62─1話 シーマとイアン
馬を四十頭操った一件から数日後。
盗賊たちのユゼフへの態度は一変していた。アスターの稽古のせいで、剣もろくに扱えない鈍臭い奴と馬鹿にされていたのが、ガラリ。畏怖されるようになったのである。
特に変わったのは、亜人の血を引く者たちだ。彼らはユゼフを見ただけでうやうやしくお辞儀をしたり、跪くようになった。
対して、亜人以外の者はユゼフを露骨に避けた。近くに来ただけで逃げ出され、道をあけられてしまう。むろん、ユゼフは余所者だし、嫌われることぐらい何とも思わない。普通の人間ではないと自覚することが、つらいのだった。
「近道だとしても、他の道のほうがいいんじゃないか?」
靴の裏にネチャネチャした物がくっついて、ユゼフは地面に擦り付けた。舗装されていない路地は糞尿とゲロで汚れているうえ、街灯がないので、さっきから何度も汚物を踏んでいる。
夕暮れ時の貧民窟には酔っ払いと売春婦と麻薬の売人、口入屋、犯罪者、喧嘩師などがうろつく。まともな人間は出歩いていない。
道路脇で足のない傷痍軍人がノコギリを演奏していた。女の泣き声にも似た物悲しい音色が、荒んだ町を慰める。
普通の感覚では避けて通る道だが、目的地へはここが一番近道だという。王都の外周のほとんどは、カワウの軍隊が警邏していて通れなかった。王子が殺されたせいで厳戒態勢だ。
魔法使いの森を抜けたユゼフたちは、海の近くを通った。それからこの貧民窟に入り、商人街を通って花街に入る。貧民窟は狭い路地が入り組んでいるため、馬での移動がしづらく、一時間ほど歩き続けていた。
「最適ではないか? ここはならず者の巣窟だから、いつ襲われてもおかしくない。いい準備運動になる」
アスターは上機嫌で答える。こういう状況を好んでいるのだろう。生き生きしている。
「箱入りで、こんな場所に来たことねぇからビビってんだろ?」
ユゼフが怖がっているように見えたのか。アキラが馬鹿にしてきた。
この果たし合い誘拐に同行するのはアキラとアスターの二人だけだ。果たし合い誘拐……決闘を申し込んでから誘拐するので、そう呼ぶことにした。
アキラの言葉にユゼフはムッとしたが、魚を売っていた話はしたくないので黙っていた。
このような場所を通るには、身なりが良すぎる。ユゼフたちは無遠慮にジロジロ見られた。
半裸の老人が小銭を求め、鉢を持って前に跪いたかと思えば、明らかに母親以上の年齢の売春婦が投げキッスをしてきたり、薄汚れた亜人の子供が体をベタベタ触ってくる(スリだ)。顔に包帯を巻いた大男がわざとぶつかってきたり……
「おい! ぶつかってきて、何もなしか?」
大男がぶつかったのはユゼフなのに、よほどケンカがしたいらしく、アスターは男に絡んだ。
大男は何も言わず剣を抜いた。
──まったく、何してんだか……
ユゼフが呆れて、アスターの髭面を見やったところ、
「おい、ユゼフ! 何してる? 早く剣を抜け!」
「……は!?」
アスターは腕組みし、道の端に避難してしまった。
大男はユゼフに突進してきた。反射的に剣を抜くしかない……というか、気づいた時にはもう抜いていた。
抜くや否や、鼓動を感じる場所に素早く突き出す。
あれこれ頭で考える暇はなく、私生児の剣は赤く濡れた。大男の体から滴る血が手を穢し、ユゼフは身震いする。
生暖かくヌルヌルした血液は、気持ち悪さと心地良さを共存させる。心臓を串刺しにされた無頼漢は口から血を噴き出し、白目を剥いて地面に突っ伏した。
「お見事!……と褒めてやりたいところだが、おまえの剣は殺すことしかできないのが難点だ。アフラムは殺してはいかん。誘拐して身代金をたんまり戴くのだからな?」
アスターは服に血が付いたらしく、ごしごし擦った。
ノコギリの演奏は一旦止まり、またすぐに再開する。
物悲しい音楽は過去の記憶を呼び覚ました。
ボロを着た亜人の子供たち、顔が半分崩れた売春婦に麻薬を売りつけようとする売人、糞尿だらけの地面に倒れ、息をしているのかも、わからない老人……建ち並ぶボロ家の戸口は固く閉ざされ、明かり一つない。
以前にも、こんな光景を見たことがある。
※※※※※※
王立学院に通っていたころ、ユゼフはシーマに呼び出されなければ、自由でいられた。
新たな仲間を得たイアンはユゼフへの興味を失っており、学校で会話することはなかった。イアンの支配からは完全に解放されていたのである。
ディアナ王女を見守るという名目で入った学校だったが、学年も違うし、女子と男子は教室も別だったので、ほとんど接する機会はなかった。
できることといえば、噂話の報告ぐらいだ。定期的に呼び出され、侍従長の質問に答える。その程度だった。
貴族の子女が教養を得るため入る学校に、王族がいること自体おかしな話である。王族やそれに準ずる貴族は城内に教育者を招く。他の王子王女は、誰一人として通学などしなかった。
継母との確執が原因か、降嫁を念頭に置いていたのか、ユゼフにはわからない。
ディアナの事情はともかく、迷惑な話であった。気位の高いお坊ちゃん連中のなか、私生児は浮いてしまう。
唯一の救いはシーマの家来になれたことだった。そのおかげでイジメにあうこともなく、比較的平穏な学生生活を送ることができた。
周りに同調して、嫌われないようにする。良家の子息らしい上品な立ち居振る舞いと話題合わせ。くだらないように見えても、当時のユゼフにとっては死活問題だった。
自己顕示欲なんてものは持ったことがない。そんなものは特別な人間だけが持つのを許されるものだ。
ユゼフが目立たないことに重点を置いた冴えない学生生活を送っているその一方で……シーマとイアンは誰よりも目立っていた。
シーマの染めていても、隠しきれない銀髪と白すぎる肌、イアンの燃えるような赤毛はわかりやすい目印だった。
周囲にはいつも大勢の取り巻きがいて、学院を見学しに来た他国の要人が、二人を王子だと勘違いしたほどだ。
高貴な家柄と周りより頭一つ分高い身長、見た目の特異さに加えて、華やかな雰囲気とカリスマ性、強いリーダーシップは二人の共通点である。しかし、正反対の性格が寄り添うことはなかった。
冷静沈着で感情を表に出さないシーマと、感情豊かで暴力的なイアン。
ある時、水と油の二人が鉢合わせすることになる。けっして交わってはいけない二人が……




