104話 臣従礼を解除したあと(イアン視点)
たどり着いた岩山は、人工物ではないかと思うほど整った段々が頂上まで続いている。イアンたちはこの段々をポクポクと登った。
マグマから離れれば、気温は急降下した。もともと気温が低いから、マグマの熱でちょうどよくなっている。サチの話だと、この大地の表面を覆う赤茶けた土や岩は地底の物に似ているという。
「成分を持って帰って、調べてみないとわからないけど。外界のものとは明らかにちがう」
「鉱物資源も多く含まれていそうだな」
イアンの前を歩くユゼフとサチは、なにやら難しい話をずっとしている。その間、イアンはティムとブレイズ(下着兼ズボン)の下のアレの位置について話していた。基本、貴族のファッションは、長靴下をこのブレイズに紐で結わえつける。その上にキュロットを履いたり、長めの上衣を着るのが主流だ。昨今、ブレイズはピッタリしたタイプが流行っており、その下にあるものをどのように収納するかが、切実な問題となっていた。
「俺様、右だな。上向きはありえない」
「俺も下向き。左右はそんなに意識しない」
「上のほうが健康にいいって聞いて、試してみたんだけどよぉ……」
イアンたちがこんな下ネタを話しているというのに、ユゼフたちはすました顔で地質学について話している。途中でイアンは大きな差を感じ、口をつぐんだ。
「あれ? どうした、イアン? 急に黙って……」
「俺はもっと知的で文化的な話をしたいんだよ。内海貴族のティムとちがって、俺は大陸名家の育ちだからな?」
「なーに言ってやがる? おめぇ、チンポジの話が文化的じゃねぇってのか!? めちゃくちゃ文化的じゃねぇかよ! それにな、秘事でありつつも奥深く、切実な問題でもあるぞ?」
「いや、ご婦人方の前で話して、『まあ!』とか『すてき!!』とか言われるような、スマートで貴族的な会話を俺はしたいんだよ」
「なんだ、それ!? おまえよぉ!」
言い終えるまえにイアンは自分でおかしくなってしまい、吹き出してしまった。ティムはゲラゲラ笑っている。同じタイミングで、ユゼフとサチは爽やかな笑い声を立てる。もちろん別の話題だ。
──あれ? この二人って、庶民出身じゃ……俺のほうが育ちがいいはずなのに、なんか立場が逆転してないか?
前の二人はいやにお上品である。皆、暑くて上衣を脱いでいるのだが、脱ぎ方がまずちがう。
上衣を肩にかけているのは皆一緒……にしても、人がいないのをいいことにイアンたちは上半身裸だ。チュニックまで脱いでベルトのところにブラブラ下げている。対して、ユゼフたちはチュニックの紐を緩めるだけに留めている。
ときどき、二人が顔を見合わせたりすると、綺麗な横顔がうしろにいるイアンにも見える。金髪にしたサチは死んだニーケに似ており、王子っぽいし、青白い顔のユゼフは癖のない端正な顔立ちだ。自分の立ち位置もさながら、イアンはまた自信を失ってしまった。
──でも、ティムと並んで歩いてて楽しいもんな? 俺がいるのは本来こっちサイドなんだ
そう割り切ることで、今までのモヤモヤした気分はスッと晴れた。獣が現れたら積極的に狩り、主を守る。普段は気の置けない仲間とワイワイふざける。こっちのほうがイアンの性に合っている。
気持ちが落ち着いたのは良しとして、今度はユゼフたちが気になる話を始めた。口火を切ったのはサチだ。
「ところでユゼフ、臣従礼を解除したあとのことは考えているのか?」
「……え?」
「ほら、シーマが目覚めるだろう? そしたら、塔に閉じ込めているディアナをどうするつもりなんだよ?」
「ディアナ様のことはお守りするつもりだ」
「口ではどうとでも言える。俺が聞いているのは具体的なことだよ。シーマはディアナのことを絶対に許さないだろう。居場所を知ったら、処刑する」
「そ、それはなんとか説得して……」
「君にできるのか?」
「……う、うん。じ、じつはディアナ様は今、王城の外に匿ってもらってるんだ。だ、だから、少しは猶予があるというか……」
ユゼフはどもり始めた。自信ないときはいつもこうなる。イアンはまたイライラしてきた。ティムも聞き耳を立てており、おとなしい。サチはユゼフを追求する。
「猶予? どこに隠したか知らないが、王都か? シーマを説得するまでの間、隠し続けられるのか?」
「そっ、それは保証する」
「甘いな」
サチの痛烈な言葉が、イアンの心の中でハモった。ユゼフは頭がいいくせに、身近な問題に対して考えが浅い。たぶん向き合いたくないから、逃げているのだろう。
「でっ……でも、俺が臣従礼を解除することでシーマは助かるし、目覚めたばかりで俺の力が必要だ。こちらの要望を無碍にはできないと思うんだが……」
「それが甘いって言ってるんだよ。シーマはそんなに優しい性格じゃない。目的のためには、残酷なことも平気でする。存在が邪魔なだけでなく、ディアナには強い恨みもあるだろう。矛を収めさせるには生け贄が必要だ」
「ミリヤのことか……」
「ああ。存外、勘がいいな。そうだよ。ヴィナス王女の死に大きく関与したミリヤを生け贄に差し出す」
「本人から聞いたよ。ミリヤ自身はそれで丸く収まるなら、我が身を差し出すつもりでいる。でも、ディアナ様はどう判断されるかな……」
「ダメだ!!」
口を挟むつもりは毛頭なかったのだが、イアンは叫んでしまった。あの可愛くて儚い小動物のような美少女を、クソ鬼畜ゲス野郎シーマへの供物にするなど言語道断。絶対に避けねばならない。ユゼフたちの冷たい視線にさらされ一瞬たじろぐも、イアンはにらみ返してやった。難しいことがわからないお馬鹿さんでも、人の心は持ち合わせているのだ。たとえ、上半身裸でトサカ頭と下品な話題で盛り上がっていたとしても。
思いがけない助っ人は隣にいた。ティム。
「あーあ、ミリヤ、かわいそうに……」
「そうだろ? そう思うよな? よくそんな酷い考えを思いつくもんだ」
「思う存分、辱められたあと、拷問されて公開処刑か。さすがに胸が痛むな」
「人非人だよ。残忍にもほどがある」
ティムが同調したことで、イアンは勢いづいた。冷酷な二人に人の心をわからせてやる。
「俺様、ミリヤとは一緒に戦ったことがあるからな……そんなことになったら悲しい。ほら、これ。お気に入りのダガーは、ミリヤからもらったんだよ」
「へっ!? ティム、どうして?」
「このダガー、最高に切れ味いいんだよね。ああ、これ? なんでもらったかって? 頑張ったご褒美にキスかダガーか、選べって言うからよ?」
「いつの間に、ミリヤちゃんとそんな仲に……」
「そんなこたぁ、どーでもいいんだよ。ミリヤってクソビッチかと思いきや、案外いい奴だかんな? このチビ、ガキみてぇな顔して冷酷非道な性格してやがる」
「そ、そーだ、そーだ。ミリヤちゃんがそんなことになったら、俺は二人とも許さないからな?」
ティムとミリヤの関係が気になるが、イアンは気を取り直してサチを責めた。今はミリヤの身の安全のほうが重要だ。
さんざんな言われように、もの申したかったのか。サチは歩を止めた。アーモンドの目は光線の加減で赤っぽく見える。これは目の色が変わってしまったからである。変装のため薬で色素を薄くしたところ、そのまま戻らなくなったそう。
「一応、軽く弁明させてもらうが、俺はあの女に一度殺されかけているからな?」
「だとしても、そんなの俺は絶対賛成できない。なにがなんでも、阻止する!!」
イアンが強い意思表明をすると、サチはふぅと息を吐き、ユゼフの顔を見た。
「だってさ……どうする?」
「俺も誰か一人を犠牲にするやり方は好まない。ミリヤのことは好きじゃないけど」
それを聞いて、サチは丸い笑顔で答えた。この笑顔を見れば、ザカリヤがサチを大事にするのが納得できる。昔からそうだ。よくない選択肢も示して選ばせる。最初からそれを選ばないとわかっていて、わざとそうするのだ。それで、良き結果に満足して今のように笑う。
──ああ、やっぱりサチはサチなんだな
イアンは安堵するとともに、胸のところが温かくなった。そして、サチは決して問題を置き去りにはしない。
「それでいい、それでいいよ、ユゼフ。でも、それだけじゃディアナを救えない。考えることだ。あと、覚悟しろ」
「うん、俺は絶対にディアナ様を守るよ。そう、彼女にも約束したんだ」
「そうか。俺はもう外野から見守ることしかできないけど、ディアナは俺にとっても大切な人だよ。守ってほしい。どっちつかずの状態だけはダメだからな?」
話がついて、サチとユゼフが再度歩き始めるころには、イアンの気持ちはほぼ固まっていた。
アーモンドの目、エキゾチックで子供のような顔つきと華奢な体躯。誰よりも賢くて清廉な人。出会ったころと変わらないそのまっすぐな眼差しこそ、王にふさわしい。
イアンはサチ・ジーンニアに仕えようと心に決めた。




