32話 強くなった
朝食後、腹ごなししようと、イアンと太郎は外へ出た。
木のてっぺんの宴会場は片付けられており、だだっ広い盤上はツルッと磨き上げられている。広さも充分だ。
「さぁて、イアン。おぬしもかなり成長したようだが、我も負けてはおらぬ。一年前の雪辱、果たしてくれようぞ?」
「まあ、俺のこれまでの戦歴を上げるとキリがないから……悪いが勝たせてもらう」
イアンたちは抜刀し、見合った。戦いの気配を察知した天狗たちがバサバサッと周囲の木に舞い降りる。どいつもこいつも期待に満ちた目を向けて観戦する気満々だ。
イアンの呪いの刀を見て、太郎は「ほぅ」と感心した。
「魔王の剣はどうした?」
「あいにく、本当の持ち主に返したんでね。これは俺の剣ができるまでの間、借りているモノだ」
「おどろおどろしい怨念を感じる。謀反人にピッタリの剣だな?」
「誉めているのか?」
しゃべりながらも、互いの出方をうかがう。すり足で移動するイアンたちの目はギョロギョロ動き続けた。
ピタ……イアンが止まれば、太郎も止まる。緊張して全身の毛が逆立つ。一度止まると、呼吸すら浅く、微動だにしなかった。唯一動くのは眼球のみ。
イアンたちは水面下で駆け引きをした。目の動き、呼吸、気の流れ、匂い、拍動音……それらすべてで会話する。イアンが先か、太郎が先か。以前の戦いをイアンはよく覚えていた。太郎は強敵には用心深い。しかし、臆病ではない。どちらが先に仕掛けてもおかしくなかった。
最初の一刀というのは大きな意味を持つ。戦いの行方を七割方決めるといっても、過言ではないだろう。イアンたちは動き、止まるを何度も繰り返し、神経をすり減らした。
イアンは太郎を見くびっていたのかもしれない。戦いは、ちょっとした驕りに足下をすくわれる。イアンが先に出たのは誤りだった。
水面下で動きを読み取っていた太郎は返し技を仕掛けてくる。よけられても、想定外であったためにイアンはワンテンポ遅れた。最初の打ち合いはイアンが押され気味だった。
ガキン!ガキン!と、重めの音が空気を震わせる。呪いの刀も太郎の刀も細身のエデンの刀だ。大陸の大剣をかち合わせているかのごとく音がするのは、強い瘴気をまとっているからである。
スピードに関しては互角。パワーもかなりのものだ。これまでに戦った強敵、ザカリヤ、サム、バフォメットにも引けを取らない。太郎もイアンと同様、成長していたのだ。
「二度もおぬしに負けたのが悔しくてな! 日々、鍛錬を重ねてきた。もう二度と、絶対に負けぬ!!」
太郎の目を見ると猛禽特有の鋭さはもちろんのこと、星のきらめきが見えた。激しく燃え盛る生命に溢れている。イアンと同じで戦いを楽しんでいるのである。殺意とか憎悪といった醜い感情は少しもない。その純粋さをイアンは愛した。
刃が触れ合うたびに発する音、振動、濁った呼吸音、それらすべてが愛おしい。異形の太郎には全力をぶつけられる。人間を相手にするときとは違い、悲哀を味わうこともない。
高揚極まれり。イアンは太郎の猛攻から逃れ、大技のために気をためた。そして、いつものアレ──
「黒旋風殺斬撃!!」
愛する友に、無情にも大量のスクリューを浴びせた。山の精と虎に似た妖獣を一瞬でバラバラにした技だ。太郎の肉はえぐれ、血しぶきが飛び散った。
だが、それも途中まで。太郎は呪文を唱えた。
「センテンナムフルホビル」
スクリューは見えない膜に当たり、無効化する。メニンクスの魔法と同じ効果だ。太郎は翼を広げ、上空に飛び上がった。
「こちらもお返しするぞ?」
言うなり、たくさんのなにかを飛ばしてきた。ガラスの破片のような鋭い塊だ。それを雨霰と降り注ぐ。イアンがその形状をなんとなく把握できたのは、皮膚が切り裂かれてからであった。視界は赤く染まった。
魔法で防御できないから、物理的に跳ねのけるしかない。限度がある。
太郎は攻撃を続ける。今度は左手に持っていた羽団扇をあおいだ。前回、突風が吹きつけてきたことを覚えていたイアンは、よけようとする。しかしながら、よけられる攻撃ではなかった。目に見えぬ太郎の攻撃は、わかりやすい直線ではなく四散した。
耳にキィーンと痛みが走る。イアンは耳をふさぎたいのをこらえ、歯を食いしばった。
「瘴気を刃にして飛ばす以外にも、我はこんなことができる。山の精と同じ音の攻撃よ」
鈍くなった聴力でこんな言葉を聞いたが、クラクラするイアンの頭には入っていかない。
──なに……? お、と?
全身切り傷だらけで視界がブレるというのに、イアンは直進した。相手が飛ばし技をするのは、近づかれたくないからである。近接戦に持ち込めば勝機がある。
太郎はまた、羽団扇をあおいだ。
「はっ!? なんだと!?」
イアンは急停止した。せざるを得なかったのだ。眼前には信じられない光景が広がっていた。
最初は仲間が乱入したのかと思った。複数人が盤上の三分の一を占領する。太郎は数十人に増えた。
「「分身の術……といったところか」」
太郎たちは嘴を下に向け、ニヤリとする。猛禽の顔は微妙な角度や顔の向きで表情が生まれる。
囲まれそうになって、イアンはなんとか逃れた。
──くっそ……あんな人数、相手にできるかっての!……ん、待てよ?
見た目が数十人でも、元は一人だ。本体を叩けばいいのではないか。イアンは必死に気を探った。
ところが、彼らは傀儡でも幻覚でもなかった。一人一人が確実に存在している。身体を流れる精気だけではない。呼気も拍動も人数分聞こえる。イアンは混乱した。
──けど、強さが人数倍になるわけじゃないだろ? 一人一人は人数で割った強さになってるのでは?……えぇい! とにかくまとめて、やっけてやる!!
イアンは闘技場となった盤の上を逃げ回り、太郎たちは追いかけてきた。
「「まてまて、イアンよ、さっきまでの威勢はいかがした? 逃げるとは情けない奴……」」
戦うまえに盤上からは出ないと、一応ルールを決めてあった。狭い範囲内では囲まれる。イアンは逃げ道をふさがれてしまった。逃げられないのであれば、やることは一つ。攻撃だ。イアンは飛び上がり、剣をかざした。
刹那、四方に黒旋風殺斬撃が飛散する。これで決まりだ。一度に全員を攻撃すればよい。
太郎たちは攻撃を予測していたのだろう。イアンには彼らが笑ったように思えた。最後に見たのはグニャリ歪む世界。次の瞬間、イアンは自らの発した凶刃の餌食となった。跳ね返されたのである。
観戦していた天狗たちの歓声により、戦いの終了は知らされる。強烈な痛みがイアンを襲った。視界は赤と黒に数回切り替わり、やがて真っ暗になった。




