11話 イアンとドゥルジ
謁見の間は豪華だった。壁も床も天井も全面、金。ここが薄暗い地下だということを忘れるぐらいまばゆい。ドゥルジが座ると思われる立派なソファーは枠組みに金箔が張られており、クッション部分にまでふんだんに金糸が使われていた。ここまでやると下品というか、成金趣味もいいところである。
──派手なだけでセンスがサイアク。俺は小さいころから美しいものに慣れ親しんでいるから、こういうのはウゲッてなっちゃう。
こんな失礼な感想を抱きながらも、イアンはド派手な謁見室の隅々までを観賞した。センスはともかく、職人の仕事ぶりは素晴らしい。金箔のつなぎ目部分は装飾でまったくわからないようにしてあるし、ドラゴンや獅子を象った彫刻も金その物を彫ったかのような重厚感がある。イアンの囚われていた魔王城のほうが洒落ていたのは確実だが、これも充分観賞に値した。
そんなふうにイアンは見て楽しんでいたので、ドゥルジが来るまでの待ち時間は気にならなかった。だから、ドゥルジがゾロゾロとコウモリの翼を持つ小悪魔を引き連れてやってきた時、びっくりしてしまった。
──え? え?? え!? 顔っっ!?
イアンが驚いたのはドゥルジの風貌である。四人掛けソファー分の大きさはある巨大な顔に手足が生えているのだ。額に小さな角を生やしたゴブリンサイズの悪魔たちが、いっそう顔の大きさを際立たせている。
今まで見てきた魔人は動物が人化していたり、人間に動物の特徴が付与されている程度だった。ヒトとはまったく異なる異様な姿に、イアンの目は釘付けになってしまった。
顔の作り自体は人間。なんというか生理的にイアンの嫌いな顔立ちである。どこがどう嫌だとは説明しにくいが、見るからに性格の悪そうな顔だ。
グリゴールがひざまずき、自分たちのことを紹介している間もずっと、イアンはドゥルジを凝視していた。ソファーに座ったドゥルジが見返してきても、目を離さない。顔のサイズがサイズだから、ドゥルジの目はイアンの顔の二倍ある。
放心状態のイアンとはちがい、リザーディアは堂々としたものだった。胸を反らし、大きな声で名乗ったあと、
「陛下はドゥルジ様が魔界へお越しくださるのをお待ちです。留守にされていたとはいえ、もともと魔の国はエゼキエル陛下のもの。ゆくゆくは、アニュラス全土を手中に収めるつもりでいらっしゃいます。ドゥルジ様とは良い関係を築きたいというのが、陛下の率直なお気持ちでございましょう。どうか、その意を汲み取ってくださるとありがたいのですが……」
そんな、けなげなトカゲをドゥルジは嘲笑った。不快なダミ声がイアンの耳を汚す。
「挨拶に出向けってか? 時代遅れのジジイが、まだアニュラスを手に入れるとか寝ぼけたことを抜かしておるのか? 今さら蘇ったところでなにもできまい。魔国に戻って来るんなら、まずそっちがワシに挨拶しろ。それが筋というものだろうが」
「否……と、お伝えしてよろしいということでしょうか?」
「言葉が通じん原始人かもしれんから、貴様の首を返事変わりに送りつけてやってもいい」
「それはできることなら、ご勘弁ください」
思わず剣柄を握りそうになったイアンの横で、リザーディアは冷静に答えていた。普通なら縮み上がって失禁してもおかしくない状況下なのに、平然としていられるのはすごいことだ。エゼキエルが信頼を置くだけはある。イアンが感心している間もなく、ドゥルジの関心はリザーディアからイアンへと移った。
「おまえは……」
「イアン・ローズという。そちらにいるエドアルド王子を返していただきたい」
イアンは気後れしていたのを感づかれないよう、より尊大な態度をとった。グリゴールもいるのに、ダサい格好は見せられない。ドゥルジの目が不快なものを見る目から、好奇の目へと変わった。
「イアン・ローズ……イアン・ローズ……どこかで聞いたことがあるんだよな? どこだったか……」
そばにいた悪魔が耳打ちした。
「ああ! 主国の謀反人か! なんでも、おまえのせいで主国は大混乱に陥り、六年経った今でもグリンデルやカワウにまで影響が広がっているそうじゃないか? それが、なんでここに? グリゴールを倒したそうだが、魔人になったのか?」
「エゼキエルの血で魔人になった」
「ほぅ……サラブレッドというわけだな? んで、エドアルド王子?……エドのことか? 返してほしいとは?」
「解放していただきたい」
「それはできんな。あれはあれなりに育てるのに時間がかかった。引き取りたいんなら、それなりに代償が必要だ。人間ならこういう時、金と言うんだろうが、我々魔人はもっと信用に足る代償を求める。価値の変わらぬ宝珠か魂か、命でもいい。ちなみにエドを捕まえた魔人には、たんまり身代金を払ってる。だいたい百魂か? それだけ仕事をしたら、解放してやる約束になっている。あいつは奴隷だからな」
「ひゃくこん?」
イアンの声は裏返ってしまった。“こん”とは、聞いたことのない単位だ。
「魂、百個ってことな? 命でもいい。命なら、一万だな」
「そんなにたくさん……」
「エドは几帳面だから、殺した数を帳面に書きつけてるはずだぞ? あいつには魔人や魔術師の暗殺、密偵なんかをさせている。たぶん、まだ百人ぐらいか」
イアンは言葉を失った。そんなにもたくさんの命を奪わないと、クリープは自由にならないのか。すでにクリープの手は血で汚れてしまっている。
「ところで、エゼキエルの血で魔人になったということは、おまえは眷属なのか?」
「いや、居場所はわかるようだが、俺のことは使役できない」
「んん?」
そこで、リザーディアが助け船を出した。
「本来ならイアンは眷属なのですが、我が強すぎるためにエゼキエル様も操作できないのです。言うことを聞かないので、手を焼かれていました。魔王城から逃げてきたところ、たまたま私と会ったので、こうして一緒に参ったというわけなのです」
「ほぉ? なかなか面白いな? どうだ、イアン! このワシに仕えてみないか?」
「は?」
冗談じゃないとイアンは思った。こんな化け物のところで人殺しをさせられるんなら、エゼキエルのところのほうがマシだ。
「どうだ? エゼキエルが嫌で逃げて来たんだろう? あんな古臭い奴とちがって、ワシのとこは自由だぞ? おまえの腕なら、百魂ぐらい簡単に稼げるだろ? すぐにエドを解放してやれる」
「アンタんところで働いたら、エドアルドを解放してくれるのか?」
「百魂稼げばな? おまえなら、たやすいだろう? 人間みたいに誓いを立てなくてもいいし、しがらみもない。シンプルに契約するだけでいい。辞めたくなったら、いつでも辞めていいし」
イアンは揺らいだ。ドゥルジに仕えたら、グリゴールと毎日会える。そのうえ、クリープも自由になれる。
──いやいやいや……待てよ? 惑わされるものか。こいつの所で働いたら、俺は殺し屋になってしまう。金のために命を奪う賊と同じになってしまうじゃないか
堕ちるところまで堕ちたイアンは、もう二度とサチの家臣にはなれないかもしれない。サチは汚れたイアンを嫌悪することだろう。
イアンは頭を振った。
「いいや、断る。俺にはもう、この人と決めた人がいるんだ。あんたには仕えない」
「そうか……いい話だと思ったんだがな? そうだ、せっかく来たんだから、エドに会っていくか?……おい、エドを連れてこい!」
ドゥルジは悪魔の一人に命じた。ドゥルジの話だと、クリープは任務で外出していることが多いのだが、今日は運良くいるとのこと。クリープが来るまでの間、ドゥルジは酒を呑んで待った。
悪魔たちが持ってきた酒樽から、パーティーの大皿サイズの盃になみなみと注ぎ、飲み干すさまは奇っ怪である。イアンは卵のように丸くなったダモンをリザーディアから返してもらい、自分の肩に乗せた。




