121話 骨人間現れる(イアン視点)
カチャリカチャリ……甲冑がこすれ合う音にギギギっと金属以外の何かが擦れる音も混じる。イアンは嫌な予感がした。
王の間の端と端で相対する玉座と扉。その扉の向こうにいたのは、イアンもよく知る“あいつ”だった。説明を始めたのは、“あいつ”を玉座の前まで連れてきたカッコゥだ。この小悪魔は案内を済ませると、エゼキエルの肩に乗った。
「ユゼフサマ、この方は現世でユゼフサマの兄上だった方デス。なんでも主国では剣聖と呼ばれ、英雄扱いだったトカ。ガーデンブルグ王家に準ずる名家ヴァルタン家の出身デス。デスカラ、人間界の政治、社交界のことについても詳しいかと存じマス。アニュラスと魔界の通り道を守る番人もされており、魔の国の事情にも、ある程度通じているかと思われマス。ちなみに番人の任は解かれたそうデス」
片言だったカッコゥは、ユゼフがエゼキエルになってからペラペラと話せるようになった。知能も高くなったようだ。門衛から話を聞き、ここまで“あいつ”を連れてきたのだろう。取り次ぎもできるとは、たいしたものだ。しかし最近、イアンのことをやや見下した目で見てくるようになった。
そんなカッコゥが連れてきた“あいつ”とは──
「我はサムエル・ヴァルタンという。おまえの兄だ。半信半疑であったが、おまえが魔王エゼキエルというのは本当だったのだな?」
エゼキエルとなったユゼフを前にしても、相変わらずのエラそうな態度である。そう、“あいつ”とはイアンの大嫌いなクソ骸骨サムだ。立派な甲冑に身を包んだ骨人間は檻の中のイアンに気づいてか、カタカタッと下顎を鳴らした。イアンは奥歯をギリギリ噛み締める。
エゼキエルはサムの横柄な態度にも、気を悪くしなかった。
「悪いな。ユゼフだったころの記憶はないのだ。おいおい戻るかもしれんし、戻らぬかもしれん。わざわざ、ご足労いただき感謝する」
「理由はハッキリわからぬのだが、突然番人の役目を解かれた。おまえがなにか知っているのかと思ってな……」
「すまぬ。なにも思い出せぬのだ」
イアンは「俺だよ! 俺のおかげでおまえは自由になれたの!」と喉まで出かかっていた。イアンがバフォメットと契約したから、サムは自由になれたのだ。こんな状態になったのもあの時、契約したせいである。勝負に負けたイアンはユゼフの眷属だったので、その身を捧げたくてもできない。代わりにユゼフがケリをつけることになってしまった。
イアンがでしゃばらず黙っていたのは、檻に監禁されたこの状況について聞かれたくなかったからだ。グッとこらえ、サムの暗い眼窩をにらみつけた。
「まあよい。おまえが弟として生まれ変わったのも、我が異形となったのも深い縁であろう。自由になれたことだし、これからはおまえに仕えようぞ」
「それはありがたい! サムエル……いやサム、これからはこの城に住まうがよい。其方が強いというのは、空気でわかるというもの。味方になってくれて嬉しいぞ!」
「いや、礼には及ばぬよ。これが運命だ。我もおまえの役に立てそうで嬉しい」
サムはどこまでいっても尊大だ。仕えると言いつつ、ひざまずこうともしない。エゼキエルもエゼキエルである。こんな無礼者を家来にして喜ぶとは。これではユゼフの時とほとんど変わらないではないか。イアンは憤った。
「そうだ、サム。そこの檻にいる赤頭だが、なかなか扱いにくい狂獣でな、よかったら其方の下に置いていただけないだろうか?」
──ふ、ざ、け、る、な
とうとうイアンの堪忍袋の緒が切れた。サムの家来だなんて冗談じゃない。死んだほうがマシだ。
「勝手に決めるなよ? 俺はサムの下にはつかない! 絶対にだ!」
「む? どうしたのだ? 朕に仕えるとたった今言ったばかりなのに、なぜ逆らうのだ?」
困惑するエゼキエルには、サムが答えた。
「ああ、エゼキエルよ。その赤人参は我と犬猿の仲なのだ。愚かなうえに自尊心ばかり高くてな。評価できる点は剣技ぐらいのものだが、好き勝手に暴れて力を誇示するだけで、誰かの役に立ったことはない」
「そうなのか……困ったものだな」
「幼いころから酷い問題児で、親戚中でも一族の恥と笑われていたよ。これでも一応名家の生まれだからな? 家族は隠そうと懸命だった。だが、奇行や問題行動を繰り返し、大陸の貴族社会ではその悪評を知らぬ者はいないほどだったのだ。しまいには、謀反まで起こして……」
サムは子供の時と変らず、イアンの悪口を吹聴する。そして、ウンウンと素直にうなずいて受け入れるエゼキエル。エゼキエルとサムのやり取りは、イアンの怒りを爆発させた。
「だ、ま、れ! 悪評を広めてんのはテメェだろうが! 骸骨になったら、とっとと土に帰れ! 蘇ってんじゃねーよ! テメェのような化け物が存在するほうが、世の中の迷惑だっつうの!!」
「うぬも魔人だろうが。一度死んで蘇ったのも同じ。世間に迷惑をかけてるのは、うぬの存在だろうが」
エラそうなサムに、エゼキエルは申しわけなさそうにする。
「すまぬ。朕がユゼフの時にコレを蘇らせてしまったようなのだ。眷属とはいえ、見てのとおりの狂獣でうまく操作できずに困っていた。サム、其方なら任せられると思ったのだが……」
「この死にぞこないに引導を渡してやることはできるが……。指導は無理だ。人の言うことを聞き入れられるような素養がない。しかも、こやつの周りは皆不幸になるようでな、災難を振りまいて歩く疫病神よ。しもべにしても、いいことはないと思う……」
イアンは耳を疑った。エゼキエルは、イアンを蘇らせたことをサムに謝っている。まるきり同じやり取りをつい先日、ユゼフの時にもしているのだ。我慢は限界点まできてしまった。
「ええい、だまれ! だまれ! 俺はおまえらみたいな、見るからに悪役の化け物軍団には仕えないからな! 本当はサチ……サウルのほうに仕えるつもりだったんだよ。あっちは正義の味方だからな!」
「なんだと!?」
エゼキエルの瞳孔が開いた。イアンは一瞬ひるんだが、今は頭に血が上っている。勢いに任せて続けてしまった。
「サウルはアニュラスを平和へ導いてくれるだろう。おまえらみたいな人を食らうわるものとはちがう! 弱きを助け強きを挫く、世界を変えられる唯一の人なんだ。神の祝福を受けた選ばれた人なんだよ! おまえら、不浄は肥溜めから上がってくるな!」
空気が変わった。サムは一歩下がる。エゼキエルは玉座から立ちあがり、イアンの前に行った。
エゼキエルの白い顔の回りで毒蛇がシューシュー息巻いている。赤目に浮かぶ蒼銀の瞳は、無機質で作り物のようだ。エゼキエルはイアンより少し大きい。人間界では、普通より体の大きいイアンが威圧されることとなった。
「イアン、朕を侮辱したな? しかも、天敵サウルを引き合いに出すとは。朕に仕えると申したのは偽りだったのか?」
イアンは今頃になって、エゼキエルを怒らせてしまったことに気づいた。せっかく、しもべになることで殺されずに済むはずだったのに……。ここまで来たら、もうあとには引けない。サムがこちらに頭蓋を向けているし、ここで尻込みしたらまたカタカタ顎を鳴らすのだろう。それだけは耐えられない。
「俺は殺さないでほしいと言っただけだ。誰がおまえみたいな腰抜けに仕えてやるか! サムごときにヘイコラしてる時点でおまえは三流なんだよ。永遠に魔界の僻地でお山の大将やってろ」
「……わかった。よーく、わかった。サム、其方の申すとおりであった。この狂獣は〆て明日の饗応の際、魔界人たちに振る舞おうと思う。アニュラスからここまで難儀であったな。疲れたであろう? 部屋と従僕を与えよう。ごゆるりと過ごされるがいい」
今日の謁見はこれで終わりだった。エゼキエルはサムを送り出すと、イアンに一瞥だけくれて王の間を出て行った。
昼と夜がはっきりしないとはいえ、エゼキエルは定期的に睡眠をとる。それでイアンはなんとなく一日を感じていた。エゼキエルが去ったあと、イアンも寝るのが常だが、どうにも寝られなかった。いよいよ明日、食われるのかと思うと全身が震えてくる。おとぎ話のオーガに囚えられた子供さながら、シクシク泣いてしまった。檻から出られたとしても、外は一面溶岩の海だ。ここがどこかもわからない。イアンはただでさえ方向音痴だ。単調な景色ばかり続く魔界の奥地から、アニュラスに戻るのは絶望的だった。




