98話 兄と弟(イアン視点)
従順な弟が家を裏切った──この事実は、サムにとって衝撃だったにちがいない。嘘ではない証拠に、ユゼフはダンマリだ。
普段のイアンなら、刃傷沙汰になるほどの秘密を暴露して、兄弟仲を裂こうなんて酷い真似はしない。しかし、相手はあのサムなのだ。幼いころからずっと、イアンをイジメ続けてきた大嫌いな従兄弟。十近く年が離れているのに、大人げない従兄弟たちはイアンをバカにし、罵倒し続けた。そして、死んでもなお蘇り、イアンを貶めようとしている。
──親戚の集まりでいつも俺は転ばされたり、唾を吐かれたり、ばい菌扱いされてきた。反抗すれば、世間では人気者の従兄弟たちだから、俺が悪者になる。俺はちゃんと名前で呼ばれたことすら、なかったんだ
「ユゼフ、なぜ否定しない。まさか、クソジンジャーの話は本当なのか……??」
「ああ、本当だよ。ぺぺは謀反を起こすまえから、シーマの家来だった。左腕の傷はシーマとの臣従礼の痕さ。ぺぺはシーマのためにディアナ様を守り、国へ送り届けたんだ」
イアンは黙ってしまったユゼフに追い討ちをかける。ユゼフはうなだれた。
「クソジンジャーは黙っていろ! 我はユゼフに聞いているのだ……ユゼフ、本当なのか?」
「……国を離れるまえ、シーマに呼び出され、魔族の方法で臣従礼をしました」
「では、謀反が起こることもすべて知っていて、シーマに加担したということか? 父や我々兄弟も殺されると予見して……?」
「そそそそ、それはちがいます。俺はなにも知りませんでした。本当です。シーマからは、なにも知らされていませんでした。シーマはただ、国外でディアナ様を守れと……それだけ命じたのです。シーマには人の心を操る能力があります。俺は半ば、操られた状態で臣従礼をかわしてしまいました……」
しばし、いやーな沈黙が流れる。ユゼフの言うことは事実だろうが、言い訳じみている。イアンはサムの怒りが、ユゼフにも向けばいいと思った。骸骨サムはユゼフのほうへ頭蓋を向けて止まる。意気地のないユゼフは見返すことができず、下を向いたままだ。だが、しばらくして唐突に上げた顔は真剣だった。青白い顔から怯懦が消えた。
「なにも知らなかったと言っても、信じてはもらえないでしょうし、俺は間違いなくシーマに加担しました。そして、そのせいで家族が犠牲になりました。責められても、仕方のないことです。結果として、偉大な兄上たちの命を奪い、出来損ないの俺だけが残ったんですから……刃を向けられる覚悟はできています」
筋骨隆々、強堅、剛毅なヴァルタン家ではユゼフのような優男は異端である。弱々しげな線の細い男が弁明せず、必死に責を負おうとしているさまは胸を打つものがあった。つい憐憫の情が湧いてしまい、イアンは頭を振った。
──いやいや……ぺぺのやつ、いい子ちゃんぶるなよ? シーマについて、自分を虐げてきた家族に復讐したんだろ? 俺みたく、正々堂々とケンカしろ
骸骨サムの答えは、
「ユゼフ、我はおまえを責めぬ。おまえがシーマに取り込まれてしまったのは、ダニエルや父の管理不足であろう。おまえは嘘をつけぬ性格だし、不器用だ。なにも知らなかったというのも、うなずける。だが、たとえおまえがわかっていて、シーマに協力したのだとしても、我がおまえを責めることはできぬよ。庶子であるおまえは無理やりヴァルタン家に連れてこられ、家のために尽くさねばならなかった。父がおまえを宦官にしようとしているのを知って、不憫だと思いつつも我はなにもしてやれなかったのだからな」
「あっ、兄上……」
「家というしがらみから逃れられた今だから言うが、我は父とダニエルを憎んでいた。我は次男ゆえに爵位も領地も継げぬ。いくら頑張ろうが、父と兄の奴隷となって尽くすだけの人生だったのだ。ユゼフ、我もおまえと同じだったのだよ。実際、我のほうがダニエルより強かったが、認められるのは二番目としてだ。ダニエルより前に出ることは許されない。それでも疎ましかったのだろう。ダニエルは父上に言って、我を王都から僻地の瀝青城へ追いやった。暗い城で一人、我は南の地を守るという重責を課せられたのだ。家のためにな」
サムの話は長い。暗い怨念に満ちた恨みごとをブチブチつぶやく様子は、怨霊らしいといえば怨霊らしい。イアンはウンザリした。
──鬱陶しいやつめ。死んで化け物となっても呪縛から逃れられないなら、俺が引導を渡してやるよ
イアンとちがい、ユゼフはサムの話を神妙な面持ちで聞いていた。やがて、サムの話が途切れると、穏やかな声を出した。
「俺は自分の境遇を父上や兄上のせいだと、恨んだりはしてませんよ。名家の血を引いて生まれたことで、運命は決まっていたんです。それもシーマが起こしたことで、変わってしまいましたが。それより、兄上が気にかけてくださっていたのが嬉しいです。俺にとって、兄上たちはお二人とも偉大過ぎて遠い存在でした。畏れ多いですが、サム兄様が俺と同じように苦しんでいたことに、今驚いています」
サムに向けるユゼフの視線は憧れとか、崇敬とか、そういった類のものだ。サムは暗い眼窩でなにを考えているのか。骨から発せられる気は慈愛を含んでいる。
「もっと、我がおまえを気にかけるべきであった。おまえは自分で卑下するほど、出来が悪いわけでもないし、ヴァルタン家のことより別の使命を持っている。番人の契約がなければ、我もおまえの力になりたいのだが……」
「そのお言葉だけで、胸がいっぱいです。このようにお話しできるだけでも、喜ばしいことなのですよ」
オーディエンスの中には、心を通わせ合う兄弟に感涙する者もいた。サチとティムもウンウンとうなずきながら静観しているし、イアンは蚊帳の外だ。唯一、場の空気についていけないのは、ユゼフの肩の上で首をかしげるカッコゥぐらいのものである。
名高い騎士であるサムエルに対し、大罪人のイアン。魔人ですら、サムに敬意を払う。昔からそうだった。優秀かつ人望厚いサムに対し、愚かで乱暴者のイアン。簡単にこの構図ができあがる。
──クソったれ! 骨になったくせにエラそうにすんなよ、サム? 経歴や空気感でオレより優位に立ちやがって……そんなら、俺は純粋に力だけで、全部ぶち壊してやるよ
イアンのドロドロした感情に気づいたのか。横を向いていたサムの頭蓋がイアンに向き直った。
「腐れジンジャーよ。おまえとの因縁は、石女と思われた叔母が突然、おまえを出産した時から始まる。家族と祝いに駆けつけようとしたその馬車が脱輪し、横転した」
「ふざけんな、そんなの俺のせいじゃねーし!」
「その時、我ら兄弟と父は無事だったが、母は骨折含め全治三ヶ月の大けがを負った。そして、我が十一の時、うぬの三歳の誕生日に我は雷に打たれて死にかけた」
「俺は関係ないだろうが!」
「いや、関係ある。うぬの誕生会に招待され、我はローズ城に来ていたのだ。うぬが主殿の屋上に上がりたいと駄々をこねたので、「少しだけ上がらせろ」と母上に言われ、仕方なく我は雷雨の中、うぬを連れて上がった。それで、打たれたのだ」
「知るかっての!!」
「うぬが五、六歳のころ、ヴァルタン邸の壁に落書きやら糞尿が擦り付けられるイタズラがされるようになった。我とダニエルは疑われ、何度も叱られたのだ。時に鞭で打たれることもあった。うぬが犯人だとわかったのは、だいぶあとだったな。馬鹿のくせに字だけは上手いから、なかなかバレなかったのだ」
「ガキの可愛いイタズラだろ? んな、小さいころのことをネチネチ言うな!!」
「我が十六、うぬが八歳ぐらいの時か。ダニエルと二人、豚舎に閉じ込められた。我とダニエルは豚の餌になるまえに、傷だらけの身体で豚舎の通気孔から逃げだした。木の上に小猿がいると嘘をつかれ、スズメバチの巣の近くに誘導されたり、バルコニーから突き落とされそうになったこともある……他には靴にムカデを入れられたり、椅子の上にスライムを置かれたり……」
「いや、そこらへんは自業自得だろ? おまえら極悪兄弟が俺を棒で叩いたり、猛犬をけしかけてイジメてくるから、やり返しただけだ」
「では、これで最後にするか? 母の実家であるローズを没落させた忌み子、存在そのものが罪のイカれジンジャーよ! ここで死ぬがいい!!」
「死に損ないの骸骨が! 剣聖だ? 笑わせやがる。俺がしっかと地獄へ送り届けてやるから、感謝しろよ? 腐れ従兄弟め!」
イアンはサムへ向かって走っていった。もう、誰も止めようとはしない。ここで大嫌いな従兄弟との因縁を断ち切る!




