39話 〆は親子丼で
羨ましいのか、羨ましいんだろと、太郎は即座に見抜いた。規則正しく回転する歯車と粉を挽く音、蕎麦の香り、かわいい妻──そう、イアンは小さな幸せを手に入れたジェフリーが羨ましかった。強欲な見栄っ張りがすべてを失い、庶民にまで落ちたのだと思っていたのだ。みじめな姿を笑ってやろうという醜い気持ちもあったかもしれない。反対にのろけを聞かされ、イアンのほうがダメージを負った。
「欲に頂きなし。欲を捨てれば、自由になれる」
箸を片手に太郎はイアンを諭す。反対側の手には丼がある。イアンは言い返した。
「この世でもっとも罪深い丼を手に、なにを言うか?」
「それとこれとは別。美食は心を豊かにする」
言い合うより、食うがやすし。箸で丁寧に飯と卵とじをまとめる。上には刻んだせり。それを大口開けて頬張る。
「うまっっ!!」
「うまし、うまし!」
ジェフリーが裏で食べていたまかないだ。イアンはずっと気になっていたのである。戻る時に同じものを出してくれと、お願いした。
「やっぱ、肉増し増しにしてもらってよかった! せりの香りもよし!」
「それに、この出汁のきいたつゆよ」
「卵、ふわっふわっ!」
イアンたちがあんまりおいしそうに食べるものだから、他の客の注目を浴びた。修験者のくせに堂々と肉食である。
「もし、山伏さんたち、召し上がってるものはお品書きにございますでしょうか?」
「食われているものの名を教えてくれ」
尋ねられたイアンは優越感を抱く。
「これはな、裏メニューだからな、かなりの通じゃないと知らない」
「して、名前は?」
「めんつゆ卵とじ……」
「はい! 親子丼、二人前ですね!承りました!」
イアンが適当な名前を言ったところ、うしろからジェフリーが注文を取った。
すると、次から次に「わしも」「おれも」と注文が相次ぐ。親子丼は大人気である。
「俺のおかげで大繁盛だな! ありがたく思えよ、ジェフリー!」
イアンが声をかけてもジェフリーは無視した。話が聞けたのは良しとして、どうもイアンとはそりが合わなそうだ。
──別にいいもんね。俺はうまい飯と酒で充分幸せ
妬みは親子丼が浄化した。隣には気の合う友達がいるし、イアンだって毎日楽しい。
「そうだ、太郎! 里でも同じものを作れないか?」
「つゆの配分がわからぬ。まったく同じのは無理だろう」
「教えてもらえないのか?」
「そういうのは極秘にしていると思うぞ。皆に真似されては商売上がったりだからな」
イアンは自分でも作ってみようと思った。魔国にいるグリゴールやサチに食べさせたら、喜ぶだろうかと思う。
「それはそうと、イアン。おぬし、また忘れてるだろう? すっかり長居してしまった」
「ん? なにをだ?」
「学匠を訪ねるつもりで、この島に来たんだろうが?」
そうだ、百日城を造った学匠の子孫を訪ねるのだった。ジェフリーのせいで忘れていた。
「もう、昼下がりぞ?」
「腹も膨れたし、食べ終わったら、とっとと出よう。外でアキラとダモンが怒って待ってる」
イアンは全部食べるのを我慢し、残りを竹皮で包んでもらった。アキラとダモンへの土産だ。顔を見るなり、絶対に爪を立ててくるだろうが。
ジェフリーにギュロッターリア家のことを聞いたところ、島の北端にそういう名前の学匠が住んでいると教えてくれた。大きな町一つ分の面積しかない島だ。飛翔すれば、島の端まであっという間に着く。アキラたちに食事をさせてから、イアンは太郎に抱えられ飛び立った。
上空から島を見下ろすと名前の由来がよくわかる。北端のギザギザした海岸線はピンと立った雄獅子のたてがみだ。尖った半島群はティムのトサカ頭を思い起こさせる。
自然とは神秘なり。なだらかな海岸が続く南端とは正反対。そのギザギザの一つにミカエラ・ギュロッターリアは住んでいた。
学匠の名門と聞いた。だから、イアンが想像していたのは立派な城のようなお屋敷だったのである。まさか、廃材をかき集めて造った掘っ建て小屋に住んでいるとは……
「もしかして、アレか?」
「そのようだな。飛び出た突起状の陸、西から数えて七番目。海岸近くに家はそんなにないし、あれで間違いなかろう」
詳しい場所は蕎麦屋の常連から聞いた。地元ではちょっとした有名人らしい。
イアンたちは、掘っ建て小屋から少し離れた所に着地した。波がバァン、バァン!と岩にぶつかって、飛沫を上げる。春の潮風が頬をなでた。海に囲まれ、海を内包したアニュラスの匂いだ。ただ、海岸付近は塩分が濃い。頬まで舌を伸ばし、イアンは塩味を確認した。
正面から見る掘っ建て小屋は二階建てだった。見ると、海側の側面に風車が取り付けられている。水車と同じ音が聞こえてくるのはそのせいか。歯車が噛み合い、規則的に動く音がする。
イアンはパッチワークみたいな赤瓦の屋根を見上げた。太郎が玄関の呼び鈴を鳴らしたが、反応はない。薬品の臭いが鼻腔を刺激した。
「どなたか、いらっしゃらないのか? 失礼するぞ?」
入ろうとする太郎の袖をイアンは引っ張る。お化け屋敷へ入る時に似た気味悪さがある。怖いもの知らずに見えて、イアンは怪奇系が苦手なのである。
「どうした、イアン? アキラたちと留守番するか?」
「い、いや、別にビビってねーし! ただ、用心深いだけだよ!」
怯懦を指摘されると、こうなる。イアンは太郎の前に立ってズンズン前へ進んだ。屋内はゴチャゴチャして狭い。いろんな装置やらゴミが左右に置かれて通路を作っている。
「誰かいないのか!?」
返事は意外にもすぐ返ってきた。声は上のほうからする。
「客人か? すまんすまん、風車の歯車の調子が悪くての、今見ておったところじゃ。しばし、待て」
天井辺りで、長い筒のてっぺんに座る老人が見えた。白髪白髭のいかにも学匠といった風貌をしている。外見は二階建てに見えて、吹き抜けになっていた。天井は高い。
老人が手元のハンドルを回すと筒はどんどん縮んでいき、イアンの腰までの高さになった。
老人にはちがいない。だが、老人と形容をするには肌艶もよく、目がギラギラしている。背もピンとしているし、白髪でも毛量は多い。
「御身がミカエラか?」
「そうじゃ。天狗とは珍しいな?」
「我は蓬莱山の太郎と申す。隣にいるのはイアン・ローズ」
「はて? 天狗がわしに何用じゃろうか?」
イアンたちはミカエラのもとに歩み寄った。よろしかったら納められよと、太郎は蓬莱山から持ってきた手土産を渡す。桐箱に入った干し柿を見てミカエラは目を輝かせた。
「突然の訪問、失礼した。御身にどうしても尋ねたいことがある」
「気にせんでええよ。老人の寂しい一人住まいじゃ。茶でも入れるから適当に座ってくれ」
イアンは木の椅子、太郎は金属のパイプに布を張った椅子を探し出し、それぞれ腰掛けた。雑然とした室内で、等間隔になにかの回転する音がする。




