30話 太郎
太郎が「やってしもうた」と言ったのは、四方八方に散らばる肉片のことであった。美少女と虎もどきはイアンの黒旋風殺斬撃の餌食となり、哀れバラバラに引き裂かれたのである。
「太郎、久しぶり!」の一言を呑み込んだのは、自身が引き起こした凄惨な光景に言葉を失ったからだった。イアンは、半ばミンチと化したかつての美少女を見て戦慄した。
「あわわわわ……ど、どうしよう??」
「いかにもこうも、あらぬぞ? おぬしがやったのだ。山の守り神をよくもまあ、やってくれたものだ」
「うぅ……だって、二人して挟み撃ちだぞ? 技の威力がここまですごいとは思わなかったし……」
「我は戦いの最中に駆けつけたのだが、すぐにでも間に入ればよかったな?」
太郎は一年ぶりの再会だというのに呆れ顔だ。イアンがうなだれていると、ダモンとアキラが寄ってきた。うしろ足立ちしたアキラがグサッと、イアンの臑に爪を立てる。
『バーカ! 昨日のテメェの武勇伝だと、血をやれば元通りになるだろうがよ?』
「ああ、そうか」
四肢も胴体もバラバラだというのに、レンたちはまだ生きていた。その証拠にちぎれた腕なんかはピクピク動いていたし、頭部にいたっては眼球をグルグル動かし、今にも罵倒してきそうな憎悪の表情を向けてくる。
イアンは目を背けたくなるのを我慢し、彼女と虎もどきの肉片をそれぞれ集めた。ちぎれた手足はまだいいとして、胴体の中身が半分くらいぶちまけられているのはグロテスクだ。ダモンがそれらを啄もうとするのをやめさせ、手を血まみれにして寄せ集めた。アキラと太郎も手伝ってくれる。
仕上げに、肉片の小山の上に自らの血を垂らした。前腕の静脈を傷つけるのには、もう慣れてしまっている。
イアンの血を吸い取った肉片は小刻みに震えながら動き、接着し始めた。これが生命の神秘というものか。集まり、くっつき、つながっていく。その有り様は聖典に描かれる創世記の人間をイメージさせた。イアンは感動しつつ、彼女と獣が元の姿に戻っていくのを見物した。
太郎もご満悦で、
「すばらしい! このような不思議な光景は初めて見る! イアン、おぬしはすごいな!」
と、興奮気味に肩を叩いてくる。イアンの評価がまた上がってしまった。
しかし、元に戻ったレンと虎もどきは冷たかった。圧倒的な力の差を見せつけられたあとで、襲おうとはしないが、今度は萎縮している。助けてやったのに礼すら言わず、つぶやいた。
「その赤毛、天狗だったの……」
「そうよ、つぎから対応には気をつけるこったな」
太郎がイアンを仲間として扱うのには疑問がある。だが、イアンのモヤモヤをよそに、レンたちは納得した様子だった。たぶん、彼女たちより、天狗のほうが格上なのだろう。抗議もなにもしないで背を向けるなり、ササッと新緑の中に姿を消してしまった。
それから、ようやくイアンは自分もケガをしていたことに気づいた。太郎に指摘されたからである。腰と両腕をえぐられたのだった。かなりの重傷だったにもかかわらず、血は止まりかけ、だいぶ治癒してきていた。
「天狗の霊薬を使うか? まったく、おぬしときたら、自分のケガには無頓着なのだからな?」
ブツブツ言いつつ、太郎は薬を塗ってくれる。イアンは安心して身を任せた。普段から、顔を合わせているかのごとき親近感。全然、久しぶり感はない。
怯え気味だったアキラとダモンも、すっかり警戒心を解いているようだ。アキラは太郎の匂いを嗅いでみたり、ダモンはイアンの肩の上で様子をうかがった。その後、太郎に抱えられ、イアンは天狗の里へ向かうことになった。
脇に腕を差し込まれ、抱きかかえられる。足がブラブラしてしまうので、腰を縄でグルグル巻きにして固定した。恥ずかしいくらいの密着度だが、それも上空に上がればどうでもよくなる。空から見下ろす蓬莱山にイアンは目を奪われた。山の麓の鏡面みたいな湖も、頂上付近にふんわりかかる雲も、山を覆う初々しい若葉も……全部が美しい。イアンは本能のままに吠え、冷たい空気を吸い込んだ。
似た状態でグリゴールと飛んだ時はちゃんと固定していなかったため、心もとなかった。今は頑丈な太郎の身体が安心感を与えてくれる。
上衣に包み込んだモフモフに声をかけた。
「爽快だな、アキラ!!」
「にゃぅん!」
いつもこの景色を見られる太郎やダモンがうらやましい。イアンは自分にも翼があったらいいのにと思った。
──でも、そのうちユゼフからグリフォンをもらうし、グリゴールを自由にしてやったら、いつでも一緒に飛べるもんな? 別に自分が飛べなくてもいいや。
飛翔能力は方向感覚と似ている。魔国ではラキ、今はアキラが道案内をしてくれるから、イアンには不要な能力だ。他力本願か。イアンは多種多様な者たちに支えられ、生きている。
天狗の里へはすぐに着いた。里の風景は実浮城周辺の農村と比較すると、一風変わっていた。家屋は木の上にある。いくつもの大樹と一体化した家々はせり出したり、絡まり合う幹の中にあったり、様態もいろいろだった。つまり、勘兵衛の住処と同じサイズの巨木が何本もそびえ、木の幹を活用したツリーハウスがあちこちに作られているのである。さらに特異なのは立地だ。
天狗の里は雀涙川がある斜面とは反対側、山頂近くの傾斜が深くえぐられた所にあった。下に雲がかかっており、浮いているように見える。
「すげぇ! 空に浮かぶ村だ!!」
イアンが叫んだその通り、壮観だった。太郎はそうか、と。
「我らからすれば、当たり前の景色なんだが。それより、おぬしが見せてくれた蘇りの術こそ、すごいと思うのだけどな」
蘇りの術とは、血で美女と獣を復活させたことか。その他にも、イアンにはできることがたくさんある。
──人の心の中にも入れるし、イアンアイランドも作ったしな……俺って、もしかして異形のなかでも特殊なのかもしれん
子供時代からヒエラルキーの上位だったイアンにとっては、喜ばしいことだった。人ならざる身になり、人間社会で恐れられ嫌悪されたとしても、異形の世界では認められている。事実、魔国の総元締めであるドゥルジや天狗界の長である太郎にも、一目置かれているのだ。
──サチがグリンデルの王になれなかった時は、異形の世界で生きていってもいいかもな
自分は人間だ!……という強い意識はあっても、イアンの持つ能力は人間界では気味悪がられる。一方で、微妙に価値観はちがうが、異形たちはイアンを好いてくれている。
ゴブリンのラキ、食肉植物しかり。天狗の太郎とも仲良しだし、鬼の勘兵衛という新しい友達もできた。恋人のグリゴールも魔人だ。
太郎に抱かれ飛行している間に、イアンの気持ちは大きく変化していた。




