71話 アホ族の選択(サチ視点)
翌朝早くイザベラは出て行ったので、サチは会わなかった。
ホッとしたような、少し残念なような……せめて、探してくれたことの詫びと感謝ぐらいは、ちゃんと伝えたかったのだが。
そして、イアンたちが来ようが、サチは自分の生活を乱したくなかった。いつもと変わらず、朝起きて食事の支度、洗濯を済ませて診療所へ向かう。イアンのことはグラニエに頼んだ。
ニーケのことでイアンは塞ぎこんでいた。食事にも顔を出さず、エドと共有する部屋から一歩も出ない。
自分を責め、ヤケを起こすのではないかとサチは心配した。他にも考えたいことはあるのに、イアンのことがどうしても気になってしまう。激しやすいイアンのことだから、考えもなしに百日城へ行って暴れたり、ナスターシャ女王を殺そうとする可能性もあった。
人の命を預かる仕事だから、ぼんやりしていては務まらない。仕事中はサチも忘れていた。しかし、休憩中やちょっとした瞬間に気が緩んで思い出してしまう。何度か診療所を抜け出て、イアンの様子を確認しようかと思ったりもした。だから、夕刻頃にメグが声をかけてくれたのは、心からありがたかったのだ。
「サチ、帰ってもいいよ。友達のことが気になるんでしょう?」
「……大丈夫です。ジャン……グラニエにイアンのことはお願いしてますし、俺が帰らなくとも……」
「無理しないで。弟のように思っていた人が亡くなったのだから、数日休んだっていいのよ。イアン君だって、不安だろうし。話してみればいいじゃない」
薔薇色の瞳にのぞき込まれると、心が解される。サチはメグの瞳に吸い込まれた。
「甘えたっていいんだよ。君は本当に甘えるのがヘタ」
フワッと薬以外の香りがして、サチはメグに抱き締められた。優しい抱擁は守られている感じがする。とても安心するのに、サチはドキドキした。
「いい? 帰りなさい。あたしはいつだってサチの味方だよ。もっと甘えてくれていい。だから、イアン君の所へ行ってあげて。あんなに安否を気遣っていた、やっと会えた友達じゃない」
サチはコクリとうなずいた。イザベラにメグぐらいの優しさと思いやりがあれば……とは思わないようにする。
屋敷のすぐ隣に診療所はあるから、二、三分で帰れる。だが、帰って確認するまでもなかった。屋敷から数スタディオン離れた所に人影がいくつか見えたのである。
イアンとザカリヤ、グラニエ。それと、ザカリヤの取り巻きの女が数人──
イアンとザカリヤは向かい合い、抜刀したところだった。
見てわかるとおり、アホ族は戦いをあきらめていなかった。サチは溜め息を吐いて、彼らのもとへと走った。
「ジャン! イアンを見ててくれって言ったじゃないか!」
気配を消し、うしろからドンとぶつかってやるも、グラニエが驚いたのはほんの一瞬だ。ツンツンした髭の先を触りながら、平然と答えた。
「おや、お仕事はもう終わったのですか? この状況下で止めるのはまず無理ですよ。診療所から麻酔薬でも持ってきてくださればよかったのに。イアン君は猛獣と同じですから、そういった物で落ち着かせるしか方法はありません。あのアスター様でさえ、手を焼かれていたのですから」
観戦する気満々である。麻酔薬とは……確かにそうだが、イアンに対する評価のひどさよ。
「互いに真剣でやり合って、死んでしまったらどうするつもりだ?」
「死にませんよ。二人とも魔人ですし、トドメを刺そうとした時点で止めればいいでしょう。ケガくらいはするかもしれませんが」
「診療所の仕事が増えるだろうが! 迷惑だ!」
サチの憤りをよそに、ザカリヤは剣をかざしてみせた。例の黒い魔剣だ。まえに見た時より、まとう瘴気が強い。黒炎が剣を象っているように見える。
「ダリウス、父の戦いぶりをしかと見届けよ!」
宣言し、ザカリヤはバサァと背中の翼を広げた。当然、着ていた服はビリビリに破ける。
サチがあんぐり口を開けたのは、父のカッコつけに圧倒されたからではなかった。無残に破けた服を見てショックを受けたのである。その服を誰が繕うのかという切実な問題。なるほど、ザカリヤがいつも素肌にローブを羽織っているだけなのは、こういう理由であった。
人の苦労など知る由もないザカリヤは白い歯を見せ、ニヤリ笑う。その整った笑顔を見て、ギャラリーの女どもがキャーキャー喜んだ。
「ザカリヤ、カッコいい!!」
「ザカリヤ様、がんばって!!」
ザカリヤは今までずっと、このような環境下で生きてきたのだろう。得意気な顔にはムカつきを通り越して、小さな殺意すら芽生える。
イアンもサチと同じ気持ちなのだと思われた。昨晩のイザベラにも負けず劣らず、ものすごい邪気を発している。いや、立ち上るのは黒い瘴気。全身から毒を放出しているのだ。
「サチを変な名前で呼ぶんじゃない! それ、思春期のころに考えた名前だろ? センスがダサいんだよ。このクソ芋ダサ魔人が!!」
イアンの罵声にギャラリーはブーイングで答えた。これはイアンにとってはつらい舞台だ。感情をそのまま顔に出すイアンは歯ぎしりし、負け犬の表情になった。つねにチヤホヤされてきたお坊ちゃまは、真のモテ男と出会い、心が折れそうになっている。サチはイアンが気の毒になった。
「イアン、負けるな!! クソ魔人をぶっ殺せ!!」
サチが声をかけてやると、単純なイアンはすぐ立ち直った。ペロリ、乾いた八重歯を舐めて答える。
「サチ、心配するな。おまえの父上だから殺しはしない」
一方、サチの裏切りを見たザカリヤは茫然自失する。青ざめ、じつに悲しそうな顔をした。演技かと思われるほど大げさである。
「グランディス……なぜ……?」
「ザカリヤ様、落ち込まないで」
「大丈夫よ。サチも本当は心の中で応援してるのよ」
「ちょっとした反抗期よ。きっとそうよ」
女たちの優しい言葉がけも効果なし。ザカリヤは落ち込んでいる。アホだ。とばっちりはグラニエへ及んだ。
「くそっ……ジャン、このイアン・ローズとかいう悪人は謀反人だというじゃないか? どうしてうちのグランディスがそんな不良と仲良くしてるのだ? おまえの監督不行き届きではないのか?」
「申しわけありません、ザカリヤ様。おっしゃるとおりですね。申し開きのしようもございません」
「グランディスのほうがサウルの生まれ変わりだし、格上なのに臣従礼までさせやがって。その腕、切り落としてやる!!」
グラニエは半ば面白がっているのだろう。責められても、涼しい顔で応対する。そうこうしているうちに観客がわらわら集まってきた。
「イアンサマー」
「グギギギ……グギャッグギャッ……」
「レギュルース、レギュルース!!」
食肉植物の類だろうか。魔国外で見るのとはちがい、大きい。サチの背丈ほどもあるケバケバしい色の筒型の花やら、苔タイプの草やらがイアンに声援を送った。
緑色の肌をした小人は昨晩話していたゴブリンたちだ。こちらもウヨウヨ集まってきて、すっかりザカリヤとイアンを取り囲んでしまった。乳を出した腰蓑姿のゴブリンの娘たちが舞い、花が歌う。男のゴブリンは太鼓を打ち鳴らした。
その音を聞いて、さまざまな亜人種が集まってきた。空からも鳥人がワサワサと。地から出てくる土色の肌の地底人まで。荒漠とした大地はたちまち賑やかになった。
「妖精族の王だそうだ」
「いや、エゼキエル王の生まれ変わりだとか?」
「わしはメシアじゃと聞いとる」
「なんでも主国の謀反人が魔王と契約したらしい」
「ハーピーの三姉妹を倒したんだって?」
「エデンの幻獣を倒し、守り神に認められたとか」
「英雄のダニエル・ヴァルタン、ダリアン・アスターを倒したそうな……」
皆、口々に好き勝手なことを言っているが、どれもイアンのことだ。
──え? ザカリヤよりイアンのほうが有名人??
亜人たちが期待に満ちた視線を送っているのは、イアンのほうである。
ゴブリンの応援は熱を帯び、どこからかエゼキエル、メシアコールまで聞こえる始末。サチは呆気にとられてしまった。
「ギャーーーース!!!」
上空からダモンが雄叫びをあげ、戦いは始まった。イアンは獣の目になる。




