87話 アスターと話す(リゲル視点)
市門から王城に入り、騎士団本部の近くまでイザベラは送ってくれた。
「帰りは自分でなんとかなさいね」
「一緒についてきてくれんのか?」
「なーに、情けないこと言ってるの? 自分が受けたことなんだから、一人でなんとかしなさいよ。わたしみたいなキラキラお嬢様が騎士団に行ったら、性欲盛んな若い騎士たちに視姦されて大変なことになっちゃうでしょ」
「うん……誰もそんなことしないと思うぞ。自意識過剰じゃ」
「とにかく、アスターぐらいでビビってるんじゃないわよ? わたしは行くからね!」
ついさっきヘリオーティスに殺されかけたというのに、最強の弟子は冷たい。リゲルは気乗りしないまま、騎士団に足を踏み入れた。
広い演習場の半分を王軍、残りを騎士団が陣取り、訓練をしていた。甲冑の豪華さで兵士と騎士は区別できる。
兵士はシンプルなフォルムの合金でできた甲冑。手足は剥き出しのこともあり、胴体はチェーンメールが多い。兜はすっぽりかぶるタイプで稼働式の面頬はついていない。一方の騎士は表面に紋様などが彫られたフルアーマー。兜の形も様々だ。
整列する彼らを横目にリゲルは演習場を過ぎ、本部の建物に入った。中に入るとすぐ見張りの兵士に声をかけられたので、取り次ぎをお願いする。少しだけ待たされた。
それからガランとしたホールの先、執務室まで歩く。魔女が珍しいのか、出会う騎士にジロジロ見られる。ダモンの目を通じて、リゲルが知っている騎士も幾人かいた。
執務室の机に向かい、書類とにらめっこするアスターは忙しそうだった。見るからに機嫌は最悪だ。でもまあ、イザベラの言うとおりビビってもいられまい。リゲルは不気味だとよく言われる笑顔を見せることにした。ロング髭オヤジはリゲルのほうをチラッと見ただけである。丸無視だ。
「クソッ……ローズ城の管理費が思いのほか、かさむ。これじゃ、運営費が足りぬぞ……」
「アスター、元気か?」
「何用だ? ユゼフが留守のせいで私は忙しいのだ。用件は手短に言え」
「じゃ、この文を受け取ってくれ」
「文? は? 王家の紋!?」
「ディアナからじゃ」
リゲルは文とユマの髪留めを投げて渡した。この髪留めは髪を挟める大きな真鍮製のものだ。葉っぱにテントウ虫が止まっている可愛らしいデザインである。それを見たアスターの顔から、サーッと血の気が引いていった。文を持つ手が震えている。
「なんだと!? ユマは今どこにいるのだ!?」
「それは言えんのよな。すまぬ」
「リゲル、貴っ様ッッ! 寝返ったか! クソッ……」
「寝返ってはないんじゃけど、賭けに負けて協力することになったでの。すまぬな」
「ふざけるなッ!! このクソビッチが!! 釜茹でにして、ハラワタ引きずり出してやるッッ!!」
デカいアスターが立ち上がり、顔を真っ赤にして怒りをぶつけてくるものだから、リゲルは少々ひるんだ。
「そうだ、知恵の島にいるクソ女の息子を拘束する!」
「もう手を回しておる。安全な所で保護されているそうじゃ」
「クソが……人の子を持つ親とは思えん」
「だ、大丈夫じゃ。ユマは安全な所で守られて……」
「裏切り者の言うことなど信じられるかッ!! 今すぐ、案内しろッ!!」
「いや、じゃから、ユマの居場所は……」
「ヘリオーティスの所でディアナが待ってるんだろ! すぐに連れてけ!」
「えっ!? 今!? わしが連れて行くの?」
「じゃあ、誰が連れて行くのだ?」
「いや、アスターが一人で行くんじゃねぇの?」
「ゴチャゴチャうるさい!! この場で斬り殺されたくなかったら、さっさと案内しやがれ! この、メスブタが!!」
「ちょっと待て。イザベラはまだ近くにいるから文を送る。今からヘリオーティスへ行くなら伝えんと。ディアナはな、ヘリオーティスの所にいない。別の所にいるんじゃ」
「貴様らの都合はどうでもいい! 早く用を済ませろ!」
ものすごい剣幕で怒鳴りつけるアスターの前で、リゲルは冷や汗を流しながら文を書いた。グランマという通信魔法は知っている人間に限り、短距離なら文を届けることができる。
数分、リゲルは恐ろしいほどの殺気を浴びせられ続けた。
「すべて終わったら、貴様らに報復してやるからな? 豚舎に放り込んで、豚の餌にしてやる。飢えた豚どもの餌食になるがいい! 豚女にピッタリの最期だ」
「ひぇ……なんつぅことを思いつくんじゃ」
「無垢な娘を人質にとる卑劣な毒婦め! 貴様らに人権なぞないわ!」
アスターなら本当にやりかねない。“身一つで”とあったので、アスターは愛剣ラヴァーを机の上に放り出した。打ち直しをするためイアンに持って行かせ、職人のもとで放置されていたのを取りに行かせたのだろう。戻りたてのラヴァーは、あえなく留守番となった。
「あのさ、アスター。剣ぐらい持って行ったらどうじゃ? 書いてある通りに従うんか?」
「だまれ、ビッチ。ユマが人質に取られているのだ。指示通りにせず、なにかされたらどうする?」
「それにな、なんの考えもなしにすぐさま行くのは、どうかと思うんじゃが……」
「ええい、うるさい!! 娘を盾にしやがって! この身が滅ぼされようが、絶対に仕返ししてやるからな!!」
聞く耳持たない。リゲルは肩をすくめるしかなかった。アスターは副団長宛てに簡易な文だけ書き、「急用だ」とだけ告げて騎士団を出た。
そして、二人で厩舎へ出向き、リゲルは馬を借りた。目的地は王都スイマーから少し馬を走らせた砂漠の手前、ギャンジャ地方。そこにヘリオーティス本部はある。日が落ちるころには着くだろう。
左手に広大な砂漠、右手に深大な海。壮大な自然も、一緒に乗馬する相手が激昂中の髭オヤジでは台無しである。リゲルは走行中、何度も溜め息をついた。
──損な役回りじゃな。ついさっき、襲われたばかりじゃというのに、その敵の本拠地へ行くことになろうとは
アスターのユマに対する愛情は想像以上だ。なりふり構わず、助けに向かうとは思わなかった。
──口ではあーだこーだ言っても、娘のことがかわいくてしょうがないんじゃな
しかし、こう感情的でディアナとまともな話し合いができるのだろうか。和解を求めるディアナに対し、アスターは最初からケンカ腰だ。
──ここでアスターがヘリオーティスに殺されたりしたら、遺恨が残るじゃろう。ユゼフサイドとの和解は難しくなる。わしにとっては、そのほうが都合いいんじゃがな
怒号を飛ばしてくる極悪ヒゲオヤジでも死んでしまうのは哀れだ。父親のような存在のこのオヤジがいなくなったら、ユゼフは悲しむだろう。
──助けてやってもいいが……
リゲルは肩を落とす。なにせ、敵の総本山だ。魔術に対する対策は万全だろうし、リゲルも自分の身を守るので精一杯かもしれない。
リゲルは馬の歩を緩めた。
「なにをやってる。とっとと進め!」
「アスター。やはり、考えもなしに突っ込むのはよくないよ。なにかあったときの対策を講じておかないと……」
「知るか! ユマを傷つけていたりしたら、おまえら全員、ただじゃおかないからな! 覚悟しとけ!」
「ディアナは和解を求めてるんじゃ。シーマは目覚めぬ。ユゼフが臣従礼を解除したりしなければな? シーマが目覚めなければ、物事は丸く収まるんじゃ」
「クソ女が王位につくってか? ふざけるな!」
「アスター、おぬしが協力してくれたら血は流れぬ。戦いを終わらせることができるんじゃ。ヘリオーティスはディアナに従う」
「私はクソ女には従わんぞ? 死のうが徹底抗戦する」
「じゃから、ユマを盾にしたんじゃ。いいか? 臣従礼を解除したタイミングでシーマを殺す。そうすれば、ユゼフは死なぬ。ディアナはユゼフを自分の王配にするつもりじゃ」
がなり立てるだけだったヒゲオヤジが黙った。やっと思考モードに入ったか。
「よーく考えて、落ち着いて話すことじゃ。おぬしにシーマをかばう義理などないはず」
三角錐の建物が見えてきた。独特な形は霊力を集めるという。魔力を操る亜人に対抗するため、彼らは天界の光の力を使う。三角の頂点は天と交信するのに適している。
なにもない平原にポツンと現れた砂岩の城は異様だった。




