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ドーナツ穴から虫食い穴を通って魔人はやってくる  作者: 黄札
第三部 グリンデルの王子達(後編)
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116話 ユゼフ対バフォメット③(イアン視点)

 とはいっても、イアンは泣いたりしなかった。もういい大人だし、もしここで泣いたりなんかしたら、軽蔑される。戦闘中、視界に入るかどうかは置いといて、それを知ったらティムは絶対にイアンとの友達関係を解消するだろうし、その後はウジ虫扱いすることだろう。

 イアンは鼻をこする流れから、さり気なく目を拭った。サチはなおも魔法の札を押しつけてくる。イアンはブンブン(かぶり)を振った。


「おまえらを置いて、一人で逃げられるわけないだろうが」

「じゃ、こういうのはどうだ? 君が助けを呼んでくる。俺たち三人じゃ厳しいけど、俺の父親が来てくれたら助かる」


 サチの目には強い決意が宿っていた。助けが来るまえに、決着をつけるつもりなのかもしれない。もしくは、イアンが行ったあと、虫食い穴を閉じるつもりなのかも……そんな考えが浮かんだが、ティム以外は魔術を使えないので、現実的に無理だとイアンは思い直した。(ふだ)のザラッとした感触は、アニュラスでよく使われる紙とはちがう。動物の皮ではなく、葦か麻を使っているらしい。イアンはその高価な材質の札をクシャッと握り締めた。


「よし、イアン! 行ってこい!」


 サチはイアンの背中を軽く叩き、離れた。支えを失ったイアンは倒れそうになるも、なんとか持ちこたえた。二人のバフォメットはもう巨人だ。拳を振り落とすと、水晶の地面が仰々しい音をたてて割れた。

 飛び散った水晶の破片がユゼフの頬を切る。ユゼフは集中しているのだろう。血が頬を濡らしても、構いはしない。気を溜めて一気に胴を払った。クリティカルヒット!! 巨大化したバフォメットの胴は、皮一枚残して離れた。


 ──やった!!


 そう思ったのも束の間、バフォメットの頭がビニョーーーンと伸びた。一人だけではない。ティムと戦っていたもう一人もだ。伸びた頭部は上空で合体した。そして、バネの要領で下の部分も跳ね上がり、大きな銀色の球体となった。一塊となったバフォメットは、貴族の大邸宅ほどの大きさになってしまった。


「イアン、なにしてる? 行け! うしろを見るな!」


 サチに言われても、イアンは大巨人となったバフォメットから目が離せなかった。バフォメットはすぐさま、球体から人型に変わった。変異の速度も上昇している。


 ──あんな化け物、どうやって倒すんだよ?


 ユゼフもティムも呼吸が乱れ始めていた。この二人の息があがっているのだ。


「イアン、行けっ!!!」


 サチは抜刀した。三角形のチンクエディアは青い光をまとう。魔力をチャージしているのか。サチが巨人へ向かっていく背中を最後に見て、イアンはクルリと向きを変えた。


 ──早く、早く助けを


 誰一人、死んでほしくない。ユゼフもティムもカッコゥも、サチも……

 イアンは足を引きずり、ヨロヨロと逃げた。背中を丸め、転びそうになりながら亀の速度で前進する。情けない姿だ。でも、これが今のイアンにできる精一杯だった。

 少し歩いた所に大きな岩がある。その岩陰で虫食い穴を出そう。あともう少し……追いかけてくる音にビクつく。水晶が割れる、金属同士がぶつかり合う音に、耳をふさぎたくなる。早く早く──


 しかし、サチは虫食い穴をふさぐつもりではないのか?──あと、もう少しというところで、イアンは不安になった。あの父親、ザカリヤに助けを求めるのだろうかと。父親に迷惑をかけたくないのではないか。サチはああ見えて自尊心が高い。


 ──そうだ、アドラメレク。ユゼフがアドラメレクを眷属にしたと、ティムは言っていた。悪魔なら魔術に秀でている。虫食い穴を閉じられるかもしれない


 イアンは足を止めた。どうすればいいのかわからない。戻るか、このまま虫食い穴で逃げるべきか……すると、


『待て』


 突然の声にイアンは飛び上がりそうになった。骸骨サムのエコーがかった声に似ている。いや……


『クレッセント、月読(つくよみ)を抜け』


 キョロキョロするイアンに謎の声はなおも呼びかける。いろんな音を合成した感じ……気持ち悪い声だ。上から聞こえるような気もしたが、今度はすぐ真後ろから聞こえた。クレッセント? ツクヨミとは?


其方(そなた)が背負っている剣よ。早よ、抜け』

「だ、誰だ!? 何者だ?」

『ふ……ユゼフを助けたいのだろう? (ちん)はエゼキエルである』

「エゼキエル!? 魔王??」

『朕のことをそのように呼ぶ者もおるな。あんな、バフォメットごとき悪魔にしてやられるとは、落ちぶれたものよ』


 自嘲する声がさざめいた。雑音がうるさい。だが、そんなことはどうでもいい。イアンは(わら)にもすがりたい思いだった。


「ぺぺを、ユゼフを助けたい!! 大事な友達なんだよ! どうすればいい?」

『だから、まず剣を抜けと』

「わかった! そのあとは?」

『剣を地面に刺せ』


 イアンは言われたとおり、アルコを地面に刺した。


『よし、次に身体のどこでもよいから切れ。血を捧げるのだ』


 イアンは一瞬躊躇した。この声は本当にエゼキエルなのだろうか。ユゼフ=エゼキエルではないのか? ここでイアンに語りかけているのがエゼキエルなら、向こうで戦っているユゼフはいったい?


「本当にぺぺを助けるんだろうな?」

『本人がそう言っている』

「でも、あんたはぺぺじゃない」

『朕はユゼフ、ユゼフは朕だ。朕とユゼフが一体になれば、バフォメットなど敵ではない』

「カッコゥも戻ってくるのか?」

『カッコゥ? 使い魔のことか? ユゼフが取り戻したいのなら、戻るであろう』


 うしろで、大きな破壊音が聞こえた。今までで一番大きいかもしれない。イアンは振り返りたいのをグッとこらえた。見てしまったら、なんの助けにもなれないのに行ってしまう。音に急かされ、イアンは立てたアルコの刃に手首を当てた。


 鮮血がほとばしる。血の赤は美しい。刺激的な赤はイアンの網膜に焼きついた。これが一生忘れない赤になろうとは……。その時、イアンは耳に吐息をかけられたような気がした。


『いいぞ。イアン、朕が眷属よ。よいか? 朕が申す言葉を繰り返すのだ』


 エゼキエルはイアンの耳元で呪文を囁き始めた。古代語だろうか。知っている単語は数個しかない。


「解かれよ、封印……ビルドゥ、ニレビフォッツァ、エジンザイタツ……」


 イアンは背後から抱きかかえられている錯覚を覚えた。毒に冒され、フラフラ歩くのがやっとなのに、背筋がピッと伸びる。支えられている。奇妙な安心感があった。

 チラと横を見ると、長く青い髪が揺れた。ぼんやり見えたその人はユゼフに似ていた。


「目覚めよ! 我が主、アニュラスを統べる真の王よ!」


 イアンは半ば操られていたのだろうか。自身から発せられた声で我に返った。


 ──これが本当のエゼキエルだとして、言うとおりにしたら何が起こるんだ? ユゼフと、このエゼキエルが一体になったら……


 どうにか冷静な考えに行き着きそうになった時は、もう手遅れだった。


「礼を言うぞ、イアン。其方(そなた)に助けられるのは、これで二度目だな?」


 今度はユゼフの声がはっきりと聞こえた。背後にあったはずのエゼキエルの気配は消えてしまった。


 ゴゴゴゴゴゴォー……次に激しい振動がイアンを襲った。魔界の地が揺れている! 大地震だ。イアンは必死にアルコの柄につかまった。


 ──まさか、魔王がよみがえる!?


 六年前の恐怖がイアンを震わせた。黒曜石の城にて、開かずの扉をアルコで斬りつけたイアンは、魔王を目覚めさせてしまったのだ。


 ──ウソだろ!? あの時、魔王はいなくなったって……黒曜石の城と一緒に消えてなくなったって……言ってたじゃないか。どうして……?


 サチの身体を乗っ取ったエゼキエルは、ユゼフと相討ちになって死んだはず……アキラがユゼフの身体を湖に沈めて、魔甲虫を退治した。元盗賊たちやアスターから、イアンは聞いたのだ。もう、エゼキエルはいない。それなのに──


 イアンは目を疑った。岩陰から、水晶の結晶から、あちらこちらから……あの忌まわしい虫がウヨウヨと湧き出てくるではないか! たった今できた地割れからも、アルコを刺した地面の隙間からも……溢れるように湧いてくる。魔甲虫が!!


 イアンは目を大きく見開いて、そのさまを眺めることしかできなかった。

 虫は瞬く間に魔界の地を黒くした。

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