47話 秘密基地
密接し合う尖った塔から出て、狭い通路を歩く。幅一人分の通路にまっすぐなところはなく、絡まり合う毛糸のごとく曲がりくねっている。屋外だと塔は太い柱だ。ここはたくさんの柱が乱立する森である。イアンは、馬車酔いした時みたいに気持ち悪くなってきた。ちゃんとついて来ているか振り向くと、太郎は涼しい顔をしている。
「うぅっ……吐きそう。太郎は平気か?」
「我は蓬莱山で慣れているからな。建物の森は初めてだが」
一言、二言交わすうちにランディルを見失いそうになる。足が不自由な割に歩くのは早い。ランディルは体を左右に揺らし、絶妙にバランスを取りつつ、ズンズン進んでいった。
ようやく到着したのは、外壁が煤けた薄汚い塔だった。石煉瓦の所々に隙間ができているし、今にも崩れ落ちそうだ。ロープが張られ、「立ち入り禁止! 崩落注意!!」と張り紙がされている。これは絶対にアウトだろう。安全性に問題がある。
平気な顔でロープをくぐろうとするランディルをイアンは止めた。
「ここは危ないよ。崩落したら命にかかわる」
「えぇぇぇーーーー!! なんで!?」
ランディルがゴネようが、これだけは譲れない。危険な建物はとっとと撤去すべきだ。イアンは大学側に苦情を出すことまで考えた。ランディルはふくれっ面だ。
「大丈夫だって! 塔の中じゃなくて地下なんだよ!」
「ダメだ。危ないことはしちゃいけない……あっ! ランディル、待てよ!!」
ランディルはロープをくぐりぬけて、中へ入ってしまった。扉もない歪んだ塔の入り口は真っ暗だ。暗闇のなか、イアンはランディルの肩をつかんだ。こういうことはキッチリ叱らないといけない。しかし、手はたやすく撥ね退けられてしまった。華奢な体のどこにそんな力があるのか。
そういえば、ランディルは転生したサウル王の片割れなのだと、サチが言っていた。サチに強い力が宿っていることを考えれば、ランディルの剛力も納得できる。
「だから、危なくないんだって!! ほら、見て!!」
ランディルは石のタイルの上に手をかざし、呪文を唱えた。たちまち床はボゥと淡い光を発し、透けていく。下に階段が見えた。
「ついてきて!!」
ランディルは床をすり抜け、階段に下り立った。イアンと太郎も慌てて追いかける。途中、イアンは太郎に耳打ちした。
「どう思う?」
「地下なら安全かもしれぬが、この建物はただちに解体してもらうよう、大学に意見すべきと思うぞ」
「同感だ」
そこまで深くないところに“秘密基地”はあった。
数台置かれたテーブルの上に、様々な実験器具が置かれている。壁際に置かれるのは模型や標本の棚。ゴチャゴチャ感はあっても、整理はされているようだ。最初にランディルがいた所より、こちらのほうがよっぽど研究室らしい。
奥の大きな水槽の前にいた少年が振り返った。誰もいないと思っていたイアンは、突然現れた少年にビックリした。
「あれ? ランディル? 誰か連れてきたのか?」
「うん、おれの友達のイアンだ」
黒髪を無造作に束ねる少年はランディルより大人びていた。白衣のポケットに両手を差し、眉間に思いっきり皺を寄せている様子から、イアンが招かざる客というのはわかる。見た目の繊細さはランディルやロリエに負けず劣らず。だが、もやしっ子のくせに、いかにも小生意気そうだ。その顔には見覚えがあった。
声変わりしていない声がイアンの名をつぶやく。
「イアン? もしかして、あのイアン・ローズ?」
「そうだが……おまえ、もしかして、アスターのとこにいた……」
「レーベです。レーベ・イルハムです」
アスターの屋敷にて、イアンは何度か彼を目撃していた。なんでも六年前、魔国でイアンとユゼフたちが戦った時に協力したそうで、アスターが後見人になっているのだった。
「へぇぇぇ……めずらしいお客さんだなぁ。はて、どんな用事でしょう?」
「会いに来てくれたから、せっかくだし連れて来たんだ。イアンはいろいろ、おもしろいことができるんだよ!」
ランディルは無邪気にイアンのことを話す。レーベは微笑を浮かべ、イアンと太郎を交互に見た。その黒い瞳は珍奇な生命体を観察するかのようである。顔は笑っていても、目は笑っていない。
──なんか、嫌な感じのガキだなぁ。ランディルの友達みたいだけど、すっげぇ性格が悪そう
それに「おもしろいことができる」って、ランディルはイアンを猿回しの猿か何かだと思っているのではなかろうか。以前から疑問符がつくことは多々ある。
──ランディルの奴、俺に関節外しをさせるつもりだろうか。それとも、百八十度首回転か、変顔高速百面相か、一人交響曲演奏か……
イアンは教会にいたころ、子供たちを喜ばせるために曲芸めいたことをやってみせていた。だが、どの技を選んでも、この意地悪そうなレーベの前では嘲笑されるだろう。
レーベの身長はランディルより頭一つ分高い。年齢はたしか十六、七か。見た目が幼く、声変わりもしていないため、ランディルと仲良くしていても違和感はなかった。
「ビギュアーーーグルグル……」
妙な気配を感じ、イアンは剣柄に手をやった。隣にいる太郎も臨戦態勢に入っている。ここにいるのは少年二人だけ。それなのに強い魔力を感じる。
水槽の陰から伸びてくる触手を見てイアンは緊張した。
「レグルス、おいで! お客さんだよ!」
出てきたのはランディルの背丈ほどもある食肉植物だった。肉厚なハエトリソウの外見をしており、手足の代わりに根のような触手をウネウネ動かしている。イアンに近寄るなり、くんくん嗅ぎまわる動作をした。魔国でいつも、イアンについてくる植物の中にこういうタイプがいる。太郎は用心して数歩距離を置いた。
「イアンのことを気に入ったみたいだね! さすがはイアンだ!」
「まあ、こういった生き物の類に好かれる性質だからな。ところで、大学構内はペット禁止なんじゃないのか?」
「ああ、気にしない、気にしない。おれとレーベはなにをやっても、お咎めなしなんだ」
「クソジジイめ」とイアンは思う。アスターはこの少年二人の教育に、多大な悪影響を及ぼしている。ランディルが不良のような行動を取ったり、同級生にエラそうなのも全部アスターのせい。いや、ここにいるレーベの影響力も否めないが……。とにかく今度会ったら、ビシッと言ってやろうとイアンは思った。
レグルスは舌を出して、イアンの頬をペロペロなめてきた。ほとんど犬と変わらない。かわいい。しかし、太郎が近寄らないところをみると、危険な生き物なのかもしれない。魔国でコレが歩いていてもなんとも思わないが、人間の領域にいるとやはり異様である。
「ねぇ、それよりシュヴァンを見せたいんだ。レーベ、シュヴァンはまだ起きないの?」
「うーん、なにが悪いのか……日々、弱っていく。今日も一度も目覚めないんだよ」
ランディルが言っているのは、水槽にいる生き物のことらしい。流木の影に隠れ、うずくまっているのでよく見えなかった。尖ったエラのようなものが、かろうじて確認できる。
「シュヴァンは綺麗な虹色の鱗をしていてね、目も銀色なんだ。すごく、かわいいんだよ!」
目をキラキラさせて言うランディルの様子から、美しい熱帯魚なのだと思われた。この水槽の規模なら、かなり大きいサイズなのだろう。
レーベがレグルスを呼び寄せ、餌……ネズミを食わせ始めた。クッチャクッチャッ、動物的な咀嚼音が室内に響きわたり、イアンは変化のない水槽をぼぅっと眺める。
くいくいっと袖を引っ張られ、もの言いたげな太郎に気づいた。
──ああ、そうだ。ランディルから血をもらわないとな? ちょうどよく、採血の道具なんかもありそうだ
そこで、問題が一つ。
ネズミの尻尾をつまむ底意地の悪そうな美少年。レーベの存在だ。




