60話 魔獣三十頭(アスター視点)
アスターが頑な態度を崩そうとしなかったので、アキラはあきらめて本題に入った。
「金を何に使うつもりだ、ユゼフ?」
「イアンにどれだけの兵力が残っているかはわからない。だが、五首城の時のような襲撃を受けたとき、普通の兵だけでは抗戦するにも限度がある。だから魔獣を使おうと思う」
ユゼフは自分の能力を説明した。
「知能の低い魔獣であれば、一度に三十頭の操作が可能だ。魔獣一頭につき、使い方によっては人間数十人の兵力を持つ。イアンとの交渉がうまくいかなかった場合は、小規模な戦になる。その時のために魔瓶が三十本ほしい」
「魔獣三十頭だと?」
「魔獣は森に入って自分で調達する」
アキラは長いまつ毛を何度も上下させている。
魔獣一頭倒すのも、かなりの腕前がないと無理だ。普通の人間は傷すら付けられないかもしれない。
それを三十頭。しかも一度に操るなんてことは、たとえ魔族であっても容易にできる技ではない。
──最初はおもしろい奴だと思ったが、どんどん人間離れしていくな……
アスターの心に暗い影がよぎる。強い力を使って、身体に何の影響も出ないのか。人間性とは関係ないところで、ユゼフが肩身の狭い思いをするのは可哀想だった。
亜人には人間よりも優れた身体能力と魔力が備わっている。だが、そこまで桁外れの力を使えるというのは、聞いたことがなかった。能力があること自体、稀だろうし……そもそも亜人の力がそんなに強ければ、迫害に苦しむこともなかっただろう。
アキラが黙ってしまったので、ユゼフはアスターを見た。アスターは思考する時、いつもそうするように髭をいじっていたが、ハタと思いついて顔を上げた。
「アナン、馬を用意できるか?」
「馬、だと?」
「ああ、三十頭いる」
要求を通したいなら行動しろ──当たり前の理だ。
「広場に三十頭、馬を用意させろ。ユゼフに操らせる」
突然の提案に尻込みしたのは、ユゼフ本人だった。
「ちょっと待て! 知能の低い小動物であれば三十頭操作できるが、馬は知能が高いからそんなには無理だ」
「おまえの言う作戦を認めてもらうには、実際にそれが可能かどうかを示さねばならない。馬でできないなら、この案はあきらめろ。いいな?」
アスターは一気に言い終えると、水を飲んだ。
※※※※※※※
食後、広場は集まった盗賊たちで、身動きできないほどの大混雑となった。
三十頭もの馬が広場の入り口に準備されたため、何かが始まると口伝てに広まり、百人近い盗賊たちが集まったのである。
「ダメだ。こんなに人がいては気配が邪魔で集中できない」
「アナンにわざわざ準備してもらったのだ。この期に及んで、できないとか言うな」
うろたえるユゼフをアスターは突き放した。何か言い返そうとユゼフは口を動かし、結局断念した。肩をすくめてアキラに訊ねる。
「どんなふうに動かせばいい?」
「そうだな……まず馬を二列か三列に整列させる。それから広場の周りを何周かしてもらって……一斉に動きを止めたり、走らせたり……全頭同じ動きをさせる」
アキラはにやにやして答えた。やれるはずがないと思っているのだ。
まず、邪魔な観客を広場の中央から追いやる。ユゼフは一人、輪の中心に立ち、三十頭の馬は広場の脇を通る通路に群れた。オーディエンスは馬が通れるように道を空けて見守る。
もちろん、アスターもできるとは思っていない。できてせいぜい数頭程度だろう。
大勢の前で恥をかかせて、魔瓶の件は見送らせるつもりだった。
準備が整い、アキラが合図した。不安そうにこちらを見てくるユゼフに対し、アスターは含み笑いする。
ユゼフは静かに目を閉じた。
とたんに空気の流れが止まった。
先ほどまで聞こえていた小鳥のさえずりも、葉擦れの音も聞こえなくなる。異様な雰囲気に盗賊たちもおしゃべりをやめた。辺りは水を打ったように静まりかえった。
一頭……栗毛の馬がいななき、ユゼフの方へ向かった。目の前まで来て、ストンと後ろ足を曲げて座り込む。
二頭目、三頭目、四頭目……馬たちは一頭目の馬の後ろへ一列に並んでいく。十頭が座った。十一頭目からは一頭目の隣に座り、また順番に列をなして座っていく。
その様子を皆、固唾を呑んで見守った。
二十頭を二列に並ばせ座らせると、急に動きが止まった。ユゼフは目を閉じたまま、眉間に深い皺を刻んでいる。
──やはり、無理だろう。並ばせているのには驚いたが
アスターはやれやれと肩の力を抜いた。緊張感が少し解け、ひそひそ話をする者も出てくる。ちょっと変わった奇術でも見物している気分なのだろう。
もうやめさせようと、アスターが歩み寄ろうとしたその時だった。
ユゼフが手を地面に付いて四つん這いになり、馬のようにいなないたのである。
聞こえたのは馬の声そのもので、馬が乗り移ったかに見えた。
心臓が止まるかとアスターは思った。アキラとバルバソフの顔を窺ったところ、二人ともユゼフを凝視している。
ユゼフはハッとして目を開けると、すぐさま閉じて二本足で立ち上がった。
二十頭の馬は身動ぎせず待っている。
ユゼフは唐突に叫んだ。
「立て!」
一斉に二十頭が立ち上がった。
「走れ!」
二列に整列した馬が向かって来たので、盗賊たちは後退り、囲いを広げた。
馬は左右に分かれ、ぐるりと輪に沿って走り始める。
反対方向から来る馬同士がぶつかったりはしなかった。疾駆する馬の列は内側へ入り込んでいき、とぐろを巻く蛇のような渦巻きを形成した。そして、その中心にいるユゼフへと向かって行ったのである。
ユゼフは先頭の栗毛が鼻先まで来ると瞼を上げ、
「止まれ!」
と命じた。
──!?……瞳が??
アスターは目をこすった。
ユゼフの瞳が奇妙な色に輝いて見えた。青みがかった銀……蒼銀色だ。
アスターの所から四十キュビット(二十メートル)は離れているし、ほんの数秒、こちらに顔を向けただけだから見間違えたのかもしれない。
たちまち、ユゼフの姿は馬に隠れて見えなくなってしまった。
スピードを出し過ぎていた馬は止まれない。後ろ足で立ち上がり、大きくいなないた。
後ろに続いていた馬たちもバランスを崩し、ドミノ倒しになる。一帯に土埃が舞い上がった。
「王だ」
誰かがつぶやいた。また別の誰かが、今度ははっきりとした声で言う。
「エゼキエル王だ!」
すると、あちらこちらから亜人の血を引く盗賊たちが声を上げ始めた。
「エゼキエル王が甦った!」
「エゼキエル王万歳!」
亜人の血を引く者たちは全体の三割ほどだ。
彼らは角や牙が生えていたり、尖った耳をしていたり、尻尾が生えていたりと、軽度な変異があるだけで特別な力を持たなかった。
外海の人間がアニュラス大陸へやって来る三百年前に、統治していたのがエゼキエル王だ。そのころの大陸は一つの国だった。
言い伝えでは、エゼキエル王は動物と話すことができ、一度に数百匹の魔獣を操った。
王が歩けば、踏んだ所から花が咲き、鳥が舞う。周りにはリスやうさぎ、鹿などの小動物がいて、王は彼らを思いのままに従えることができたという。
「エゼキエル王万歳!」
「王に精霊の祝福を!」
次々と叫び始めた亜人たちによって、異様な空気に包まれる。アスターは倒れている馬の間を縫って、真ん中で伸びている王を助け起こした。
ユゼフは完全に気を失っていた。
アスターはユゼフを抱きかかえ、「王万歳」の歓呼の中を通り、屋敷へと向かった。途中で声をかけたレーベが小走りで後を追う。
※※※※※※※
部屋に着いたアスターは、ユゼフをベッドに寝かせた。
レーベが馬鹿にするように、
「エゼキエル王だって? あいつら、神話を本気で信じてるんですかね?」
と、鼻で笑った。それに対し、アスターは大真面目に答える。
「笑い事ではないぞ? 私は魔獣をけしかけられたことがあるから、数頭は操れると思っていた。まさか、あそこまでとは……恥をかかせて、無茶な作戦をあきらめさせるつもりだったのだ」
「……本当に笑い事ではないですね。この人、いったい何者なんだろう?」
アスターは問いには答えず、ユゼフの耳を調べる。
「ああ、その耳、自分でちょん切ったんですよ」
「外形の変異は耳だけか?」
「今のところはね」
「変異を抑える薬を作ることはできるか?」
「ええ。材料はあるので、調合には時間はかかりません」
アスターは安堵の溜め息を吐いた。
「どうして、この人のことを気にかけるんです?」
「何も気にかけてなどいない。私は早く王女を救出して国に帰り、新王から報奨を戴きたいだけだ」
「その新王の話ですが……ぼくは王になる予定の人に不信感しかありませんよ……ちょっと見てください」
レーベはユゼフの左腕の袖をまくって傷痕を見せた。
「ユゼフさんが耳を切った時、服が血で汚れたので、腕をまくったんです。その時にこれが目に入りました」
「ただ深く一本線に切ってある……自分で切ったように見えるが……」
「この傷は微弱な魔力を纏っています。死ぬまで絶対に消えません」
「どういうことだ?」
「魔族が臣従礼をする時にこのような傷を付け合います。主人を裏切った時、主人が死んだ時、その忠僕は死ぬことになります」
アスターは顔を引きつらせた。
「この傷を付けたシーマ・シャルドンってどんな人だと思います? 壁の向こうで、強い能力を持つユゼフさんを遠隔操作してる……ひょっとしたら人間ではないとか?」
「そんなことはあり得ない。シャルドン家は三百年前、この地にガーデンブルグ家と共にやって来た名家だ。大陸の貴族同士との縁組で血をつないできたはずだし、シーマは私生児ではなく正嫡子だ」
「シャルドン家のこと、ご存知なんですか?」
「そんなには詳しくない。ただ、王城で財務の責任者だった時に、何度かシーマの父親と話したことはある。シーラズ卿は経営能力に長けていたが、武闘派ではなかった。家柄の良いボンボンだよ」
仕事で接する機会はあっても、あまり好きなタイプではなかった。城勤めはストレスが溜まる。
「シーマに会ったことは?」
「ない……シーラズ卿の一人息子は病弱だったはずだ。貴族の学校に入るまでは、城から一歩も出たことがなかったとか。病の後遺症で肌の色が漂白したように白く、体中の毛が真っ白だという噂は聞いたことがある」
「病弱で外に出たことのなかった少年が四年後、王連合軍を率いて反政府軍と戦っている……何かおかしくないですか?」
「そうだな。変だ」
子供には似つかわしくない神妙な面持ちで、レーベは問いかけた。
「ぼくは何か、とんでもないことに巻き込まれてしまったような気がしてならないんです。このまま、ユゼフさんの言う通りに王女を助けるのは、正しいことなんでしょうか?」
「盗賊と一緒に過ごしている時点で、我々は異常な状態に身を置いている。王女を助けることが正しいかそうでないかは、私にとってどうでもいいことだ。国に帰れて爵位と領地が取り戻せるのならな?」
レーベの視線はベッドのユゼフへ移動した。ユゼフは軽く瞼を閉じ、全身の筋肉を弛緩させている。
「ぼくは、なんだか怖いです。王女を助けて、その先に何が待っているのか……」
アスターは複雑な思いでユゼフを見守った。
穏やかに呼吸を繰り返すユゼフの意識は遠くにあるようだ。瞼の下の眼球は盛んに動き回り、手と足先がたびたび痙攣する。
──この先に何があるかだって? 私のような人間の行き先は地獄に決まっている
視界にレーベの幼い顔が入り、罪悪感からアスターは目を逸らした。




