。


「よいか? 魔力を封じられた場合、我らは人間と変わらぬ。力に頼っていた分、枷を負うことになる。百日城は我らにとって悪舞台ぞ?」

「だから、ビビりだって言うんだよ? 俺はおまえとはちがって、勇敢なの」

「勇敢であっても、浅慮が過ぐれば無駄死にする」


 イアンは黙った。もう太郎とはやり合いたくない。どちらも引く気がないのなら、話したところで無駄だ。

 目をそらした先の本棚に手を伸ばした。ちょうど上から二段目がイアンの目線に合っている。ルイスは背伸びしないと届かないだろう。


 手に取ったのは機械仕掛けのソード──本を読まないイアンでも、聞いたことがある。思い当たるのは少年時代。ウンコたれのカオルがこれを夢中で読んでいた。それをバカにしたような、してないような……

 ぱらり、めくると「天才科学者トレッティオが作り出したオートマトン、ソードの愛と冒険の物語」などと(うた)い文句がつけられている。


 ──なかなか、おもしろそうじゃないか


 ぱらり、二ページ目。ビッチリ詰め込まれた文字にイアンはウッとなった。


 ──これが十二巻まであるのか。ムリ……


 こんなのを喜んで読んでいたカオルは、頭がおかしいんじゃないかと思う。顔立ちはイアン並みにイケメンだが、昔から行動やセンスが致命的なのである。致命的にダサい。成長してもそこは変わらないかと思われた。なぜなら、同じ血筋でも弟のロリエは学匠になる夢へ向かってまっすぐ進み、あいつは騎士団でアスターの太鼓持ちだ。少々、哀れになってくる。


 ──まぁ、しょうがないな。ウンコたれだしな……


 そんなことを思いながらパラパラめくっていたところ、ルイスの似顔絵が挟まっているのを見つけた。ページのサイズより、一回り小さい紙に描かれている。女性的なデッサンだ。しかし、ついさっき見たルイスの横顔とは、まるでちがっていた。いつもの物憂げな笑みではなく、豪快に笑っているのだ。


 ──ふぅん、こんな顔もするんだな?


 紙を裏返したタイミングで、


「ニャーー」


 アキラに呼びかけられ、イアンはドキッとしてしまった。手から離れた紙はヒラヒラ舞って、床に落ちる。アキラがバチィンと肉球で押さえた裏側には“最愛のひとへ”と──


「いかがした、イアン?」

「な、なんでもねぇよ」


 イアンは慌てて紙を拾い上げ、本の中に戻した。なんとなく、見てはいけないものを見てしまった。メッセージの最後には、“アイシャ”と女性の名が記されてあった。


「我も頭に血が上りて、おぬしにひどいことを申したが、本意ではあらぬ」


 頭の切り替えができていない状況で、唐突にこんなことを言われたら受け入れざるを得ない。イアンは太郎の言葉を素直に受け取った。


「我がおぬしに付き添わんと思うたのは、おもしろがっていた面も否めぬが、純粋におぬしの人柄に惚れたのよ。助けてやりたいと思うた」


 太郎は恥ずかしげもなく、率直に話す。心の傷が癒えるとともに、胸の辺りがじんわり温かくなって、イアンは顔を上げられなくなってしまった。こっぱずかしい。


「正直に申すぞ? おぬしに死んでもらいたくないのだ。なれば、なんの手引きもなく、単身で城に入り込むような真似だけはしてほしくない。もし、どうしてもルイスの手を借りたくないのであれば、無理はせず、あきらめられぬだろうか?」

「……すごすごと引き下がれって言うのかよ?」

「さよう。打つ手はあらぬ。おぬしも死にたくなかろう? 行き場がなくば、もろともに天狗の里へ帰ってもよい。おぬしならば、里の皆にも受け入れられるであろう」


 イアンは揺らいだ。天狗になるという選択肢はすでにチラッと考えている。魅力的な提案だ。


 ──アスターの言うように俺が動くと、いつもロクなことになんないもんな? 


 天狗の里は教会に似ている。イアンは案外、禁欲的な生活も耐えられるのである。制限下に置かれることでコントロールされる。トラブルを起こさず、平穏に暮らすことができるのだ。


「おぬし次第よ」

「考えさせてくれ」


 自分の人生を他人任せにするのは楽だ。善悪も生き方も全部従えばいい。そうすれば、今までのようにもめ事を起こすこともなく、幸せになれるだろう。

 だが、なにかがちがう。そんなのは自分ではないと思うのだ。


 イアンはまた、永遠に終わりそうもない心の迷い道に入り込んでしまった。現実につなぎ止めてくれるのは太郎の声だ。


「ならば、わかりやすきよう整理するなり。まず、ルイスを拒絶する理由だ」

「それは、わかりきってる。あいつはいい奴に見えて、卑劣漢だからだ」

「仲間とともに、おぬしを拘束、監禁した。魔術師を見捨て、女子供関係なく無差別に貴族を襲うという計画に荷担した。他には?」


 太郎は手に持っていたマグを脇机に置き、石盤に書き始めた。石盤は壁際に置かれてあったものだ。


「信じていたのに裏切られた。友達だと思っていたのに……」

「その卑劣漢を信ずるにいたりし理由はなにか?」

「いろいろ助けられたんだよ」


 グリンデルに初めて来た時、衛兵に絡まれ、騒動を起こしたイアンを助けてくれた。ダーラの捜索を手伝うと言われ、この地下都市クラウディアに案内してくれたのだ。一人、心細かったイアンはどんなに喜んだことか。それから、ダーラが百日城を逃亡したとの情報がもたらされ安堵した。鍛冶職人のマイエラとの橋渡しもしてくれたし、イアンはもの憂げな吟遊詩人のことを完全に信じ切っていたのである。


「俺、謀反の時もだまされたし、だまされやすい性質なのかも……」

「温室育ちの世間知らずなのだ。経験を積めば、だまされぬ」


 太郎のはまったく慰めになっていない。現にイアンは何度もだまされている。

 太郎はイアンのルイスに対する感情を石盤に箇条書きした。


「すなわち、こういうことだ。ルイスという人物はとても親切で、なじみやすく、おぬしを幾度も助けている。その一方で、組織内にあっては卑劣な計画を実行したりと冷酷なる一面も見せる」


 イアンは首肯した。情深く優しい、悪逆非道……どちらのルイスが本当なのか、わからなくなる。


「されば、良きルイスに助けてもらい、悪しきルイスは切り捨てればよい」

「んんん? どういう意味だ?」

「協力だけしてもらい、こちらからはなんのお返しもしてやらぬということよ。必要最低限の情報しか与えぬ。彼らに汲みすれば、悪事に荷担することとなる」

「一方的に協力させるってか? そんなの、承諾するのかよ?」

「これまでの経緯を見るに可能であろう。彼らも恩を売りたいだろうし、我らの目的と彼らの活動は近似しておる」


 イアンは腕組みした。ついさっき見た破顔するルイスの絵が脳裏にチラつく。あれを描いたのはルイスの恋人だろうか? その恋人は今でもそばにいるのだろうか?


「それか、あきらめるか」


 太郎の言葉が胸をえぐった。

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ドーナツ穴から虫食い穴を通って魔人はやってくる設定集

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― 新着の感想 ―
[良い点] 石板で状況を整理させる太郎は、教師というよりは、もはやメンターみたいな口ぶりですね。 黄札さん、すみません。 毎日3話ずつ再読させていただく、とお伝えしておりましたが、ただいま、not…
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